2011/03/31

現代の「強制性」【東日本大震災 3】東電下請け企業のケース




東電の協力会社社員の中には、福島第一原発に仕事を求め、避難先から職場に戻ろうとしている人たちがいる。福島県内の避難所ににとどまっている30代男性は3月中旬、東電の孫請けの仕事をしている勤務先の社長から電話がかかってきた。

「今から戻って仕事ができるか」。原発で、がれきの撤去や電気が復旧するためのケーブル敷設の作業ができないかという問い合わせだった。

...次の要請があったら、生活を考えて応じようと思っている。「日本の電力をになってきた」自負もある。給料は日給制で、1日1万数千円。男性は話す。「俺らは東電から仕事を受注した元請け企業から仕事をもらう立場。今回の状況で『あいつらは来なかった』と思われたら、その後の仕事はどうなると思う?」

...浪江町に自宅がある男性は、避難した家族の行き先もほぼ決まったため、仕事に戻ることを決めた。「365日、東電から仕事をもらってきた。次の仕事をもらうためには、被爆するかもしれない制限区域での仕事でも、行かなければならない」...東電の孫請け会社に勤める、40代男性は、避難所で会社からの呼び出しを待つ。「ここは原発以外に働くところがないから」

朝日新聞2011.3.29 3面

海外のメディアには"Suicide Squad (特攻隊)"という表題をつけたものもあった。msnnews3月18日

追記: 東京新聞 「日当40万円出すから」 原発作業員 確保に躍起

地震支援のハルモニ、竹島教科書記載に再び怒り



「良心的」政党として韓国から期待された民主党の政権でも、この問題で韓国側の言い分を受け入れる様子はなさそうだ。先週は震災犠牲者の為の追悼集会に切り替えた水曜集会であったが、今週、日本糾弾集会として復活。ギネス記録も順調に更新中。今年中に1000回を超える。

挺対協VANKの関係者も日本の「歴史教科書歪曲」に非難の声を上げている。

判断力の未熟な学生に意図的反応を誘導するのは宜しくない、という批判に苦笑を禁じえない日本人も少なくないだろう。

地震支援に出た慰安婦ハルモニ再び怒り

日本の文部科学省が30日「竹島は日本の領土」という内容を強化する方向の中学校社会教科書検定結果を発表し、各界でこれを非難する声が大きくなっている。

サイバー外交使節団VANKはこの日「日本政府が竹島を日本の領土で教育するのは韓国を侵略し、アジアの人々に犯した帝国主義侵略歴史を否定すること」とし、「日本の右翼の精神を入れた歴史教科書が育つ日本人の学生たちに普及すれば韓国に対する憎しみが広がることになるだろう」と話した。

VANKのパク・ギテ団長は「内容が変わることでもないが、地震が起きたからといって(教科書検定発表を)延期するのもオカシイこと」という文部省の官僚の発言を取り上げ、「慰安婦ハルモニたち、ソロクドハンセン人(?)まで地震被害者を助ける国に対してこういう話をできるのか」としながら「隣国に対する最小限の礼儀を守るように願う」と話した。

韓国広報専門家のソ・ギョンドク、誠信(ソンシン)女子大教授もこの日「日本が独島が日本土地という内容を教科書に入れるのは独島を国際紛争地域化して司法裁判所に引っ張り出すためのものとか戦略にまきこまれてはいけない」として「独島は地理的、歴史的、国際法的に私たちの土地であるから主張より文化観光的側面でアプローチし、世界の世論を喚起させなければならない」と話した。 「独島守護」歌手キム・ジャンフンは、「変わらない日本政府に反論するか、動揺せずに、独島を、世界のあちこちに発表される事を積極的にしていく」と明かした。

教育界も似た反応だ。 ソウルのハナ高等学校キム・ジンソン校長は「教科書は長い間を通じて検証されて異論がない内容をのせるべきなのに、日本文部省は事実を正確に伝えていない」としながら「まだ判断を正確にできない学生たちに『意図的反応』を誘導するのは道徳的に正しくない」と話した。

中学校国語教師パク・ユミン氏も「日本政府は愛国教育の一環だと主張するが、これは結局わい曲教育」としながら「日本政府の野心により、中立的でなければならない教育過程が揺れるのも問題」と話した。

日本の地震被害者などのために寄付まで集めた日本軍慰安婦ハルモニたちは背信感が大きかった。 慰安婦被害女性たちの人権回復活動を行っている韓国挺身隊問題対策協議会(挺隊協)関係者はこの日「日本政府は独島領有権主張だけでなく、慰安婦問題をはじめとして日本政府の戦争犯罪を削除して美化している」として「両国の不信と葛藤を一層助長する状況の前で怒りを禁じえない」と明かした。

チョン・テヒョプは日本地震発生五日目である16日、19年間一度も断続なく受け続けてきた水曜集会を追慕集会に変えた。 「在日同胞、日本市民全部がんばってください!」というプラカードも登場した。 当時キル・ウォンオク・ハルモニ(84)は日本が憎くもないのかという質問に「この世と変えるとしても私の傷はなくならない。 罪は憎くても人は憎くない」と答えた。

朝鮮日報 2011.3.30

2011/03/30

髄まで利用される土肥隆一【朝鮮日報寄稿者のすり替え】



2ちゃんねるでは相変わらず反日だの在日といったレッテル貼りが後を絶たないようだが、土肥隆一にそんな積りは皆無だろう。進歩派議員に多い自虐史観タイプとも違うような気がする。彼は彼なりに悩んだのだろう。自分が利用されているという意識もあったかもしれない。

しかし、こういうお人好しタイプの日本の政治家が中韓の反日運動家に骨の髄まで利用されているのが現実なのである。言ってもいないことまで書かれて・・・。

土肥隆一のインタビューの原文は次の通り: 「交番に韓国人、朝鮮人の警官がいて、韓国人の泥棒を捕まえては罰しているという姿をみるにつけ、学校は全部、日本語だから、当然のように日本語を使って、同じ1年生の子供がついうっかり朝鮮語を話すと、朝鮮人の先生がその子をぶんなぐる光景もみてきた」(産経新聞2011.3.10)。

土肥は「日本の先生と子供たち」が朝鮮人の学生を殴っていたなどとは言っていない。朝鮮日報のこの寄稿者が話をすり替えているのである。このようにして、韓国の読者たちは騙されるのである。


私たちは日本の地震と津波惨事の便りに痛みを感じて哀悼を表わす。ところで地震惨事以前にも胸が痛い事件があった。民主党の土肥隆一議員に対する日本右翼の大攻撃だった。土肥議員は衆議院議員7選、前外務委員長、倫理委員長を歴任した。その上、民主党の菅直人系統の幹事長であり牧師だ。彼は毎年3・1節(独立運動記念日)と8・15光復節(解放記念日)になると訪韓して日帝侵略を謝罪した日本の代表的知性であり、良心だ。

今回も彼が新エデン教会で開かれた92周年3・1節記念礼拝に韓日キリスト議員連盟の日本側代表として参加し、過去の日本の蛮行を謝罪して独島(トクト)の韓国領有権の主張の入った韓日共同宣言文を朗読してサインまでした。このニュースが日本に伝えられるとすぐに大きな波紋が起きた。彼は日本の空港に到着して記者たちの前でも堂々と所信を明らかにした。「私は朝鮮総督府の幹部の息子として東大門小学校に通った時に日本の先生と子供たちが日本語を使わない朝鮮の学生たちを殴打したのを記憶している。これは日本の羞恥だと考える。韓国の人の立場で見れば独島の領有権主張も理解される。これがキリスト教徒としての私の所信だ。」

土肥議員は2009年にも新エデン教会で韓服を着て頭を下げて日本の植民支配を謝罪したことがある。なぜそうしたのだろうか。最初に、彼は篤いキリスト教信仰人であるためだ。彼が一般の政治家だったら適当に大勢に妥協して生きただろう。しかし彼はキリスト教の歴史観に立って日本の誤りと罪を公式に悔い改めて認めた。二番目は絶え間ない民間外交の努力のためだ。筆者は韓日キリスト員連盟の指導牧師として与党の黄祐呂(ファン・ウヨ)議員と野党の金泳鎮(キム・ヨンジン)議員と共に民間外交の働きを持続的にしてきた。そして毎年新エデン教会で土肥議員と他の一部議員を招請して3・1節、8・15光復節の記念礼拝を捧げてきた。そして韓日間の真の和解と発展のために歴史の痛みを共に共有して愛して仕える交流をしてきた。

土肥議員は党職を辞退したが、今年韓国で開かれる8・15記念礼拝の時も参加するという。彼の信仰と所信は揺れることがないようだ。

朝鮮日報2011.3.28
2ch:ピアノを弾く大酋長φ

2011/03/29

慰安所は民族性抹殺政策?医学専門サイトまで広がる常識



すっかり国際的に有名になった日本軍の慰安所システム。医学専門サイトでも、ナチスのユダヤ人収容所や、アメリカの奴隷制と同列に扱われている。このまま医学用語になる日も近いか?

「レイプや性的搾取は、ある集団の士気を挫く為に利用されてきた。ナチスドイツの収容所、北米行きの奴隷船、そして『慰安婦』で一杯にされた第二次大戦中の日本の娼館などである」

少し補足が必要かもしれない。挺対協など韓国の慰安婦支援団体は、慰安所を日本政府による朝鮮民族抹殺政策であるとして国連に訴えていた。吉見義明もまた、民族抹殺とまではいかないまでも「民族性抹殺政策」であったと主張している。

医学専門であるこのサイトの認識も、そういったキャンペーンの影響下にあるものと推測される。改めて、世界では慰安婦問題はこのように認識されているのである。コンゴやユーゴの集団レイプのように、他民族を屈服させる為に日本政府主導で行われた「兵器としてのレイプ」の一例が日本軍の慰安所システムだったと思い込んでいる外国人は少なくない。


What is the history of domestic violence?

Domestic violence or violence that is expressed using intimate acts is unfortunately as timeless as history. Rape and other sexual exploitation have been used to demoralize groups of people as in German concentration camps, on North America-bound slave ships, and in World War II Japanese brothels filled with "comfort women."

2011/03/28

ヴァギナ・モノローグスin昌原「日本軍が韓国女性にいかに残虐であったか」




ヴァギナ・モノローグスについてwikipediaの助けを借りて解説するならば、「アメリカのイヴ・エンスラーによって構成された一連の脚本、およびそれに基づく芝居の表題」「200人を超える女性達へのインタビューに基づいた作品で、1996年にニューヨークのオフ・ブロードウェイで上演されて以来、世界60ヶ国で感動を生んでいる。大物女優のグレン・クローズやメリル・ストリープも舞台を飾った」ということになる。

2006年に発売された「バックラッシュ!~なぜジェンダーフリーは叩かれたのか~」(双風舎)のキャンペーンブログでヴァギナ・モノローグに対する冷めた分析が読める。参考になれば。

慰安婦問題がヴァギナ・モノローグに取り上げられるようになったのは、2007年のアメリカの下院決議騒動の一年前である。YouTubeにも幾つか動画がUpされている。今回は韓国の女子大生たちがこの「独白」に挑戦した。

300人の外国人と100人の韓国人観客は、朝鮮人女性の被害の実態を知って静まり返り、日本政府に賠償を求める慰安婦の子孫たち(韓国の若者たち)の努力に感銘を受けたかのように拍手した、と記者は伝えている。

機械翻訳で正確なニュアンスは読み取れないが、父親の身の安全や命と引換えに慰安婦に徴発されたというイメージだろうか?


慰安婦女性たちに申し訳ないと話します

私たちの話はただ私たちの胸中だけで存在します。 私たちの荒れはてた魂中で、戦争の時間と空間の中で、そして空に存在します。 どんな記録の跡もなくて公式に書物に紹介されたこともなく、ただ意識の中でただこの話中で…「26日午後4時. 慶南昌原市、龍湖洞(ヨンホドン)、慶南女性能力開発センターで開かれた2011昌原ヴァギナ・モノローグ・イベント会場。

昌原大学校学生10人余りは日本軍の韓国女性に関する暴力の実態を知らせて慰安婦被害ハルモニに対する日本側の公式的な謝罪を要求した。

「私たちが約束されたのは、私が彼らと一緒に行くならばお父さんを生かすことができると、勤め口を見つけることができると、自分の国を救うことが出来るということだった。 私たちが見たものは山でもなくて木でもなくて水でもなくて単に黄砂、砂漠だった。私が行かないならば彼らが私を殺すのだと、そこがより良いと。「ヴァギナ・モノローグはタブーとなってしまった女性のセクシュアリティーに関するお話を率直でよどみなく広げてみせ、女性の改革を追求する社会運動の一環だ。

性に対して隠してきた話を気がせいせいするように打ち明けて性暴行と戦争、男性暴力、抑圧と差別に対する問題を濾過することなしに表わし、胸が痛い傷とウィットあふれる話で女性性の本質と女性に対する痛みを吐露する全世界的の行事だ。

2011昌原ヴァギナ・モノローグのイベント会場には昌原に居住する外国人300人余りと韓国人100人余りで盛況した。

世界各国から集まった参席者たちはこの日行事を通じて自分たちが、または、友人が、でなければ誰かを通じて間接的に経験することになった女性たちの多様な被害事例を演劇で見ることになった。

この席で昌原大学校国際関係学と学生たちは第二次世界大戦当時日本軍が韓国の女性たちを対象にどれくらい残忍な蛮行を犯したのかを表現した。

「涙でぎっしり埋まった倉庫、おびえた数千人の少女ら、私の意志と関係なくテンギ(髪飾り)頭は切られて下着を着る時間もなかった。(A warehouse full of tears. Thousands of worried girls. My braid cut against my will. No time to wear panties.)」不明瞭だった場内が静かだった。 出入り口を出入りした人々も位置に立って学生たちの話に耳を傾けた。 数百人の目が10人余りの学生たちに集まった。

「私たちが強制されたのは名前を変えること。 簡単に脱げるようにボタン一つワンピース一着だけ着ること。 一日に日本軍の50人、時にはあまりにも多くの彼ら、野蛮なおかしな男のそれ、私たちが生理をする時もさらに初潮を始める前にも彼らはそのことをしたよ。 あまりにも多かったよ。 一部は彼らの服も脱がないままそのまま自分たちの性器だけ取り出したままあまりにも多くの男たちが。 私は歩くことはできなかったよ。 足を伸ばすこともできなかったよ。 体を曲げることもできなかったよ。 何も出来なかったよ」。

「彼らが私たちにうんざりするようにしたこのは、罵ること。 叩き、 捻ること。 血の涙が出るように叩き、私たちが見たものはお手洗いで化学薬品飲んで死のうとする少女. 爆弾に当たって死んだ少女。 銃でうたれ、また合った少女。消毒すること。 約餌期. ほおたたき. 腕力下記. 壁に頭をぶつかる少女. 川岸に捨てられた栄養失調かかった少女。水に落ちて死のうと」。

「私たちに禁止されたのは洗うこと。 動くもの。診察を受けに行くこと。 コンドームを使うこと。 私たちが歩こうとしたことはマラリア、梅毒、淋病、死産、逃げること。 赤ん坊を産むのと育てること。 彼にやめろということ。 結核、心臓疾患、神経衰弱、うつ病」「私たちが食べたことはご飯、味噌汁、たくあん、ご飯、私たちの体は破壊されたし道具になったし不妊になったし穴になったし。 味噌汁。 たくあん。ご飯。ご飯。ご飯。血まみれになったし。 肉になったし。 黙認にあったし。 一人身になった」「私たちに残ったことは何もなかったよ。 永遠に回復できない衝撃を受けたお父さん、結局亡くなったよ。 無一文.。傷。男性嫌悪症、子供もなくて。 家もなくて。 子宮もなくて。 酒、タバコ、罪の意識、羞恥心」

「私たちは慰安婦と呼ばれるよ。 淫蕩な職業を持った女、私たちが感じたことは私の胸がまだぶるぶる震えるということ。 私たちが奪われたことは若い時期、私の人生」

「今私たちは74才、79才、84才、93才、盲、盲、私たちが願うのは今まもなく私たち皆が死ぬ前に私たちの話を世の中が忘れる前に、私たちの頭の中を離れる前に日本政府で話します。 どうか。 すみません。 慰安婦女性たちよ。 私に話します。 あなた方が私に申し訳ないと。 申し訳ないと話します。 あなた方が申し訳ないと話します。 私に話します。 私を見ます。 話します。 申し訳ないと。

10余分間の公演が終わった。 濃厚な静寂が落ちたように悲しくて暗い雰囲気がかばった。 戦争による韓国女性たちの被害事例を伝え聞くことになった外国人らも深い憂いに沈んだようにした。 このような痛みを表わして日本側の謝罪を要求する子孫らに感銘を受けたように一つ二つ起きて拍手し始めた。

場内が拍手の声であふれた。 気勢を出せという声があちこちで聞こえた。 公演を終えた学生たちは力強い応援に感謝の挨拶をして席から降りた。 戦争と女性たちの被害、数多くの人々が体験した痛みを考え直す場であった。




위안부 여성들에게 미안하다고 말해요 2011 창원 버자이너 모놀로그

"우리들의 이야기는 오직 우리들의 마음속에서만 존재합니다. 우리의 황폐화된 영혼 안에서, 전쟁의 시간과 공간 속에서, 그리고 허공에 존재합니다. 어떤 기록의 흔적도 없고 공식적으로 책에 소개된 적도 없고 오직 의식속에서 오직 이 이야기 안에서…"
26일 오후 4시. 경남 창원시 용호동 경남여성능력개발센터에서 열린 2011 창원 버자이너 모놀로그 행사장.
창원대학교 학생 10여 명은 일본군의 한국 여성에 관한 폭력의 실태를 알리고 위안부 피해 할머니들에 대한 일본측의 공식적인 사과를 요구했다.
" 우리가 약속 받았던 것은 내가 그들과 함께 간다면 아버지를 살릴 수 있다고, 일자리를 구할 수 있다고, 내 나라를 구할 수 있다는 것이었다. 우리가 본 것은 산도 아니고 나무도 아니고 물도 아니고 단지 황사, 사막이었다. 내가 가지 않는다면 그들이 날 죽일 것이라고, 거기가 더 낫다고."
버자이너 모놀로그는 금기가 돼버린 여성의 섹슈얼리티에 관한 이야기들을 솔직하고 거침없이 펼쳐 보이고 여성의 개혁을 추구하는 사회운동의 일환이다.
성에 대해 숨겨온 이야기를 속 시원하게 털어놓고 성폭력과 전쟁, 남성 폭력, 억압과 차별에 대한 문제를 여과없이 드러내며 가슴 아픈 상처와 위트 넘치는 이야기로 여성성의 본질과 여성에 대한 아픔을 토로하는 전 세계적인 행사다.
2011 창원 버자이너 모놀로그 행사장에는 창원에 거주하는 외국인 300여 명과 한국인 100여 명 등으로 성황을 이뤘다.
세계 각국에서 모여든 참석자들은 이날 행사를 통해 자신들이, 또는 친구가, 아니면 누군가를 통해 간접적으로 경험하게 된 여성들의 다양한 피해 사례를 연극으로 보게 됐다.
이 자리에서 창원대학교 국제관계학과 학생들은 2차 세계대전 당시 일본군이 한국의 여성들을 대상으로 얼마나 잔인한 만행을 저질렀는지 드러냈다.
" 눈물 가득 찬 창고, 겁에 질린 수천 명의 소녀들, 내 의지와 상관 없이 댕기머리는 잘려나가고 속옷 입을 시간도 없었네.(A warehouse full of tears. Thousands of worried girls. My braid cut against my will. No time to wear panties.)"
어수선했던 장내가 조용해졌다. 출입문을 드나들던 사람들도 자리에 서서 학생들의 말에 귀를 기울였다. 수백 명의 눈이 10여명의 학생들에게로 몰렸다.
" 우리가 강요 받았던 것은 이름을 바꾸는 것. 쉽게 벗을 수 있도록 단추 하나 달린 옷 한 벌만 입을 것. 하루에 일본군인 50명, 때론 너무나도 많은 그들. 야만적인 이상한 남자의 그것. 우리가 생리를 할 때도 심지어 초경을 시작하기 전에도 그들은 그 짓을 했다네. 너무나도 많았다네. 일부는 그들의 옷도 벗지 않은 채 그냥 자기들의 성기만 꺼낸 채 너무나도 많은 남자들이. 나는 걸을 수가 없었네. 다리를 펼 수도 없었다네. 몸을 구부릴 수도 없었다네. 아무 것도 할 수 없었다네."
"그들이 우리에게 지겹도록 한 것은 욕하기. 때리기. 비틀기. 피눈물나게 때리기. 우리가 본 것은 화장실에서 화학약품 마시고 죽으려는 소녀. 폭탄에 맞아 죽은 소녀. 총으로 맞고 또 맞은 소녀. 소독하기. 약 먹이기. 뺨 때리기. 주먹질하기. 벽에 머리를 부딪치는 소녀. 강가에 버려진 영양실조 걸린 소녀. 물에 빠져 죽으려고."
"우리에게 금지된 것은 씻는 것. 움직이는 것. 진찰 받으러 가는 것. 콘돔을 사용하는 것. 우리가 걸렸던 것은 말라리아. 매독. 임질. 사산. 도망가는 것. 아기를 낳는 것과 키우는 것. 그에게 그만하라고 하는 것. 결핵. 심장질환. 신경쇠약. 우울증."
"우리가 먹었던 것은 밥. 된장국. 단무지. 밥. 우리의 몸은 파괴당했고 도구가 됐고 불임이 됐고 구멍이 됐고. 된장국. 단무지. 밥. 밥. 밥. 피범벅이 됐고. 고기가 됐고. 묵인을 당했고. 홀로 됐다."
"우리에게 남은 것은 아무 것도 없었네. 영영 회복하지 못할 충격에 빠진 아버지. 결국 돌아가셨다네. 무일푼. 상처들. 남자 혐오증. 아이도 없고. 집도 없고. 자궁도 없고. 술. 담배. 죄의식. 수치심."
"우리는 위안부라고 불린다네. 음탕한 직업을 가진 여자. 우리가 느낀 것은 내 가슴이 아직도 부들부들 떨린다는 것. 우리가 뺏긴 것은 젊은 시절. 내 인생."
" 지금 우리는 74살. 79살. 84살. 93살. 장님. 장님. 우리가 원하는 것은 지금 곧 우리 모두가 죽기 전에 우리의 이야기를 세상이 잊어버리기 전에, 우리의 머릿속을 떠나기 전에 일본 정부여 말해요. 제발. 미안합니다. 위안부 여성들이여. 내게 말해요. 당신들이 내게 미안하다고. 미안하다고 말해요. 당신들이 미안하다고 말해요. 내게 말해요. 나를 봐요. 말해요. 미안하다고."
10 여 분간의 공연이 끝났다. 짙은 정적이 내려앉은 듯 슬프고 어두운 분위기가 감쌌다. 전쟁으로 인한 한국 여성들의 피해 사례를 전해 듣게 된 외국인들도 깊은 시름에 잠긴 듯 했다. 이 같은 아픔을 드러내고 일본측의 사과를 요구하는 후손들에게 감명을 받은 듯 하나 둘 일어나 박수를 치기 시작했다.
장내가 박수 소리로 넘쳤다. 기운을 내라고 하는 소리가 여기저기서 들렸다. 공연을 마친 학생들은 힘찬 응원에 감사의 인사를 하고 자리에서 내려왔다. 전쟁과 여성들의 피해. 수많은 사람들이 겪었던 아픔을 다시 생각하는 자리였다.
전병칠기자

2011/03/25

「連行」された慰安婦、また一人亡くなる



日本人なら分かると思うが、連行とは、警察や軍隊によって引っ立てられる事である。果たして、このハルモニの場合どうだったのだろうか?

韓国挺身隊問題対策協議会より訃報のお知らせがありました。
覚悟はしていましたが、韓国では今年になって5名の被害女性が亡くなられています。これで韓国で生存されている被害女性は73名……本当にもう、私たちには時間がありません。

皆さま

韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

3月21日に全羅南道に暮らしていたシン・サンシムハルモニが亡くなられました。

ハルモニは1927年に全南に生まれました。
1944年、18歳で木浦市場で連行された後、長崎県佐世保海軍慰安所で日本軍「慰安婦」生活を強要されました。
解放(終戦)と同時に輸送船に乗って麗水港に帰国し故郷に定着しました。
1992年に日本軍「慰安婦」被害者として申告しました。

ハルモニの最期の道に
日本からも冥福をお祈りください。
私たちのそばにいるハルモニは73人となりました。

「ハルモニ、安らかにお眠りください」

http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/news2.html 2011.3.21

2011/03/24

日本の被災者の為に募金するハルモニ






日本の震災被害者の為に募金する韓国人慰安婦。彼女たちは日本政府に賠償を求めていたはずなのに・・・。厚意を無下にしてはいけないが、もはや支離滅裂。一種のお祭りとして続いている水曜デモならではの光景。

また震災の悲惨さを誰よりも良く知るハルモニ、という表現も韓国系のソースで何度か読んだ気がするが、これもハルモニの聖化現象の一つだろう。未成年でも、阪神大震災を経験した人の方が地震の恐ろしさを良く知っているはずだ。