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2011/06/10

ハルモニと共に愛国キャンペーン 韓国の高校生



メモ書きになるが、1)1千万ウォンの寄付 2)「(朝鮮の)苦難の歴史」 3)子供 4)「日本の歴史歪曲」 5)護国 辺りがキーワードか。


日本軍慰安婦被害ハルモニと共にする愛国キャンペーンが韓国殉国烈士の日の6日京畿道城南市(ソンナムシ)庁全世界ホールで開かれた。

この日キャンペーンは慰安婦被害者福祉施設のナムヌの家と日本軍慰安婦歴史館、国際平和人権センターが慰安婦被害問題を通じて「歴史を学び正しく知ろう」という趣旨で用意した。

2002年から全国を巡回して進行された愛国キャンペーンは2005年8月蔚山での行事以後中断されたが、3月日本教科書の独島領有権記述波動を契機にまた用意したのだ。

慰安婦被害者ハルモニたちを助ける「平和と人権のための全国中高生ボランティア連合会(全国連合会)」が主導したこの日キャンペーンにはキム・スンオク、パク・オクスン、カン・イルチュン、イ・オクソン、ペ・チュンヒハルモニ、中高生と父兄700人余りが参加した。

行事序盤の散漫な雰囲気は、ハルモニたちの証言と水曜集会、身体的苦痛、日常等を含んだドキュメンタリー映画「ナムヌの家」が上映されながら粛然とした。

コメディアン キム・ジホ・キム・ヨンミンのオープニング舞台とデグクム公演が行事の開始と終わりを飾り多くの拍手を浴びた。

ホールの外では慰安婦被害歴史資料展示会が用意され、市役所横に会って、教会では被害ハルモニたちを助ける一日喫茶店が開かれた。

LHはこの日ナムヌの家とボランティア・募金・施設改善に関する協約を締結して1千万ウォンの寄付を伝達した。

全国連合会カン・ハヨン?(18.イメゴ3年)さんは「苦難の歴史を記憶し、教えない民族は未来がないと思う」として「今回の行事を通じてハルモニたちの苦痛を分けて日本の歴史わい曲を防ぐのに力を加えたい」と話した。

ナムヌの家代表ウォン・ヘン?僧侶は「生きている歴史の慰安婦被害者たちを通じて戦争と平和、歴史と人権を考えて戦争反対と平和守護の精神を育成する席」として「護国の精神を敬って慰安婦被害に対する日本の公式謝罪と賠償を受け取らなければならない」と強調した。





'위안부 피해 잊지 말자'..성남서 나라사랑 캠페인


(성남=연합뉴스) 김경태 기자 = 일본군 위안부 피해 할머니들과 함께하는 나라사랑 캠페인이 현충일인 6일 경기도 성남시청 온누리홀에서 열렸다.


이날 캠페인은 위안부 피해자 복지시설인 나눔의 집과 일본군위안부역사관, 국제평화인권센터가 위안부 피해문제를 통해 '역사를 배우고 바로 알자'는 취지로 마련했다.


2002년부터 전국을 순회하며 진행된 나라사랑 캠페인은 2005년 8월 울산 행사 이후 중단됐다가 지난 3월 일본 교과서의 독도 영유권 기술 파동을 계기로 다시 마련한 것이다.


위안부 피해자 할머니들을 돕는 '평화와 인권을 위한 전국 중고생자원봉사연합회'(전국연합회)가 주도한 이날 캠페인에는 김순옥·박옥선·강일출·이옥선·배춘희 할머니, 중고생과 학부모 700여명이 참석했다.


행사 초반 산만한 분위기는 할머니들의 증언과 수요집회, 신체적 고통, 일상 등을 담은 다큐멘터리 영화 '나눔의 집'이 상영되면서 숙연해졌다.


개그맨 김지호·김영민의 오프닝 무대와 태극무 공연이 행사의 시작과 끝을 장식하며 많은 박수를 받았다.


온누리홀 밖에서는 위안부 피해 역사자료 전시회가 마련됐고 시청 옆 만나교회에서는 피해 할머니들을 돕는 일일찻집이 열렸다.


LH는 이날 나눔의 집과 자원봉사·모금·시설개선에 관한 협약을 체결하고 1천만원의 성금을 전달했다.


전국연합회 강하연(18.이매고 3년) 양은 "고난의 역사를 기억하고 가르치지 않는 민족은 미래가 없다고 생각한다"며 "이번 행사를 통해 할머니들의 고통을 나누고 일본의 역사 왜곡을 막아내는 데 힘을 보태고 싶다"고 말했다.


나눔의 집 대표 원행 스님은 "살아 있는 역사인 위안부 피해자들을 통해 전쟁과 평화, 역사와 인권을 생각하고 전쟁반대와 평화수호의 정신을 함양하는 자리"라며 "호국의 정신을 받들어 위안부 피해에 대한 일본의 공식 사과와 배상을 받아내야 한다"고 강조했다.

2011/06/03

「ナヌムの家」6日城南市で愛国キャンペーン



日本軍「慰安婦」被害者福祉施設の「ナムヌの家」(代表ソン・ウォンジュ)が韓国殉国烈士の日の6日城南市(ソンナムシ)庁一帯で慰安婦被害者ハルモニと共にする「愛国キャンペーン」を行う。

ナムヌの家は2002年からソウル、前週、光州(クァンジュ)、大邱(テグ)、釜山、蔚山などを巡回してキャンペーン行事を行った。

城南市(ソンナムシ)庁ヌリホルで被害者ハルモニが直接描いた絵の展示会が開かれて、オンヌリホルでは被害者ハルモニ証言会、映画「63年間の歴史、終わらなかった戦争」上映会が用意される。 ナムヌの家が製作した日本軍慰安婦歴史観パネルが展示され、ハルモニたちを助けるための一日喫茶店も開かれる。

日本に抗議手紙を、ハルモニたちの上に手紙を送る「サイバー手紙書き」コーナーも用意され、当日日本の歴史歪曲に抗議する街頭署名運動も行う。 (031)768-0064~5

朝鮮日報 2011.6.2

일본군 ‘위안부’ 피해자 복지시설인 ‘나눔의 집’(대표 송월주)이 현충일인 6일 성남시청 일대에서 위안부 피해자 할머니들과 함께하는 ‘나라사랑 캠페인’ 행사를 연다.


나눔의 집은 지난 2002년부터 서울, 전주, 광주, 대구, 부산, 울산 등을 순회하며 캠페인 행사를 열었다.


성남시청 누리홀에서 피해자 할머니들이 직접 그린 그림 전시회가 열리고, 온누리홀에서는 피해자 할머니 증언회, 영화 ‘63년간의 역사, 끝나지 않은 전쟁’ 상영회가 마련된다. 나눔의 집이 제작한 일본군 위안부 역사관 패널이 전시되며, 할머니들을 돕기 위한 일일찻집도 열린다.


일본에 항의 편지를, 할머니들에게 위로 편지를 보내는 ‘사이버 편지쓰기’ 코너도 마련되며, 행사 당일 일본 역사 왜곡에 항의하는 거리 서명운동도 벌인다. (031)768-0064~5

2011/03/18

ハルモニの誤解



これはあくまでも支援団体の書籍からとったものであり、実際に元慰安婦がこの通り喋ったのかは定かではない。キム・スンドク(金順徳)の言葉とされている。

彼女によると、最初日本政府は慰安婦の存在を否定しており、その後、慰安婦の存在こそ認めたが、軍の関与を否定したと。・・・彼女がそう信じているというのは、十分にありえる話である。問題は彼女たちを囲っている運動家たちなのである。




私たちが名乗り出る前、日本政府は「慰安婦はいなかった」といい、、私たちが名乗り出た後では、「慰安婦はいたが、日本軍は関与していない」と言った。私たちが絵を書いて絵葉書にしはじめると、日本政府は日本軍の関与を認めるようになってきた。私たちが行動をするたびに、日本政府の態度が変わってきている。

2011/02/14

元法相のナヌムの家訪問は、新たな「最低でも県外」?



こういった報道からだけでは、本人の真意というのは分からないものだが、鳩山由紀夫という人物を総理大臣にして日本人が思い知ったのは、他人を喜ばせようと前後を考えずリップサービスすると、結局は相手をより深く傷つけてしまうということだ。

ナヌムの家のハルモニは、支援団体らに「日本政府は謝ったことがない」と教えられ、そう信じている。元大臣経験者が訪れたとなれば、日本が方針を転換する予兆のように受けとられるかもしれない。しかし実際はどうなのだろう?杉浦には何かあてでも有るのだろうか?

「私的な訪問」と杉浦は言うが、問題は、韓国のマスコミやハルモニがどう受け取るかである。実際韓国の東亜日報の記事では、元慰安婦の一人が、「韓日過去史清算のかを見ていない日本政府の謝罪と補償を受けるまで絶対に死なない」と話したと伝えられている。

杉浦は、小泉首相が慰安婦に送った謝罪の手紙の事をハルモニたちに再度確認したのだろうか?欧米の学者の中にも、一連の日本側の誠意(?)は韓国のNGOなどにより妨害されたと指摘している人がいるのだが?

小泉純一郎内閣で法相を務めた杉浦正健氏が13日、韓国の金成浩元法相とともに、元従軍慰安婦の女性が共同生活するソウル近郊の施設「ナヌムの家」に、女性らを訪問した。聯合ニュースが伝えた。

同ニュースによると、杉浦氏は、私的な訪問だと説明した上で「会って被害を確認したかった。(見聞きしたことは)日本に帰って知らせたい」とし「若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と述べたという。

ナヌムの家には現在、元慰安婦の女性8人が暮らしている。写真左の人物は、韓国の金成浩元法相らしい。

共同2011.2.14

たとえ、杉浦が「(日本)の若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と言ったのだとしても、それは彼が日本の歴史教科書が歪曲されていることを認めたものとは限らないだろう。しかし、韓国ではどう受け止められるか、それが問題なのである。

写真を見る限り、ハルモニは本気で感動しているように見える。

追記: 朝鮮日報

韓国と日本の法相経験者が、旧日本軍の元従軍慰安婦の女性たちが暮らす京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪問した。日本の杉浦正健元法相(76)と、金成浩(キム・ソンホ)法務部(省に相当)長官(61)は13日、「ナヌムの家」の追悼公園で献花し、教育観や歴史観について意見を交わした後、生活館で元慰安婦たちと面会した。今回の訪問には、「ナヌムの家」の後援会長を務める李翰成(イ・ハンソン)議員(ハンナラ党)や、韓国文化財団イ・チャング理事も同行した。

杉浦元法相は「個人的に韓国を訪問した」と前置きした上で「元慰安婦の女性たちと直接会い、被害の実情を確認したかった。日本に帰って、今回見聞きしたことを伝えたい。未来を信じ、若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と語った。衆議院議員を通算6期務めた杉浦氏は、2005年から06年にかけて法相を務めた。一方、金元長官は現在、財団法人「幸福財団」の理事長を務めている。

元慰安婦たちは「歴史問題の解決に向け、前向きな姿勢を見せない日本政府の謝罪や補償が実現するまでは絶対に死ねない」と発言した。これに対し金元長官は「謝罪を望むのであれば、長生きしなければいけない」と語りかけた。「ナヌムの家」側は「純粋に一民間人として、悲しい歴史の現場を訪れ、被害の実情を把握し痛みを分かち合うため、今回の訪問を快諾した」と話した。現在、「ナヌムの家」には生存している元慰安婦75人のうち8人が暮らしている。

朝鮮日報2011.2.14

2011/02/10

日本の元法相ナヌムの家訪問へ【痛みを分かち合う】



Wikipediaによれば、小泉純一郎総理の側近の一人であったとか。法務大臣在職中は、死刑執行命令者への署名を拒み通した。ナヌムの家の説明によると、「痛みを分かち合う」のが趣旨であるとのこと。


自民党前衆院議員の杉浦正健・元法相は13日午後1時に旧日本軍慰安婦の女性らが共同生活する京畿道・広州の施設「ナヌムの家」を訪れる。

杉浦元法相は、慰安婦被害女性らを慰労するほか、追悼公園や慰安婦歴史館にも足を運ぶ。韓国側は金成浩(キム・ソンホ)元法務部長官らが出席する。

「ナヌムの家」関係者は、「韓日両国の元法相が民間レベルで歴史の痛切な現場を訪れ、慰安婦被害女性の実情を把握し、痛みを分かち合う」と説明した。

杉浦元法相は、内閣官房副長官(2004年)を経て、自民党の国家戦略本部事務総長などを歴任した。

2011/01/31

村山一兵の解雇【ハンギョレ】ナヌムの家



10日前にもお伝えした村山一兵がナヌムの家を解雇されたというニュース。同じ日のハンギョレの記事も追加しておく。連合ニュースと比べて特に新しい情報はないが、ハンギョレの記事の方が、村山に対して同情的かもしれない。ナヌムの家には、日本から抗議のメールや電話が寄せられているらしい。

村山本人は、ナヌムの家の所長や幹事から「日常的に無視・叱責などの精神的圧力」などの「人権侵害的な行動」を加えられていると訴え、「明確な形の謝罪と業務停止解除」を求めている(本人のメール)。 [閉架]

興味深かったのは、彼が支援者に当てたメール [閉架]で、「事務所幹部からの対応は、すべて口頭で、証拠が残らないように行われています」とか「事務所幹部らからの組織的な行為です」と訴えている点か。

どこかで聞いたような話である。

慰安婦ハルモニ9人の憩い場の京畿広州市、退村面の「ナムヌの家」には日本人職員が一人いる。 村山一兵(31)氏は2006年からナムヌの家歴史観研究員で常駐しながらハルモニたちを世話して、毎年2,000人余りに達する日本人訪問客の案内を引き受けた。 2003年交換学生で韓国に来て日本軍慰安婦の真実を知ることになった後、彼が選択した道だ.

彼は国内で「懺悔の象徴」で受け入れられた。 恥ずかしい歴史を冷遇する自身の祖国日本の代わりをして慰安婦ハルモニたちと共に生活しながら、彼女たちの被害事実を通知するために先頭に立ったのである。しかし彼はこの一月、出勤はしても日本人訪問客らを少し離れた場所で眺めなければならなかった。 去る7日からは、ナムヌの家に出勤すらしないでいる。

村山氏は昨年12月初め無期限業務浄地通知に続き年末には解雇通知を受けた。 村山氏と彼の知人たちは不当解雇と主張する一方、ナムヌの家は合法的手続きを経たという立場だ。 論議は国内の関連団体をはじめとして日本にまで広がった。 彼にどのようなことが起きたのか。

ナムヌの家が明らかにした解雇理由は二種類。 要求されていた始末書二件を提出せず、無断で個人行動したことだ。

村山氏は昨年12月の初めに東京で開かれた慰安婦関連シンポジウムに、許諾なしで参加して慰安婦被害者姜日出ハルモニの通訳などを引き受けた。 ナムヌの家は「日本の家に行くと言っておきながら、行事に参加して事務局を困らせた」と明かした。 しかし村山氏は「ナムヌの家が日本語が不自由な職員を送ることにして日本の主催側も慌てたし姜ハルモニ も不安に思ったので、休暇を出し自腹を切って個人の資格で行った」と説明した。
村山氏とナムヌの家事務局の間の葛藤は事実その間何回もあった。 村山氏は首に名札をかけて通えとの事務局指針を「圧迫感を感じる」という理由で拒否し、韓日強制併合100年だった昨年には、ナムヌの家のハルモニたちに日本大使館の前の水曜デモに日本人たちがたくさん来るという話をして「体の具合が悪いハルモニにまで集会出席を勧めた」として事務局から注意を受けることもあった。 ナムヌの家はこの二件に対する始末書を書くよう指示したが、村山氏はまだ提出しないでいる。

お互いに対する沈殿物も依然として残る。 村山氏は「ナムヌの家歴史館の業務を不適切に処理したり、ハルモニたちが集会に出てケガをしたり事故が起きたというわけでもないのに、業務停止と解雇は過度な処分ではないか」と話した。 しかしアン・シングォン ナムヌの家所長は「態度と職務などの面で色々な問題点が指摘したが、改善されなかった」と言い切る。 「解雇時には書面で30日以前に通知しなければならない、という基本原則も守らなかった」(村山氏)、「正確に言えば、解雇でなく3月に再契約をしないということ」(アン所長)など解雇に対する見解も異なる。

村山氏は「一ヶ月間一人で悩んでいた」と明かした。 自身の事情が日本の右翼勢力に知らされてややもすると慰安婦問題に悪用されるかも知れないという憂慮のためだった。 村山氏の報せに接した日本の慰安婦関連市民団体と市民たちは、ナムヌの家に抗議電話とEメールなどを送っている。

「彼が解雇された場合、この間ナムヌの家で実践してきた国際連帯運動に大きい支障が出て、熱い信頼を送ったハルモニたちも不安感を感じるでしょう」(大阪公立高教師)、「若い人々が村山氏の説明をよく理解し、彼がハルモニたちを日本に連れてきて証言するように尽力し、人々に感動を与えて、加害国の男性である彼の話自体も日本の男性たちの(慰安婦関連運動)への参加を増やしている」(ツボカド・ヒロコ)は背中呼び掛けも続いている。

村山氏がナムヌの家を離れるのは単純に職員一人が消えるという問題でない。 彼は100万~150万ウォンの月給を受けながら慰安婦被害者立場を代弁して最前線で韓国と日本の間のメッセンジャーの役割を果たした。 ハン・ホング聖公会大教授は村山氏に「こんな事になって恥ずかしい」と慰労を渡したという。

葛藤にもかかわらず、彼は「再契約が可能ならば、もっといたいと思う」と話す。 仕事を辞めるなら他意でなく自らの決心が必要で、ハルモニたちと整理する時間が必要だという考えからだ。 「ハルモニの一人は『私が死ぬ時まで一緒にいるものと思ったが、必ず離れなければならないか』として泣かれました。 病床にいらっしゃった他のハルモニも『お婆ちゃんたちだけ考えろ。 君がこらえてはいけないの』として手をしっかりと捕まえて下さった」。現在ナムヌの家の事務局は、日本語講師として活動中のボランティアを彼の後任に内定した状態だ。


위안부 할머니 9명의 쉼터인 경기 광주시 퇴촌면 '나눔의 집'에는 일본인 직원이 한 명 있다. 무라야마 잇페이(村山一兵ㆍ31)씨는 2006년부터 나눔의집 역사관 연구원으로 상주하면서 할머니들을 돌보고, 매년 2,000여명에 달하는 일본인 방문객의 안내를 도맡았다. 2003년 교환학생으로 한국에 왔다가 일본군 위안부의 진실을 알게 된 뒤 그가 선택한 길이다.

그는 국내에서 '참회의 상징'으로 받아들여졌다. 부끄러운 역사를 외면하는 자신의 조국 일본을 대신해 위안부 할머니들과 함께 생활하면서 그들의 피해 사실을 알리는 데 앞장섰기 때문이다. 그러나 그는 지난 한 달 동안은 출근을 하고도 일본인 방문객들을 먼발치서 바라만 봐야 했다. 지난 7일부터는 아예 나눔의집에 나가지 않고 있다.

무라야마씨는 지난해 12월 초 무기한 업무정지 통보에 이어 연말엔 해고 통보를 받았다. 무라야마씨와 그의 지인들은 부당해고라고 주장하는 반면, 나눔의집은 적법한 절차를 거쳤다는 입장이다. 논란은 국내의 관련 단체를 비롯해 일본에까지 번졌다. 그에게 무슨 일이 일어난 걸까.

나눔의집이 밝힌 해고 사유는 두 가지. 요구받은 시말서 2건을 제출하지 않았고, 무단으로 개인행동을 했다는 것이다.

무라야마씨는 지난해 12월 초 일본 도쿄에서 열린 위안부 관련 심포지엄에 허락 없이 참석해 위안부 피해자 강일출 할머니의 통역 등을 맡았다. 나눔의집은 "일본의 집에 간다고 해놓고 행사에 참가해 사무국을 곤란하게 만들었다"고 밝혔다. 그러나 무라야마씨는 "나눔의집이 일본어가 불가능한 직원을 보내도록 해 일본의 주최측도 당황했고 강 할머니도 불안해해서 휴가를 내고 자비를 들여 개인 자격으로 간 것"이라고 해명했다.

무라야마씨와 나눔의집 사무국 사이의 갈등은 사실 그간 여러 차례 있었다. 무라야마씨는 목에 명찰을 걸고 다니라는 사무국 지침을 "압박감을 느낀다"는 이유로 거부했고, 한일강제병합 100년이었던 지난해에는 나눔의집 할머니들에게 일본대사관 앞 수요집회에 일본인들이 많이 온다는 얘기를 했다가 "몸이 불편한 할머니에게까지 집회 참석을 종용했다"며 사무국으로부터 주의를 받기도 했다. 나눔의집은 이 두 가지 일에 대한 시말서를 쓰라고 지시했고, 무라야마씨는 아직 제출하지 않고 있다.

서로에 대한 앙금도 여전히 남아있다. 무라야마씨는 "나눔의집 역사관 업무를 잘못 처리했거나, 할머니들이 집회에 나갔다가 다치거나 사고가 난 것도 아닌데 업무정지와 해고는 과한 처분 아니냐"고 말했다. 그러나 안신권 나눔의집 소장은 "태도와 직무 등의 측면에서 여러 가지 문제점이 지적했지만 개선되지 않았다"고 잘라 말했다. "해고 시 서면으로 30일 이전에 통보해야 한다는 기본 원칙도 지키지 않았다"(무라야마씨), "정확히 말하면 해고가 아니라 3월에 재계약을 안 한다는 것이다"(안 소장) 등 해고에 대한 입장도 다르다.

무라야마씨는 "한 달간 홀로 속앓이를 했다"고 밝혔다. 자신의 사정이 일본 우익세력에 알려져 자칫 위안부 문제에 악용될지도 모른다는 우려 때문이었다. 무라야마씨 소식을 접한 일본 내 위안부관련 시민단체와 시민들은 나눔의집에 항의전화와 이메일 등을 보내고 있다.

"그가 해고 당할 경우 그간 나눔의집에서 실천해온 국제연대운동에 큰 지장이 생기고 두터운 신뢰를 보낸 할머니들도 불안감을 느낄 것입니다"(오사카공립고 교사), "젊은 사람들이 무라야마씨의 해설을 잘 이해하고, 그가 할머니들을 일본에 데리고 와 증언하도록 도와 사람들에게 감동을 주고, 가해국 남자인 그의 이야기 자체도 일본 남자들의 (위안부 관련 운동) 참가를 늘리고 있다"(쯔보카와 히로코)는 등 호소도 이어지고 있다.

무라야마씨가 나눔의집을 떠나는 것은 단순히 직원 1명이 사라지는 문제가 아니다. 그는 100만~150만원의 월급을 받으면서 위안부 피해자 입장을 대변하며 최전선에서 한국과 일본의 메신저 역할을 했다. 한홍구 성공회대 교수는 무라야마씨에게 "이런 일이 있어 부끄럽다"고 위로를 건넸다고 한다.

갈등에도 불구하고 그는 "재계약이 가능하다면 좀 더 있고 싶다"고 말했다. 일을 그만두려면 타의가 아니라 스스로의 결심이 필요하고, 할머니들과 정리하는 시간도 가져야 한다는 생각 때문이다. "할머니 한 분은 '내가 죽을 때까지 같이 있는 줄 알았는데, 꼭 떠나야 하느냐'라며 우셨어요. 병석에 계신 다른 할머니도 '할머니들만 생각해라. 네가 참으면 안 되겠니'라며 손을 꼭 붙잡아 주셨고요." 현재 나눔의집 사무국은 일본어 강사로 활동 중인 봉사자를 그의 후임으로 내정한 상태다.


2011/01/20

村山一兵「ナヌムの家」を解雇される




村山一兵は、韓国のマスコミにも何度か紹介されている有名人で、講演の為に頻繁に日本に戻って来ているので、一部の日本人にとってはナヌムの家の顔のような存在であった。その彼が、ナヌムの家を解雇された。

自分は彼の、「国際社会からは何度も何度も『この問題に向き合え』と言われてきてるんです」とか(彼らが言ってるのはレイプ・キャンプの事実を認めろということ。はぐらかしてはいけない)「右翼たちは有名な漫画家に高額を支払って自分たちの主張を込めた漫画を描かせています」(漫画家の実名を上げて欲しい)という訴えには賛同しないが、政治的な理由で慰安婦を利用している人々よりは、彼の方が評価できると思っている。信念があるだけに、他人とぶつかることも多いのだろう。


光州の「ナムヌの家」の日本人職員解雇の方針

ナムヌの家の「指示不履行、行動不遜」
3月再契約しないことで..事実上「解雇」

日本軍慰安婦被害者ハルモニたちの住居兼福祉施設である京畿道広州の「ナムヌの家」のイ・ハルモニたちを世話している日本人職員と再契約をしないことにしたことを巡り、解釈が交錯している。

ナムヌの家は、2006年4月から日本軍慰安婦歴史館の研究員であり日本からの訪問客の案内役を引き受けていた日本人、村山一兵(31)氏に昨年12月10日業務停止を通知した。

村山氏は2003年延世大に留学に来て、ナムヌの家と歴史館を訪問しキム・スンドク慰安婦被害者ハルモニの死を見とりながら歴史館で奉仕することを自任し、ナムヌの家が毎月160万ウォン余で職員として採用した。

ナムヌの家のアン・シングォン所長は「一兵氏が職員として業務を忠実に果たさず、数度指示に違反するなど問題があり、来る3月再契約をしないことにした」と話した。

5年あまりハルモニたちのために働いてきた村山氏を事実上解雇することになったのは、彼の逸脱行動のためだというのがナムヌの家の言い分だ。

村山氏は昨年12月初め東京で開かれた慰安婦問題をテーマにしたワークショップ「ピースロード(Peace Road)」にナムヌの家の許諾なしで参加し、慰安婦被害者ハルモニの通訳を受け持った。

11月の末に沖縄で開かれた行事に村山氏が参加したので他の職員を送ることにしたことに反発、行事期間に合わせて休暇を届け出て参加したものだった。

当初東京のイベントには在日同胞の参加者が通訳をすることになっていたが、村山氏が通訳を邪魔したとナムヌの家は主張している。

また、訪問客の案内の便宜のために全職員が名札をつけることにしたが、村山氏だけが特別な理由もなく名札ペチャルを拒否し、指示不履行の問題で事務長と争い、理由書と経過書の提出を指示されることになった。

ナムヌの家の関係者は「村山氏がスリッパを履いて歴史館の訪問客を案内したり、訪問客が挨拶しても受けることもないなど職員としての行動が適正でなく、歴史館の資料整理業務も3年目履行しないでいる」と話す。

村山氏がナムヌの家で仕事が出来なくなったという知らせに、すぐ一部の日本の社会団体がナムヌの家に抗議のメールと電話をよこしてしてきた。

村山氏がナムヌの家で永続的に仕事をしたがっていると分かったが、ナムヌの家は3年目奉仕をする日本人の結婚移民者を後任に決めた。

国内に留まることが分かった村山氏は、現在携帯電話に出ない状態である。



광주'나눔의집' 일본인 직원 해고방침…해석 분분

일본군 위안부 피해자 할머니들의 주거복지시설인 경기도 광주 '나눔의집'이 할머니들을 돌보고 있는 일본인 직원과 재계약을 하지 않기로 한 것을 두고 해석이 엇갈리고 있다.

나눔의집은 지난 2006년 4월부터 일본군위안부역사관 연구원이자 일본 방문객 안내역을 맡은 일본인 무라야마 잇페이(31)씨에게 지난해 12월 10일 업무정지 통보를 했다.

무라야마씨는 2003년 연세대에 유학하러 왔다가 나눔의집과 역사관을 방문하고 김순덕 위안부피해자 할머니의 죽음을 지켜보면서 역사관에서 봉사하기를 자처해 나눔의집이 매달 160여만원을 주고 직원으로 채용했다.

나눔의집 안신권 소장은 "잇페이씨가 직원으로서 업무를 충실히 이행하지 않고 수차례 지시사항을 위반하는 등 문제가 있어 오는 3월 재계약을 하지 않기로 했다"고 말했다.

5년여동안 할머니들을 위해 일해 온 무라야마씨를 사실상 해고하기로 한 것은 그의 일탈행동때문이라는 것이 나눔의집의 주장이다.

무라야마씨는 지난해 12월 초 도교에서 열린 위안부 문제를 주제로 한 워크숍 '피스로드(Preace Road)'에 나눔의집의 허락 없이 참석해 위안부 피해자 할머니의 통역을 맡았다.

11월 말 오키나와에서 열린 행사에 무라야마씨가 참석했기에 다른 직원을 보내기로한 것에 반발, 행사기간에 맞춰 휴가를 내고 참석한 것이다.

애초 도쿄 행사에는 재일교포 참가자가 통역을 하기로 했으나 무라야마씨가 통역을 못하게 했다고 나눔의집은 주장하고 있다.

또 방문객 안내 편의를 위해 직원들 모두 명찰을 달기로 했으나 무라야마씨만 특별한 이유없이 명찰 패찰을 거부했고 지시 불이행 문제로 사무장과 다투기도 해 사유서와 경위서 제출을 지시받기도 했다.

나눔의집 관계자는 "무라야마씨가 슬리퍼를 신고 역사관 방문객을 안내하거나 방문객이 인사하면 받지도 않는 등 직원으로서 행실이 올바르지 않았으며, 역사관 자료 정리업무도 3년째 이행하지 않고 있다"고 말했다.

무라야마씨가 나눔의집에서 일을 못하게 됐다는 소식이 알려지자 일본 내 일부 사회단체 등에서 나눔의집에 항의 메일과 전화를 해 오고 있다.

무라야마씨는 나눔의집에서 계속 일하고 싶어 하는 것으로 알려졌으나 나눔의집은 3년째 봉사를 하는 일본인 결혼이민자를 후임으로 정해놨다.

국내에 머무르는 것으로 알려진 무라야마씨는 현재 휴대전화를 받지 않고 있다. (연합뉴스)

2011/01/08

若者はなぜハルモニに惹かれるのか【運動家が語る慰安婦の遺言】






最近ソウルの水曜デモに参加した人のブログを読んでいたら、若者ばかりだったと書かれていた。ナヌムの家には大勢の日本人の若者がボランティアとして働いている。

自分も彼らの気持ちが分かるなと感じたのは、海南島慰安婦裁判の時、裁判所のエレベーターで元慰安婦(陳金玉さんだったか?)と一緒になった時だ。疲れた表情で車椅子に乗っていたお婆さんを見ると、誰でも「何かしてあげたい」という気持ちが沸いてくる。だからボランティアの気持ちは理解できる。

しかも、現場ではこれが韓日の真の和解につながるなどとおだてられるのだから、若者が義憤に燃え立たないはずがない。

さて、挺対協の共同代表ユン・ミヒャンの近著「20年間の水曜日(20년간의 수요일)」を紹介するのは二度目である。もっとも、他人の書評を紹介しているに過ぎないわけだが・・・。書評ではあるが、現在の運動の本質が良く分かると思う。

今やこの問題は「ハルモニの為」の運動なのである。ハルモニを喜ばせる為には何をすればいいのか。それが長い運動家たちとの共闘でハルモニに後から植え付けられた思想であろうが、とにかくハルモニが語ればそれがハルモニの願いであり、それを実現するのが君たちの使命なのだというわけである。

純粋な日本の若者もこうしたメッセージに感動して運動に身を投じていく。ナヌムの家を訪問したある日本人の観光客は、「日本人のガイド」から

当時の政府が組織的に作り上げた制度で、世界でもそのようなことをしたのは日本だけ。アジア全域に宿を建設し、女性たちは一日に何人もの軍人を相手にさせられていたのでした。つまり奴隷というわけです。ほとんどの女性は、日本軍が「工場で働かせてあげる」「学校に入れてあげる」などと言って騙され、連れられたとのことです。

という説明を受けたことをブログに綴っていた(公人のサイトではないのでリンクは張らない)。



この本でもユンは「ハルモニの遺言」という体裁で慰安婦問題の「解決」を訴えているが、日本からの寄付を「汚れた金」と言い、支援団体の路線に従わない慰安婦を迫害したのがユンが現在代表を務める挺対協であること、それが解決を長引かせてきたことをどれだけの韓国の若者が知っているだろうか?

そんな事は知らせる必要はない。ユンが言うように「拍手の音がハルモニの精力剤」であり、日本政府に問題を(運動家たちが主張してきた形で)解決させるのが「ハルモニの遺言」であり、私たちの「宿題」なのだ、というわけだ。


・・・この本は日本軍「慰安婦」問題を初めて接する学生たち、市民たちに気楽に近づくだろう。 難しい論文を検索せずともわかりやすく接する用語、日本軍「慰安婦」問題解決の必要性、解決運動過程、前にしなければならない事などなど、この本は著者の文を書く欲に留まらないで読者の見解で書いていきつつある。

そして容易くなかった20年の運動で、著者は力の源泉を日本軍「慰安婦」被害ハルモニたちに求める。 そして運動成果をハルモニたちに捧げる。 そしてハルモニたちの姿で希望を読んでいる。

「皆拍手でハルモニを応援します。 この大きい拍手の音がハルモニの精力剤です。 そして今この瞬間、ハルモニを応援する皆さん皆がハルモニの精力剤です。 ハルモニは自身の名誉より大切なその何をプレゼントするために永らく私たちのそばを守るでしょう。 (中略)私たちはハルモニたちに拍手を送ります。 日本軍「慰安婦」に関する真実を誰より多く知っている私たちが、未来を作り出さなければならない私たちがハルモニたちに大きい拍手を送ります。"

ユン・ミヒャン代表は本最後にハルモニたちの遺言を紹介する。 普通自分の名前三文字を残そうと努めて目をとじるか、何の話にもならなくてそのまま歴史から消えるものだがハルモニの遺言は皆に宿題を与える。 その宿題はまさに日本軍「慰安婦」問題の解決

文字で書けば簡単だが、解決の過程は複雑だ。 それは20年の間戦ってきた歴史が見せる。 そして相変らずその宿題は特定の人のことでない私たち皆のことで残される。 そしてその宿題を解くためにユン代表をはじめとする韓国挺身隊問題対策協議会は相変らずハルモニのそばを守っている。

「日本軍『慰安婦』被害者ハルモニたちの犠牲が無駄にならないように、ハルモニたちの遺言が実行される、そのような世の中のために私たちがすることができるのは何でしょうか? はじめ開始は微弱な「一つ」日だけだが、皆が念願すれば一つが「二」になって、また、それが'熱'になって「100」になって、「1000」になる日が必ずくるはずだということを私たちは去る20年間の水曜日を通じて悟ることになりました。 ハルモニの堂々とした叫びが世の中を変える巨大な希望になる日、ハルモニたちがそのように望んだ、皆が平和な世の中は必ず訪ねてくるでしょう」。

「20年間の水曜日」が必読である理由はもう一つある。この本の販売収益金全額は「戦争と女性人権博物館」建設基金に使われる。 ユン代表はそのようにハルモニたちのために捧げた20年青春の人生を越えて自身のすべての能力を日本軍「慰安婦」問題解決に注いでいる。・・・

Tongilnews2010.12.31


<화제의 책> 20년 동안 현장을 지킨 그녀들의 저력
윤미향 정대협 대표가 쓴 '위안부'문제.. '20년간의 수요일'
2010년 12월 31일 (금) 15:59:10 조정훈 기자 whoony@tongilnews.com

사춘기 학생들은 책상 앞에 앉아서 1시간을 공부하는 것이 힘들다고 말한다. 회사원은 입사 3년차가 되면 사표를 내던질 욕망에 사로잡힌다. 10년이면 강산이 변한다고 어른들이 말해왔다.

그러나 이 모든 시간, 세월을 무력하게 만드는 이들이 있다. 일본군'위안부'피해 할머니들과 한국정신대문제대책협의회 일꾼들.


▲ 윤미향 정대협 대표가 쓴 '20년간의 수요일'
이들은 20년 동안 일본군'위안부'문제 해결을 위해 싸워왔다. 그 중에서도 윤미향 한국정신대문제대책협의회 상임대표는 20대 젊음의 패기를 안고 이 운동에 뛰어들었다. 그리고 20년의 세월을 피해 할머니들과 울고 웃으며, 어깨걸고 지금까지 지내오고 있다.

사실, 윤미향 대표는 평범한 이웃이다. 경상남도 출신으로 특유의 억양은 없지만 가끔 나오는 사투리. 맛있는 음식은 절대 혼자 즐기지 않는 따뜻함. 작은 고민거리에도 귀 기울이고 진한 눈물과 소탈한 웃음을 보여주는 '아줌마'다. 그러나 일본군'위안부'문제에는 끈질기다. 출근 전부터 잠들기 전까지 그의 머릿속에는 할머니들이 자리 잡고 있다. 그러한 끈질김이 20년을 버텨온 힘일지도 모른다.

그런 윤미향 대표가 책을 썼다. '20년간의 수요일'.

일본군'위안부'문제가 90년대 초반 사회적 이슈로 떠오르면서 다양한 연구들이 나왔다. 그리고 책도 쏟아졌다. 그러한 가운데 또 다시 일본군'위안부'를 소재로 삼은 책이 발간됐다는 것은 책을 접하지 않은 사람들에게 '어리둥절'한 느낌으로 다가올 수 있다.

그러나 이 책은 일본군'위안부'문제를 처음 접하는 학생들, 시민들에게 편하게 다가올 것이다. 어려운 논문을 뒤지지 않아도 알기 쉽게 접하는 용어, 일본군'위안부'문제 해결의 필요성, 해결운동 과정, 앞으로 해야 할 일 등등 이 책은 저자의 글쓰기 욕심에 머무르지 않고 독자의 시각에서 써내려가고 있다.

그리고 쉽지만 않은 20년 운동에서 저자는 힘의 원천을 일본군'위안부'피해 할머니들에게 찾는다. 그리고 운동 성과를 할머니들에게 바친다. 그리고 할머니들의 모습에서 희망을 읽고 있다.

"모두들 박수로 할머니를 응원합니다. 이 큰 박수 소리가 할머니의 보약입니다. 그리고 지금 이 순간 할머니들을 응원하는 여러분 모두가 할머니의 보약입니다. 할머니는 자신의 명예보다 소중한 그 무엇을 선물하기 위해 오랫동안 우리 곁을 지켜줄 것입니다. (중략) 우리는 할머니들에게 박수를 보냅니다. 일본군'위안부'에 관한 진실을 누구보다 많이 알고 있는 우리가, 미래를 만들어 가야 할 우리가 할머니들에게 큰 박수를 보냅니다."

윤미향 대표는 책 마지막에 할머니들의 유언을 소개한다. 보통 자신의 이름 석 자를 남기려고 애쓰며 눈을 감는다든가 아니면 아무런 말도 못하고 그냥 역사에서 사라지기 마련이지만 할머니들의 유언은 모두에게 숙제를 안겨준다. 그 숙제는 바로 일본군'위안부' 문제 해결.

문자로 쓰면 단순하지만 해결의 과정은 복잡하다. 그것은 20년 동안 싸워온 역사가 보여준다. 그리고 여전히 그 숙제는 특정한 사람의 것이 아닌 우리 모두의 것으로 남겨진다. 그리고 그 숙제를 풀기 위해 윤 대표를 비롯한 한국정신대문제대책협의회는 여전히 할머니 곁을 지키고 있다.

"일본군'위안부' 피해자 할머니들의 희생이 헛되지 않도록, 할머니들의 유언이 실행되는 그런 세상을 위해 우리가 할 수 있는 것은 무엇일까요? 비롯 시작은 미약한 '하나'일 뿐이지만, 모두가 염원하면 하나가 '둘'이 되고, 또 그것이 '열'이 되고 '백'이 되고, '천'이 되는 날이 꼭 오게 마련이란 것을 우리는 지난 20년간의 수요일을 통해 깨닫게 되었습니다. 할머니들의 당당한 외침이 세상을 바꾸는 거대한 희망이 되는 날, 할머니들이 그토록 바랐던, 모두가 평화로운 세상은 기필코 찾아오겠지요."

'20년간의 수요일'을 반드시 읽어야 하는 이유는 또 한 가지가 있다.
이 책의 판매 수익금 전액은 '전쟁과 여성인권박물관' 건립기금에 쓰인다. 윤 대표는 그렇게 할머니들을 위해 바친 20년 청춘의 삶을 넘어 자신의 모든 능력을 일본군'위안부' 문제 해결에 쏟고 있다.

가격은 12,000원, 웅진주니어 출판사에서 나왔다. 구입문의는 02-365-4016, 392-5252 (한국정신대문제대책협의회).

2011/01/03

ハルモニの葬儀と日本人ボランティア【08年】




ハルモニをお見舞いに行く度に日本政府が謝ったかどうか聞かれる、それが辛い。これは二年前の記事だが、村山一兵は今でもこの話を繰り返している。しかしそれならなぜ、「日本政府は謝った」と本当の事を教えてやらないのだろうか?

ネットに上がっている訪問記などを読むと分かるが、実はナヌムの家のハルモニと日本人はとても良い関係にある。しかしながら、大勢の日本人ボランティアがいても一向に誤解は解けない。それは、日本人が本当のことを伝えないからなのだろう。


ムン・ピルギ・ハルモニの告別式…ボランティアの日本人留学生「私たち申し訳なくて」

日本軍慰安婦被害者ムン・ピルギ(82)ハルモニの告別式が7日京畿(キョンギ)広州市(クァンジュシ)、光州(クァンジュ)葬儀場で開かれた。

1943年慰安婦で強制動員されたムン・ハルモニは2003年10月からナムヌの家に暮らし5日亡くなった。

ムン・ハルモニは結婚ぜず血縁は妹一人だけだ。 だが、告別式場は遺族の代わりに弔問客をむかえる若者たちで混みあった。

日本人留学生と市民運動家など30人余りが眼に入った。 語学研修や留学のため韓国に来て帰ってナムヌの家と縁を結んだ人々だ。

彼らは普段からナムヌの家を定期的に探してハルモニたちを慰めた。 また、韓国と日本を行き来して証言集会を開くなど慰安婦問題を知らせる活動をしてきた。

彼らはムン・ハルモニの死亡の報を聞き三日間交代で葬儀室を守った。 告別式場では弔問客を案内して他の慰安婦ハルモニの挙動を助けた。

日本人代表で追悼の辞を読んだ村山一兵氏は「ハルモニが病院に入院中に訪ねて行くと、いつも「日本は謝罪したか?」と気にしなかったことがなく胸が痛い。 いつも孫のようによく接して下さる感謝しまう」と最後の挨拶をした。

一兵氏は2003年延世大に留学に来てナムヌの家を訪問した後、日本に帰らず慰安婦歴史館研究員として働いている(注: 村山は一度帰国して大学を卒業している。機械翻訳が正確でないのかもしれない)。

彼はムン・ハルモニの葬式の後、当日の午後慰安婦証言集会のために北海道に発った。

また他の日本人留学生は「日本の若者たちが訪ねてくる度に、ハルモニたちは顔を一度もしかめなかった」「手を握ってくれ、君たちだけ信じると歓迎したハルモニたちにとても申し訳ない」と目がしらを赤くした。

ナムヌの家アン・シングォン(46)事務局長は「ムン・ハルモニは性格が明るく、情が深く日本学生たちがたくさん従った」として「最後行くところが孤独でなかっただろう」と話した。

ムン・ハルモニの死亡でナムヌの家にはキム・クンジャ(82)ハルモニら7人が残った。

東亜日報 2008.3.8
http://www.donga.com/fbin/output?n=200803080156


恨 못풀고 간 위안부 할머니 마지막 길 지킨 일본 청년들

문필기 할머니 영결식… 자원봉사 日 유학생 “저희가 죄송스러워”

일본군 위안부 피해자 문필기(82) 할머니의 영결식이 7일 경기 광주시 광주장례식장에서 열렸다.

1943년 위안부로 강제 동원됐던 문 할머니는 2003년 10월부터 나눔의 집에서 살다가 5일 세상을 떠났다.

문 할머니는 결혼을 하지 않아 혈육이라곤 여동생 1명뿐이다. 하지만 영결식장은 유족 대신 조문객을 맞는 젊은이들로 붐볐다.

일본인 유학생과 시민운동가 등 30여 명도 눈에 띄었다. 어학연수나 유학차 한국에 왔다가 나눔의 집과 인연을 맺은 사람들이다.

이들은 평소에도 나눔의 집을 정기적으로 찾아 할머니들을 위로했다. 또 한국과 일본을 오가며 증언 집회를 여는 등 위안부 문제를 알리는 활동을 해 왔다.

이들은 문 할머니의 별세 소식을 듣고 사흘간 교대로 빈소를 지켰다. 영결식장에서는 조문객을 안내하고 다른 위안부 할머니의 거동을 도왔다.

일본인 대표로 추도사를 한 무라야마 잇페이(村山一兵) 씨는 “할머니가 병원에 입원 중일 때 찾아가면 항상 ‘일본이 사죄했느냐’며 관심을 놓은 적이 없었는데 가슴이 아프다. 항상 손자처럼 잘 대해 주셔서 감사드린다”고 마지막 인사를 드렸다.

잇페이 씨는 2003년 연세대에 유학 왔다가 나눔의 집을 방문한 뒤 일본에 돌아가지 않고 위안부역사관 연구원으로 일하고 있다.

그는 문 할머니의 장례식 뒤 이날 오후 위안부 증언 집회를 위해 일본 홋카이도(北海道)로 떠났다.

또 다른 일본인 유학생은 “일본 젊은이들이 찾아올 때마다 할머니들이 얼굴 한번 찌푸리지 않았다”며 “손을 잡아주며 너희들만 믿는다고 반겨준 할머니들께 너무 죄송하다”며 눈시울을 붉혔다.

나눔의 집 안신권(46) 사무국장은 “문 할머니가 성격이 밝고 정이 많아 일본 학생들이 많이 따랐다”며 “마지막 가시는 길이 외롭지 않았을 것”이라고 말했다.

문 할머니의 별세로 나눔의 집에는 김군자(82) 할머니 등 7명이 남았다.

donga.com 2008-03-08