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2013/09/11

埼玉平和資料館の「慰安婦」表記、7年ぶりに決着へ

7年に渡る圧力に耐え

実に7年。ようやく埼玉平和資料館の問題が決着しそうだ。といっても知らない人も多いだろう。当時の埼玉県知事が「慰安婦はいても従軍慰安婦はいなかった」と発言して展示物の表記が「従軍慰安婦」から「慰安婦」に変更されたことから、元に戻せと騒ぎになった。

抗議に訪れたイ・ヨンス(2009)

「市民」側は、韓国からイ・ヨンス・ハルモニを呼び「『従軍』なしでは強制された事実が伝わらない」などと抗議させたり、民団や総連が押しかけたり、吉見義明や西野瑠美子といった慰安婦問題のプロ達の力も借りたが、韓国挺身隊問題対策協議会が「従軍」という言葉にハッキリと拒否感を示し始める中で日本の「従軍」派は動揺。彼らにこれ以上粘る元気はないだろう。産経が言うように、これで終止符が打たれそうである。

平和資料館の年表を一新へ 表記めぐる論争に終止符 埼玉

「南京大虐殺」などの表記がかつて問題視され、論争の舞台となってきた埼玉県平和資料館(東松山市岩殿)の昭和史年表の展示が、リニューアルに伴い一新されることが10日、分かった。同館の年表をめぐっては「中立的でない」「史実を隠蔽してはならない」などと論争が続いていたが、新案では簡素なものになっており、これで終止符が打たれることになりそうだ。

同館には今年度から指定管理者制度が導入され、館内展示のリニューアルが進められている。10月20日に愛称を「埼玉ピースミュージアム」として、再オープンの予定だ。

年表については、不十分な表現や重要な史実が抜けているとして、県議会で何度も改善を要求されてきた。「史実の隠蔽をしてはならない」などと批判する団体もあったが、この中で、「南京大虐殺」は「南京事件・南京大虐殺」に、「従軍慰安婦」は「慰安婦」に改められている

県の展示物改修案によると、新しい年表は簡素なもので、県広聴広報課は「中学生レベルの内容にとどめ、時代の大きな流れを理解しやすいようにした」としている。

県はこの日、これらの案を東松山市内で開かれた第三者機関「県平和資料館アドバイザリーボード」に諮り、大筋で了承された。

産経 2013.9.10

2011/09/16

駐日オランダ大使が日本人に説いた慰安婦問題


漢字に詳しいというヘーア大使だが、日本語の資料は読めないようだ
(写真は本文と無関係)

昨年、オランダの駐日大使フィリップ・ドゥ・ヘーアの講演を聴く機会があった。その時の事をまとめる積りで、いつの間にかメモを無くしてしまった。そこで記憶を頼りに書くわけだが、幸いネットにはその講演の概要が紹介されているから、それらを利用して記憶の復元を試みてみる。しかしながら、ネット上にこの時の感想を上げている人の多くは、自分とかなりスタンスが異なり、大使の講演を批判的に見ていた人は少ないようである。もっとも、それゆえ両方の感想を比較して貰えばそれなりに有意義なのではないかとも思うわけである。この講演は「日本キリスト教会日本軍『慰安婦』問題と取り組む会」が主催者となり新宿区のある教会で行われた。

ヘーア大使の祖父は戦前に来日し、太平洋戦争に巻き込まれた。叔父は炭鉱に送られ、祖父は憲兵隊の通訳として働いた。この事でヘーア大使の祖母は終生祖父を恨んでいたという。彼はたぶん2007年にアメリカで始まった慰安婦非難決議採択運動をきっかけに慰安婦問題を知ったのではないかと思われる(草の根レベルの採択運動はもっと前から)。よく知られているように、戦時中インドネシアでは「白馬事件」と呼ばれる事件が発生し、オランダ人抑留者の女性の一部が本人の意思に反して慰安婦にされてしまった。アメリカの下院に証言者として招かれた一人がオランダ人女性であったことから、オランダでもこの問題に注目が集まった。

白馬事件についてはここでは詳しく述べないが、しばしば強制連行の証拠として日本の「良心派」が持ち出すので聞いた事がある人も多いはずである。「強制的」に「連行」したから「強制連行」・・・ではないのであるが、それはともかく、ヘーア大使はその時の資料を読み込んでいることもあり、慰安所システムを、女性を憎むという発想がなければ思いつかない制度であるというような事を言っていた。

個人的な印象であるが、最初はヘーア大使も遠慮がちだったと思う。日本人の聴衆を前にして日本を批判するのだから当然だろう。彼は物腰柔らかく思慮深い人物だった。奥さんも感じのいい人だった。マイク・ホンダのような軽薄なタイプの人間ではないのは確かだ。しかし、この問題に詳しいとはいえない。「過去から目を背けてはいけない」といった類の、失礼だがありきたりな説教文句も少なくなかった。


最初に韓国の「兄弟姉妹」のために祈りが捧げられた


ところが、質疑応答の時間になっても彼の話に異論を挟む者はなく、我が国がオランダ人に対して行った非道な行為について謝罪したいと立ち上がる聴衆の姿に勇気づけられたか、最後の方になると彼の日本に対する批判も大胆になっていった。

原爆は確かに悲劇だったが歴史の一部として見なければならないとも言っていた。ようは、「日本が戦争を始めたから、原爆の投下を招いたのだ」と言いたかったのだろう。しかし、その理屈を延長すれば、オランダ人が日本軍に抑留されたのは、オランダ人がインドネシアを支配(侵略)していたからだという事にもならないか?それで、オランダ人は納得できるのだろうか?

公平の為に言っておくと、ヘーア大使はオランダの植民地支配を正当化していない。大使は、オランダ人の中には植民地支配がインドネシアの発展に貢献したという人もいるが、それはインドネシア人が望んだことではない、と言う。アメリカに黒人奴隷を運んだのもオランダの船であり、ユダヤ人を絶滅キャンプに運んだのもオランダの鉄道だったかオランダ国内を通過した(記憶が曖昧)のだから、オランダにもこれらの歴史について責任があるというような事も言っていた。

もっとも、大使が挙げた例は間接的なオランダの「罪」ばかりである。例えば、オランダは北アメリカ大陸にも植民地(都市)を持っていたが、そこで原住民の虐殺事件を起こしているし、インドネシアでも同様の事件を起こしている。そういった直接的な加害行為には、意図的ではないだろうが触れなかったようである。たぶん、それらの事件は(白馬事件も同じなのだが)一部の人間の犯罪であって、アメリカの奴隷制度やドイツのホロコーストのように国家の方針として行われたわけではないから、彼の中では区別されているのだろう。つまり、彼の頭の中では慰安婦の「強制動員」とその虐待は日本の国策として、アメリカの奴隷制度などと同列に置かれているのだと自分には思われた(一部の学者や運動家たちが、国際社会にそのように印象づけた)。

ヘーアが慰安婦問題について偏った知識しか持ちあわせていないらしい事は、質疑応答の時間でも明らかになった。質疑応答に入り、自分の後方に座っていた男性が発言の機会を求めた。彼は埼玉平和資料館が「従軍慰安婦」の表記を「慰安婦」に変更したことをどう思うかと、大使に質問した。男性は長々と何やら解説していたが、大使の答えは「日本人の中には日本政府(軍?)が関与したことを認めようとしない人達がいる」というまるっきりトンチンカンなものであった。大使は真剣な顔でそう述べたのである(平和資料館の問題については以前のエントリー参照)。

余談だが、面白かったのは、講演が終わった後、質問した男性が他の参加者から抗議されていたことだ。「従軍」という言葉は自ら進んで慰安婦になったことを意味する(詳しくは前記のエントリーを)と詰め寄られてしどろもどろになっている男性の傍らを通って、自分は会場を出た。

肝心のヘーア大使はこんな裏事情など知る由もなく、オランダ大使館へ日本人から抗議の手紙が送られて来たという話も披露した(加瀬英明か誰かからの手紙だったらしいが、名前は失念)。彼に言わせると、インターネットで調べれば簡単に見破れるような嘘(?)が書かれていたという。欧米語しか読めない人間がインターネットで慰安婦問題の何が分かるというのか、と思ってしまうが、けっきょく、駐日大使に誤解させたままにしておく日本の政治家の責任も大きいのである。

東郷は欧米人の誤解を正そうとしていたが、ヘーア大使はまるで理解していなかった


彼はまた、面識のある東郷和彦元駐オランダ大使を、良心的な日本人の例として紹介した。東郷は慰安婦問題についても正しい認識を持っていると。しかし、東郷の著書を読めば分かるが、彼はアメリカの慰安婦決議に反発して、当時アメリカの議員たちの誤解を解こうと奔走していたのである。

・・・安倍総理を「慰安婦に対する強制性の(全面的な)否定者」として排撃する英文メディアの論調は、猛威をふるった。...主要メディアが、総理を「慰安婦の否定者(denier)」として切り捨てるあまりのものすごさに、私は、しばし言葉を失っていた。

東郷和彦 歴史と外交

けっきょくヘーア大使は何も分かっていないのである。善良な人間ではあるが、彼も偏見の持ち主であり、このようなピント外れな説教を聞かされていたにも関わらず、多くの日本人は感激の面持ちで会場を後にしたのであった。半知半解の大使も問題だが、それを指摘しない(出来ない)日本人が一番の問題なのだ。

もっとも大使の親族が戦時中に日本軍の為に苦しんだという話は事実だろうし、その話は大変に重いものだった。

追記: 思い出したが、ヘーア大使は「実は、慰安婦の中には日本人もいた」「しかし日本人(売春婦?)の数が足りなくなると、アジアの女性たちを(ムリヤリ)慰安婦にした」と日本人聴衆にレクチャーしていた。記憶が定かではないが、たぶん大使は日本人慰安婦=プロの売春婦、外国人=強制連行被害者という認識であったと思う。彼の知識はかなり古いソースから仕込んだものらしい。というのも、共闘関係にある日本のフェミニストたちの抗議を受け、韓国の挺対協も最近では「被害者」にプロとアマの区別はないという立場に転じているからである。しかし、この大使の発言に対しても誰も異を唱えることはなかった。

2011/09/03

梯子を失った従軍慰安婦派



埼玉平和資料館の展示物から一時期新聞などでも用いられていた「従軍慰安婦」という言葉が取り下げられ、「慰安婦」という言葉に改められた件で、何年にも渡って市民活動家達が資料館側に抗議している。「従軍」の文字が無くなると「強制」の事実が消されてしまうと彼らは主張している。もともと従軍慰安婦という言葉は戦争当時にはなく、資料館としては正確を期したものだろうが、「市民」側は納得しない。

しかし、この話で滑稽なのは、慰安婦の最大の支援団体である韓国の挺対協では、従軍という言葉は女性が進んで従ったという意味になるから不当であるという立場をとっていることである。だから、埼玉で抗議している日本市民たちは梯子を外された・・・というより、梯子のない状態で窓枠にぶら下がっているような状態になっている。宗教論争にありがちな、もはや何の為の議論だか分からない状態である。ようするに、彼らは5年前の上田埼玉県知事の発言に反発しているだけなのだろう。

市民のためのメディア」で長らくこの問題を追っていた芹沢昇雄記者も、ついには「『日本軍慰安婦』(原注:今、一般的に使われている)など、強制の事実が解る表記に戻すべきである」と、以前よりも輪をかけてはぐらかした言い方になった。

「従軍慰安婦」という言葉から「従軍」という言葉を削ったのは納得いかない。よって復元せよ、と言っているわけだが、挺対協などが反発している「従軍***」に戻せとは言いづらい。「日本軍慰安婦」に戻せと言っているようにも見えるが、これだと日本語としておかしい。「日本軍***」は当初の表記ではなかったのだから。・・・苦し紛れに「『日本軍慰安婦』など、強制の事実が解る表記」に戻すべきだ、と書く他ないのである。

言うまでもないことだが、この場合、「従軍慰安婦」以外では復元にはならない。例えば「日本軍強制性奴隷慰安婦」なら「書き直し」であって、復元ではないのである。


埼玉県平和資料館が8月30日、東松山市高坂図書館の会議室で定例の「運営協議会」(第三者機関)を開いた。
今回、委員の一部に変更があり委員紹介や会長に森田武氏(埼玉大学名誉教授)の選任などの後議事に入り、当日の傍聴者は9人であった。

最初に報告事項として、1.東日本大震災の影響について、2.入館者の状況について、3.平成23年度事業実施状況について、4.平成22年度第2回運営協議会に係る意見について、の報告と質疑の後「協議事項」に入った。平成23年度事業計画案にについて提案があり協議・意見交換の後、「その他」の項に入いった。

上田清司知事が06年の県議会で『古今東西慰安婦はいても従軍慰安婦はいない、埼県平和資料館の歴史年表にある表示は間違っている』と発言した。しかし、当時の館長は館は独立しており「書き換えはしない」と言明していたが、翌年の館長交代で新館長が年表表記の「従軍慰安婦」を「慰安婦」に書き換え、長い間、批判・抗議が続き、今回も議事の「その他」の項でこの問題が取り上げられた。

知事の発言当時、館は定例の「運営協議会」を急遽前倒しして開き、この用語書き換えを運営協議会に諮問し、協議会は「両論併記」の答申をしたが、その後、館の判断で「従軍慰安婦」の表現が削除・書き換えられ、その後の運営委員会でも協議が続いてきた。

館は今までその理由を「当時、従軍慰安婦の言葉はなく、当時使われていた言葉を使った」と、用語の問題と何ら反論にならない理由を押し通してきた。

今回の協議で新崎博昭委員(埼玉県平和資料館を考える会)が不適切と復元を求める意見表明をし、新たに委員に就任した杉田明宏委員(大東文化大学準教授)も「隠すような表現とも受け取り兼ねない」と指摘した

また、杉田委員が08年10月に立命館大学で開催された『国際平和博物館会議』への出欠の質問に館は「参加していない」と応え、杉田委員はせっかく日本で開かれたのに参加姿勢が欲しかったとの意思表示があった。結果として、この「従軍慰安婦」問題は継続審議として議事を終了した。既にこの問題は5年以上、『埼玉県平和資料館を考える会』(石垣敏夫・代表)などが傍聴を続けながら復元運動を続けている。

また、埼玉県では8月25日「新しい教科書を作る会」系の育鵬社版の教科書が採択されたが、その直前の16日、上田知事が定例記者会見で【間違っても『伊藤博文射殺』と書いている教科書を選んではならない。日本の英雄(伊藤博初代首相)を日本人自身が『射殺』と書いてどうする】などと述べ、歴史・公民教育についての私見を披露し、教育委員会への間接的圧力・介入と批判されている。

(記者私見)
単なる「慰安婦」では強制の事実は伝わらず、当時「慰安婦」は合法的で問題ではなく、「強制」の事実が批判されており政府も上田知事もその事実を認めており、「日本軍慰安婦」(原注:今、一般的に使われている)など、強制の事実が解る表記に戻すべきである。
伊藤博文の射殺にについては自国への貢献だけではなく、朝鮮の強制的併合と共にその初代統監であり、朝鮮民族への弾圧の責任者でもあり、安重根になぜ射殺されたかの、その理由もキチント教えるべきである。

JANJAN 2011.9.2

もっとも、過去記事を改めて検証してみると、復元運動を支援した学者やジャーナリストの中で、芹沢はかなり早い段階から「従軍***」という表記へこだわる事へのリスクに気づいていたのかもしれない。「『従軍』の言葉に拘らなくても強制の事実を伝える義務が」などという微妙な言い回しでハッキリ「従軍慰安婦」という用語を使うべきだとは主張していない。ただし、「学芸員の...『従軍慰安婦と慰安婦は同じ』との発言には開いた口がふさがらない」「和田春樹(東大名誉教授)、吉見義明(中央大学教授)、西野瑠美子(WAM館長)の各氏も『従軍慰安婦』と『慰安婦』は違うと主張しうると指摘しても、『私たちはそう思わない』と鉄面皮であった」とも書いているから、本音は「従軍慰安婦」なのだろう。

「日本市民」以外にも、埼玉平和資料館には民団や元慰安婦が抗議に訪れる。