ラベル 良心的日本人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 良心的日本人 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012/07/17

日本人妻たちは、まだ謝っていた



贖罪派と言うのか、謝罪することに満足感を得る日本人がいて、日本人に頭を下げさせることにより満足感を得る韓国人がいる限り、永遠にこういった光景を見ることになるのだろう。

先月から続けられている統一教会の日本人女性信者による謝罪キャンペーン。雨の中、国会議事堂(韓国)の前で謝罪していたかと思えば、今度は記者会見を開いて謝罪している。

「慰安婦問題謝罪します」

国内居住日本人たちで構成された市民団体「韓日歴史を克服して友好を推進する集い」会員たちが16日ソウル、太平路プレスセンターで「慰安婦問題に対して謝罪します」という内容の声明を発表した後、頭を下げて挨拶している。

Hankyung.com 2012.7.16

プレスセンターの外でも謝罪

自分たちが利用されていると気づく日は来るのだろうか?





"위안부 문제 사죄합니다"


국내 거주 일본인들로 구성된 시민단체 ‘한일 역사를 극복하고 우호를 추진하는 모임’ 회원들이 16일 서울 태평로 프레스센터에서 ‘위안부 문제에 대해 사죄한다’는 내용의 성명을 발표한 뒤 허리숙여 인사하고 있다.

2012/06/29

祖国に代わり日本人妻が謝罪します --統一教会

国会前での謝罪イベント(29日)

統一教会による、日本人妻を動員しての謝罪イベントはこれが初めてではない。

自分の友人の姉も一時期統一教会に入り、家族が苦労するのを見たが、彼らは日本人の贖罪意識につけ込む。日本人に対する多少の非道徳も、朝鮮民族に対する日本の加害行為を理由に免罪されると考えているフシも感じられた。

今月の24日、統一教会の日本人妻達は、柳寛順の像に参拝した後「日本強占期」の謝罪と慰安婦問題の解決を日本政府に促すキャンペーンに動員された。もっとも、参加者の表情を見る限り、無理矢理狩り出されたという雰囲気はない。

柳寛順像の前での日本人妻を動員したイベント(24日)

日本夫人ら「柳寛順烈士の精神愛しています」

【天安(チョナン)=ニューシス】イ・ジョンイク記者= 「日本統一教の拉致監禁による韓国人権被害者対策委」は24日韓国人男性と結婚して家庭を作った日本夫人が拉致・監禁が恐ろしくて故郷訪問さえ出来ずにいるとし日本政府の事態解決と韓国政府の協力を促した。

対策委はこの日午後忠南(チュンナム)、天安市(チョナンシ)、並川面(ピョンチョンミョン)、アウネ体育館で大韓民国に居住する日本人夫人500人余りが参加した中で記者会見を行い、1966年統一教の拉致が初めて発生した後で拉致監禁に対する被害を訴えた。

この日行事に先立ち日本人夫人500人余りは伝統衣装着物と韓国伝統衣装韓服を着飾って天安市(チョナンシ)、並川面(ピョンチョンミョン)の柳寛順烈士追悼閣を参拝して日帝強制占領期間に対する謝罪と日本慰安婦問題に対する日本責任と解決を促す行事を行った。

(1)NAVER 2012.6.24

そして、今日(29日)ソウル汝矣島の国会議事堂前でも日本軍慰安婦問題謝罪集会が開かれた。 「歴史問題を克服し、日韓の一体化を推進する有志の集まり」・・・メンバーの大部分は統一教会の日本人女性信者らしい。この事は韓国メディアでもあまり触れられていないようである。

江利川安栄は、第7代日本統一教会会長(ソース)。

感極まって鼻水が止まらない参加者

日本人女性たち国会先立って「日本に代って従軍慰安婦謝罪」

「歴史問題を克服して韓日一体化を推進する有志の集い」 40人余り集会

[天地日報=イム・ムンシク記者] 「帝国主義時代の日本が隣国の韓国に洗うことはできない傷を負わせた歴史的な真実を明確に知ることになりました」

29日午前11時30分ソウル、汝矣島(ヨイド)国会議事堂の前. 日本人女性40人余りがスローガンに合わせていっせいに頭を下げた。 従軍慰安婦問題に対する謝罪の表示であった。

「故郷の春」歌と日本曲古お上熱唱が終わった。 マイクを捉えた江利川安栄氏は「強制的に挺身隊(従軍慰安婦)という名前で遠い異国の土に引きずられて行くほかはなかった方らに同じ女性としてそのみじめな立場を慰めて差し上げることにはならないが、日本からきた人として心より謝罪する」と話した。

江利川さんが代表を務める「歴史問題を克服して韓日一体化を推進する有志の集い」の会員たちはこの日、集会で従軍慰安婦問題と関連して謝罪の意を伝え、韓日両国の友好増進を促した。

江利川代表は「私たちのこの謝罪が過去日本が犯した歴史的な罪を洗うにはあまりにも不足であることをよく知っている」として「しかし『こうでもしなければ』という良心の声を無視できなかった」とした。

彼女は中国の軍事力増強に憂慮を表しながら「アジアと世界の平和と安全を望む人々に不安の種になっている」と指摘して「目の前に近づいた中国の威嚇に韓国と日本両国が力を集めて対処していかなければならない時が違うか」と主張した。

また「過去の歴史を越えて韓国と日本が確固たる平和同盟を結んで東アジアの平和と安全を守る核心になって、進んで歴史的、世界的な大変革期に世界平和の礎石を構築できる歴史的使命を成しとげてくれ」と頼んだ。

「歴史問題を克服して韓日一体化を推進する維持会」会員は韓国人と結婚して韓国に住んでいる日本人女性たちで大部分統一教会信者で構成されている。 集い関係者は前に参加を希望する一般人でも集いを拡大する計画といった。 今後120日間国会や日本大使館の前で1人デモなどを展開していくという方針だ。

(2) NEWS SCJ 2012.6.29

聯合ニュースの英字版では、「日本の市民団体(Japanese civic group)」になってる。

Japanese civic group offers apology over comfort women issue

Members of a Japanese civic group, some wearing hanbok, Korean traditional dress, or kimono, Japanese traditional dress, stage a rally in Seoul on June 29, 2012, to offer an apology for their country's wartime atrocities to make young Korean girls sexual slaves, euphemistically called "comfort women."


※1
일본 부인들 "유관순열사 정신 사랑합니다"


【천안=뉴시스】이종익 기자 = '일본 통일교인 납치감금으로 인한 한국 인권피해자 대책위'는 24일 한국 남성과 결혼해 가정을 이룬 일본부인들이 납치·감금이 두려워 고향방문조차 하지 못하고 있다며 일본 정부의 사태 해결과 한국정부의 협력을 촉구했다.


대책위는 이날 오후 충남 천안시 병천면 아우내체육관에서 대한민국에 거주하는 일본인 부인 500여명이 참석한 가운데 기자회견을 열고 지난 1966년 통일교인 납치가 처음 발생한 뒤로 납치감금에 대한 피해를 호소했다.


이날 행사에 앞서 일본인 부인 500여명은 전통의상 기모노와 한국 전통의상 한복을 차려입고 천안시 병천면의 유관순 열사 추모각을 참배하고 일제 강점기에 대한 사죄와 일본 위안부 문제에 대한 일본 책임과 해결을 촉구하는 행사를 가졌다.

※2
일본인 여성들 국회 앞서 “일본 대신해 종군 위안부 사죄”


‘역사 문제를 극복하고 한일 일체화를 추진하는 유지모임’ 40여 명 집회


[천지일보=임문식 기자] “제국주의 시대의 일본이 이웃나라인 한국에 씻을 수 없는 상처를 안긴 역사적인 진실을 분명히 알게 됐습니다.”


29일 오전 11시 30분 서울 여의도 국회의사당 앞. 일본인 여성 40여 명이 구호에 맞춰 일제히 고개를 숙였다. 종군 위안부 문제에 대한 사죄의 표시였다.


‘고향의 봄’ 노래와 일본곡 후루사또 열창이 끝났다. 마이크를 잡은 에리카와 야스에 씨는 “강제로 정신대(종군 위안부)라는 이름으로 먼 이국땅에 끌려갈 수밖에 없었던 분들에게 같은 여성으로서 그 참담한 입장을 위로해드릴 순 없지만, 일본에서 온 사람으로서 진심으로 사죄드린다”고 말했다.


에리카와 씨가 대표로 있는 ‘역사 문제를 극복하고 한일 일체화를 추진하는 유지모임’ 회원들은 이날 집회에서 종군 위안부 문제와 관련해 사죄의 뜻을 전하고 한일 양국의 우호 증진을 촉구하고 나섰다.


에리카와 대표는 “우리의 이 사죄가 과거 일본이 저지른 역사적인 죄를 씻기에는 너무나 부족하다는 것을 잘 알고 있다”며 “그러나 ‘이렇게라도 하지 않으면’이라는 양심의 목소리를 무시할 수 없었다”고 했다.


그는 중국의 군사력 증강에 우려를 표하면서 “아시아와 세계의 평화와 안전을 원하는 사람들에게 불안의 씨가 되고 있다”고 지적하고 “눈앞에 닥친 중국의 위협에 한국과 일본 양국이 힘을 모아 대처해 나가야 할 때가 아니냐”고 주장했다.


또한 “과거의 역사를 넘어 한국과 일본이 확고한 평화 동맹을 맺어 동아시아의 평화와 안전을 지키는 핵심이 되고, 나아가 역사적, 세계적인 대변혁기에 세계 평화의 초석을 구축할 수 있는 역사적 사명을 완수해달라”고 당부했다.


‘역사 문제를 극복하고 한일 일체화를 추진하는 유지모임’ 회원은 한국인과 결혼해 한국에 살고 있는 일본인 여성들로 대부분 통일교 신자로 구성돼 있다. 모임 관계자는 앞으로 참여를 희망하는 일반인으로도 모임을 확대할 계획이라고 했다. 향후 120일 동안 국회나 일본대사관 앞에서 1인 시위 등을 전개해나간다는 방침이다.


参考: サーチナ(日本語) 2012.6.28

2012/06/03

橋本勝、再び水曜デモで反戦を語る



風刺漫画家、橋本勝を取り上げたのはこれが二度目。再びと書いたが、彼がどれくらいの頻度で水曜デモに参加しているかは知らない。

この人は、強く戦争に反対し、なぜ戦争が起こるのかについて自分の漫画を通じて世間に訴えている。しかし、今やJapan Probeに集まるような知日派外国人ネチズンも慰安婦騒動の背後にいる人々をジャパン・ヘイター(Japan hater)と呼んでいる。戦争や民族紛争の影には、常に民族間の憎しみを煽るこういった人々がいる。戦争に反対する橋本が、こうしたヘイト・キャンペーンの片棒を担いでしまっている。・・・1024回水曜デモの一コマ。(参考 zum 2012.5.30

作:橋本勝

2012/02/15

慰安婦像の前で泣き崩れる日本人牧師



2chでは相変わらず国籍を調べろなどと毒づいている人がいるが、実はこういうタイプの日本人は多いのである。特にキリスト者に目立つ。先々月ある韓国在住の日本人牧師の講演を聞きに行ったが、思ったのは、この宗教の教義自体にこの種の陥穽にはまり易い弱点があるらしいということ(誤解のないように言っておくと、キリスト教徒の中にもこういった人々に対して批判的な人はいる)。キリスト教とは関係ないが、在日朝鮮人(差別)問題と慰安婦問題を混同して冷静な判断が出来なくなるのは、村山一兵と同じパターン。


韓国の政治団体が日本政府に対する当てつけに作った偶像(彼女たちはこれを「平和の像」と名付けた)の前で泣き崩れる姿は、確かに一種の偶像崇拝であって合理的思考とは無縁な印象を与える。吉田清治のような詐話師でないにしても韓国のマスコミにとっては好餌なのだろう、カメラが周囲に群がっている。

この野村基之という人物は、過去にこのような文章も書いていたようである。

「大日本帝国の侵略を受け始めた後、1910年からは酷い植民地支配を受けるようになりました。[...]このような寒村にも嘗て日本軍の軍旗がはためき軍靴の音が轟きわたり、住民、特に婦女子を恐怖のどん底に突き落としたのか…あるいは鳥撃帽を深くかぶった特高が嗅ぎ廻っていたのか?…などと想像をしただけでも、日本人青年の一人としてあの穏やかで美しい田舎の土地の上に立つのに罪悪感を覚えたのを今でも鮮明に記憶しています。(日本による過去の侵略の歴史を全く学んでいない現在の日本の若者は韓国映画の俳優に夢中になっています。 極めて不幸な国民だと私はいつも戸惑っています。)」(韓国春川の白基豊校長先生

真実を探求するより想像力を優先させてしまうこの人の性向は、若い頃から変わっていなかったという事だろう。本当に「軍靴の音が轟きわたり」、婦女子が「恐怖のどん底に突き落と」されたのか、村の古老に聞いてみれば良かったのである。ある意味不幸なのはこの人の方である。「平和を愛する人々」と日本の社会に訴えたいと彼は言う。慰安婦像は「平和の像」。運動家たちは日本大使館前の通りを「平和通り」と名付けようとも訴えている。平和という言葉がどんどん胡散臭くなっていくようである。

追記: 中央日報と聯合ニュースの英語版の記事も追加した。中央日報では、野村は forced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army(日本帝国陸軍によって性奴隷になる事を強制された)慰安婦を象徴する像にJapan's wartime atrocities(戦時の日本の残虐行為--慰安所システム?)を謝罪した事にされている。野村の場合は彼の本心とさして違わないのかもしれないが、大体において良心的日本人の行動を韓国メディアが解説する場合、話が膨らむ傾向にあるようである。聯合ニュースには日本軍が強制したとは書かれていないが、女性たちは強制された、日本政府が the war crimes(この戦争犯罪)について謝罪も賠償もしていないと書いている。

″花を踏みにじった日本、申し訳ない心を持つのは当然″

'清渓川貧民運動' 野村牧師‘鳳仙花’を演奏し、バラの花を献花
日本大使館への抗議訪問は不発

染みが浮かんだ八十歳の老人の手がフルートの上に用心深く乗せられた。 指を動かし、歌曲‘鳳仙花’の悲しい韻律がソウル、鍾路区の駐韓日本大使館前に鳴り響いた。‘ウルミッテソン ポンソンファヤ(垣根の下に咲いた鳳仙花)ネモヤンギ チョリャンハダ(君の形がわびしい…)’老人が準備したフルート演奏と一輪のバラは日本軍‘慰安婦’被害少女のためのものだった。
13日午前、少女の姿を形象化した‘平和碑’前に立った老人は、演奏を終えてひざまずいた。 そして涙を流した。彼は日本人社会運動家 野村基之(81・山梨県ベタニヤ教会)牧師だ。 「鳳仙花の歌詞の中の秋風は日本の侵略を意味し、落ちた花は‘慰安婦’被害者ですよね。5才の頃、日本人たちが朝鮮人を苛めるのを見て心が痛みました。その申し訳ない心を持って演奏したいと思いました。」

彼は約40年前にも幼い息子・娘を連れて日帝が虐殺を犯した京畿道(キョンギド)華城(ファソン)、堤岩里(チェアムリ)教会と独立活動家が獄苦にあえいだ西大門(ソデムン)刑務所を訪ねた。 野村牧師と韓国の縁は尋常ではない。韓国戦争が勃発する前に日本、東京に留学に来た韓国人の友人を知ってから韓国は彼にとって近い国になった。1968年、宣教師として韓国の地に第1歩を踏み、ソウル、清渓川の貧民街の惨状を目撃した。 野村牧師は1980年代中盤まで韓国と日本を50余回にわたり往復し清渓川で布教と貧民救済活動を行った。‘貧民運動の父’故チェ・ジョング前議員と共にしたことだった。‘平和碑’献花に先立ち、彼は12日慶南(キョンナム)、統営(トンヨン)で開かれたチェ前議員13周忌追悼式に参加した。 昨年も日帰りで韓国に立ち寄った。清渓川で布教活動をして縁を結んだおばさんが亡くなり、後に残った病院の借金800万ウォンを渡すためであった。

野村牧師は日本政府が‘慰安婦’問題の始末をつけなければならないと語った。1965年、韓-日協定を結んだが両国共にこの問題を覆いかくし適当にやりすごしたということだ。「‘慰安婦’被害は明らかな事実ではないですか。 申し訳ない心を持つのは私の良心としては当然のことです。」彼はこの日、駐韓日本大使館を訪問しようとしたが取材陣が集まり志を達せなかった。日本の一市民として‘慰安婦’問題に対する日本政府の立場を聞き、韓国人が納得できる措置を取ってほしいという話をしようとした。「2つの民族がなくなりはしないでしょう。 争うより仲良く過ごすのが良くないのかと、お願いしたかったのです。」

野村牧師の携帯電話の液晶画面には空を飛ぶ飛行機の写真がある。彼の家の窓を開けば空に見える日本成田空港と仁川空港を行き来する飛行機だ。彼はきちんとした韓国語で話を続けた。「飛行機を見るたびに韓国の友人を思います。」 15日に日本に戻る彼は平和を愛する人々と共に‘慰安婦’問題解決を望む意を日本社会に伝えると語った。

ハンギョレ 2012.2.13
livedoorニュース(訳) 2012.2.14

Remorse Over 'Comfort Women'

Japanese pastor Motoyuki Nomura bowed in apology for Japan's wartime atrocities on Monday in front of a statue representing the "comfort women" forced into sexual slavery by the Japanese Imperial Army during World War II. He played a Korean song on the flute in front of the statue, which was set up in December last year near the Japanese Embassy in Seoul.

Nomura is known for his volunteer work in the 1970s and 80s when he visited Korea 50 times to help the poor living in slums along the Cheonggye Stream.


Japanese pastor's atonement over comfort women in Seoul

Motoyuki Nomura (R), a Japanese pastor, weeps after playing a Korean song on the flute at the Peace Monument, a statue of a young girl that symbolizes sex slaves known as "comfort women," in front of the Japanese Embassy in Seoul on Feb. 13, 2012. Nomura, 81, who hails from Japan's Yamanashi Prefecture and worked for the relief of poor people in South Korea in the 1970s and '80s, made the visit as a gesture of his own atonement for Japan's wartime atrocities. The monument was dedicated to now-elderly Korean women who were forced into sexual slavery for Japanese soldiers during World War II. Former comfort women, along with their supporters, have called for an apology and compensation from the Japanese government, which has yet to offer either for the war crimes.


“꽃송이 짓밟은 일본, 죄송한 마음 갖는건 당연”
팔순의 일본인, 위안부 소녀상에 무릎꿇다


'청계천 빈민운동' 노무라 목사
‘봉선화’ 연주하며 장미꽃 헌화
일본대사관 항의방문은 불발


검버섯이 핀 팔순 노인의 손이 플루트 위에 조심스레 얹어졌다. 손가락을 움직이자, 가곡 ‘봉선화’의 서글픈 운율이 서울 종로구 주한 일본대사관 앞길에 울려 퍼졌다. ‘울 밑에 선 봉선화야 네 모양이 처량하다….’ 노인이 준비한 플루트 연주와 장미꽃 한 송이는 일본군 ‘위안부’ 피해 소녀를 위한 것이었다.
13일 오전 소녀의 모습을 형상화한 ‘평화비’앞에 선 노인은 연주를 마친 뒤 무릎을 꿇었다. 그리고 이내 흐느꼈다. 그는 일본인 사회운동가 노무라 모토유키(81·야마나시현 베다니교회) 목사다. “봉선화 노랫말 속 가을바람은 일본 침략을 의미하고, 떨어진 꽃송이는 ‘위안부’ 피해자들 같아요. 5살 무렵, 일본인들이 조선인을 무시하는 것을 보고 마음이 아팠습니다. 그 미안한 마음을 가지고 연주하고 싶었어요.”


그는 약 40년 전에도 어린 아들·딸을 데리고 일제가 학살을 저지른 경기도 화성 제암리 교회를 찾았었다. 노무라 목사와 한국의 인연은 남다르다. 한국전쟁이 발발하기 전 일본 도쿄에 유학 온 한국인 친구를 알게 되면서 한국은 그에게 가까운 나라가 됐다. 1968년 선교사로 한국 땅에 첫 발을 디디면서 서울 청계천 판자촌의 참상을 목격했다. 노무라 목사는 1980년대 중반까지 한국과 일본을 50여차례 오가며 청계천에서 선교와 빈민구제 활동을 했다. ‘빈민운동의 대부’ 고 제정구 전 의원과 함께 한 일이었다. ‘평화비’ 헌화에 앞서, 그는 12일 경남 고성에서 열린 제 전 의원 13주기 추모식에 참석했다. 지난해에도 하루 일정으로 한국에 들렀다. 청계천에서 선교활동을 하며 연을 맺은 아주머니가 숨지면서 남긴 병원 빚 800만원을 내주기 위해서였다.


노무라 목사는 일본 정부가 ‘위안부’ 문제를 매듭지어야 한다고 말했다. 1965년 한-일 협정을 맺었지만 양국 모두 이 문제를 덮고 적당히 넘어갔다는 것이다. “‘위안부’피해는 분명한 사실 아닙니까. 죄송한 마음을 갖는 건 내 양심으로서는 당연한 일입니다.” 그는 이날 주한 일본대사관을 방문하려 했으나 취재진이 몰려 뜻을 이루진 못했다. 일본 시민으로서 ‘위안부’ 문제에 대한 일본 정부의 입장을 묻고, 한국인들이 납득할 수 있는 조처를 취해달라는 말을 하려 했었다. “두 민족이 사라지진 않잖아요. 싸우기보다 친하게 지내는 게 좋지 않느냐고, 부탁하고 싶었습니다.”


노무라 목사 휴대폰 액정화면에는 하늘을 날고 있는 비행기 사진이 있다. 그의 집 창을 열면 하늘 위로 보이는, 일본 나리타공항과 인천공항을 오가는 비행기다. 그는 또박또박 한국어로 말을 이었다. “비행기를 볼 때마다 한국 친구들을 생각합니다.” 15일 일본으로 돌아가는 그는 평화를 사랑하는 이들과 함께 ‘위안부’ 문제 해결을 바라는 뜻을 일본 사회에 전하겠다고 했다.

2012/01/16

ジャパン・バッシングを天使に仮託する人々


彼らが天使と言っているのは子供たちの事である。慰安婦ハルモニの言うことはよく分からない。しかし、学校の先生から教わった。なぜ幼い少女たちを(日本軍が)捉えていったのか・・・と疑う事を知らない子供たちは言う。

彼女たちを全面に立てて大人は言う。「日本は天使(子供)たちの叫びに」良心を苛まれないのか?そして(意図的に)少女の形に作られた造り物の像まで利用して自分たちのパフォーマンスを飾り立てる。像は、「天使のような目」で日本大使館を凝視しているのだそうだ。そして良心的日本人が登場する。

慰安婦騒動の中心にいる人々は、日本を道義的に見下してこれを叩く快感に酔いしれている。これを民族的快楽と呼んだのは産経の黒田記者であるが、さらにその為に子供まで利用している姿を見ると、道義的な問題を抱えているのは、この運動家たちの方だろう。

「すでに気持ちで許す準備を終えたおばあさんたち」という部分が面白い。元慰安婦たちは、自分たちの尊厳が回復されていないなどとは思っていないのである。彼女たちはとうの昔に、軍人相手の娼婦から民族的英雄に大出世しているのである。一方で20年を超える日本に対するネガティブ・キャンペーンに対し、許しがたいと思っている日本人も少なくない。


子供にマイクを持たせて日本政府を糾弾させる


日本は天使らの叫びが良心に警鐘鳴らさないのか?
許す気持ちに心が傾いたおばあさん達だが、日本政府の態度は

「日本は公式に謝りなさい!謝りなさい!謝りなさい!」
「日本は賠償しなさい!賠償しなさい!賠償しなさい!」

いつもよりきれいな幼い天使たちの声が日本大使館の前にこだました。1004回水曜集会に、とりわけ幼い天使たちの姿がたくさん眼に触れた。1004回集会に天使たちがたくさん訪れてきたようだ、という小説家キム・ウンソン氏の言葉にみな愉快そうに笑った。天気は鼻先をかすめる風がとりわけ冷たく感じられるほど鋭かった。

やはり政治家や偉い肩書を持つ人々は一人も見られない。あどけない小学生、中高生、大学生らがキム・ボクトン、キル・ユンオクおばあさんのお二人様を親しく囲んで立っている。遠く忠清南道公州からきた学生たちとのことだ。2012年1月11日に開かれた1004回日本軍慰安婦問題解決のための水曜定期集会の風景だ。

子供たちがおばあさん、がんばってください!と書いた色画用紙を持って立っていて、ある子供はおばあさんたちに差し上げる手紙文を朗読した。子供は手紙文で「私たちは幼くて慰安婦おばあさんたちの話がよく分かりません。先生に話を聞いて知ることになりました。戦争すれば戦争だけすればいいのに、なぜ幼い少女たちを捉えて行って悪いことをして悲しくさせるのか分からない」としておばあさん頑張って下さいと挨拶をした後、手紙文が書かれた紙をおばあさんに伝達した。手紙を受けた二人のおばあさんの顔には明るい微笑が浮かぶ。

日本大使館の前に立つ慰安婦平和碑はスカートとチョゴリを着た髪の短い少女像だ。13才の年齢で慰安婦に引きずられて行った少女を象徴するように幼くてあどけない姿で日本の謝罪を促すように大使館をぼんやり凝視している。
(中略:平和像の説明)
集会が終わって日本から韓国に帰化したというある女性が帰る車中で、座ったキル・ユンオクおばあさんの手を握って「本当に申し訳なくて恥ずかしい」という心情を明らかにして頭を下げるとすぐにキル・ユンオクおばあさんは逆に「私は日本人を嫌いません。私たちと似たような人たちに何の誤りがありますか。謝罪しない日本政府に誤りがあるのですね。」としてその日本人女性を慰めた。

良心的な日本の民間人は自分の国が犯したことを恥じるのに、日本政府は相変らず公式謝罪どころか品位を問題にして慰安婦少女像の撤去を主張している。日本政府は一日もはやく、すでに気持ちで許す準備を終えたおばあさんたちに心より謝って許しを乞わなければならないだろう。

天使のような目で毎日、日本大使館を凝視する少女像の目と毎週の水曜デモのたびに慰安婦少女像の前を訪れ日本に公式謝罪を叫ぶおばあさんたちを慰める幼い天使たちの叫びが良心に警鐘をならして恥を自覚するならばの話だ。

2ch 蚯蚓φ訳 (副題は引用者が補った)

일본은 천사들 외침이 양심에 경종 울리지 않는가?
마음으로 용서할 마음 가진 할머니들 하지만 일본정부의 태도는


“일본은 공식 사과하라! 사과하라! 사과하라! ”


“일본은 배상하라! 배상하라! 배상하라!”


그 어느 때보다 맑은 어린 천사들의 목소리가 일본대사관 앞에 메아리를 울리며 울려 퍼졌다. 1004회 수요 집회에는 유난히 어린 천사들의 모습이 많이 눈에 띄었다. 아마도 1004회 집회라 천사들이 많이 찾아온 것 같다는 김운성 작가의 말에 모두 유쾌하게 웃었다.


날씨는 코끝을 스치는 바람이 유난히 차갑게 느껴질 만큼 매서웠다. 역시나 정치인들, 무슨 번드르르한 직함을 가진 사람들은 한 명도 보이지 않는다. 앳된 초등학생, 중고등학생, 대학생들이 김복동, 길윤옥 할머니 두 분을 둘러싸고 다정하게 둘러 서 있다. 멀리 충청남도 공주에서 올라 온 학생들이란다. 2012년 1월 11일에 열린 1004회 일본군 위안부 문제해결을 위한 수요 정기 집회 풍경이다.


어린이들이 니와 할머니 힘내세요! 라고 쓴 색도화지를 들고 서있고 한 어린이는 할머니들에게 드리는 편지글을 낭독했다. 어린이는 편지글에서 “우리는 어려서 위안부 할머니들의 이야기를 잘 모른다.


선생님께 이야기를 듣고 알게 되었다. 전쟁을 하면 전쟁만 하면되지 왜 어린 소녀들을 잡아다가 나쁜 짓을 해서 슬프게 만드는지 모르겠다며 할머니 힘내세요 라고 인사를 한뒤 편지글이 적힌 종이를 할머니에게 전달했다. 편지를 받은 김복동 할머니와 길윤옥 할머니 얼굴에는 환한 미소가 번진다.


추운 날씨 탓에 이전과 같은 문화 행사는 펼쳐지지 않았지만 어느 때보다 밝은 미소가 넘치는 화기애애한 집회였다. 게다가 평화비를 제작한 김운성.김서경 부부작가가 딸과 함께 집회 현장을 찾아서 더 의미가 깊은 집회가 되었다.


아다시피 일본대사관 앞 평화로에 세워진 위안부 평화비는 치마저고리를 입은 짧은 단발머리 소녀상이다. 13살의 나이로 위안부로 끌려 간 소녀를 상징하듯 어리고 앳된 모습으로 일본의 사과를 촉구하듯 대사관을 물끄러미 응시하고 있다. 소녀상의 뒤 그림자엔 가슴에 맺힌 자유에의 갈망과 한을 상징하듯 나비 한 마리가 조각되어 있어 보는 이의 가슴을 뭉클하게 만든다.


평화비 표지석은 일본군위안부 피해자인 길원옥 할머니가 직접 쓴 평화비라는 글자와 1992년 1월 8일부터 이 곳 일본대사관 앞에서 열린 일본군위안부 문제 해결을 위한 수요시위가 2011년 12월 14일 천 번째를 맞이함에, 그 숭고한 정신과 역사를 잇고자 이 평화비를 세운다"라는 문구가 적혀 있다.


1000차 수요시위 때 위안부 소녀상 제막식이 있은 후 소녀상 옆에는 소녀를 위로하듯 누군가 놓고 가는 인형과 꽃다발이 끊이지 않고 있다. 맨발을 안타깝게 여긴 듯 누군가 발밑을 둘러놓은 목도리를 시작으로 늘 고운 모자와 목도리 따뜻한 옷, 무릎 덮개 등이 수시로 바뀌고 있어 시민들의 소녀상에 대한 관심과 안타까운 마음을 짐작케 한다.


이제 소녀상은 더 이상 외롭지 않다. 시민들의 관심이 끊이지 않기 때문이다. 어느 날은 소녀상 주변에만 유독 가로등이 꺼져있는 것을 발견한 한 시민이 트위터에 날린 호소문으로 삼성의 마음을 움직여 미뤄오던 가로등을 수리해 다시 불이 들어오도록 만들기도 했다.


집회가 끝나고 일본에서 한국으로 귀화했다는 한 여성이 돌아가는 차안에 앉은 길윤옥 할머니 손을 붙잡고 ‘ 정말 죄송하고 부끄럽다’는 심정을 밝히며 머리를 숙이자 길윤옥 할머니는 오히려 “나는 일본사람을 미워하지 않아요. 우리 같은 사람들이야 무슨 잘못이 있어요. 사과를 하지 않는 일본정부가 잘못이 있는 거지요.”라며 그 일본인 여성을 위로했다.


양심적인 일본의 민간인들은 자신의 나라가 저지른 일을 부끄러워하는데 일본 정부는 여전히 공식 사과는커녕 품위 운운하며 위안부 소녀상의 철거를 주장하고 있다. 일본 정부는 하루 빨리 이미 마음으로 용서할 준비를 마친 할머니들에게 진심으로 사과하고 용서를 빌어야 할 것이다.


천사와 같은 눈매로, 매일 일본대사관을 응시하는 소녀상의 눈망울과 매주 수요시위 때마다 평화로의 위안부 소녀상 앞을 찾아와 일본의 공식 사과를 외치며 할머니들을 위로하는 어린 천사들의 외침이 양심에 경종이 되어 부끄러움을 자각한다면 말이다.

2011/12/23

慰安婦像撤去させるな、良心的日本人女性の一人デモ



日本籍かどうかまでは分からないが、完全にネイティブの日本文だろう。韓国のメディアは、日本人女性による一人デモと報じている。



日本大使館前に立てられた慰安婦(少女)像は、新たな名所になっている。撮影スポットと言ってもいいかもしれない。これまでは「可哀想なハルモニ(お婆さん)」で世間の注意を引いて来た運動家たちだが、ハルモニが高齢化した今、彼女たちを看板にする事が難しくなってきている。今度は「可愛い少女像」がハルモニの代わりを務めてくれるという算段だったのかもしれない。

韓国の市民団体はこういった戦術に長けている。日本側も見習うべきだろう。

20日午後ソウル、鍾路区中学洞駐韓日本大使館の前である日本人女性が「少女像(?)を撤去せずに慰安婦ハルモニたちに謝れ」というプラカードを持ち一人デモをしていた。

Yahoo! Korea 2011.12.23

少女の像の回りに大勢の人が集まる。日本糾弾の「聖地」を作るという挺対協の悲願は少しずつ実現しているように見える。慰安婦についての教科書記載が義務付けられる事になった韓国では、政府ですらこの大衆的熱狂は止められない。米国産牛肉のBSE報道に端を発した「ろうそくデモ」のように、韓国民が後になって冷静に振り返る日が来るのだろうか?

ハルモニがいなくなってもシンボルは健在

20일 오후 서울 종로구 중학동 주한일본대사관 앞에서 한 일본여성이 '소녀상을 철거하지말고 위안부 할머니들에게 사과하라'는 손피켓을 들고 일인시위를 하고 있다

2011/10/14

「慰安婦問題解決要求のために東京からきました!」




「위안부 문제 해결 촉구위해 동경에서 건너왔습니다!(慰安婦問題解決要求のために東京から渡ってきました!)」。こういう人達が日韓関係を悪くしているのだろう。今週の水曜デモ(第991回)に自治労東京が参加。Joins MSN 2011.10.12 他。

2011/10/13

服部良一議員 水曜デモに参加



慰安婦問題の反日デモに参加 社民党の服部良一衆院議員

【ソウル=加藤達也】元慰安婦を支援する団体が12日、ソウルの在韓日本大使館前で開いたデモに社民党の服部良一衆院議員(比例近畿)が参加した。服部氏は「野蛮な行いをしながら公式な謝罪をしていないのは、日本の国会議員として恥ずかしい帰国したら慰安婦問題を広める」と発言。「闘うぞ」とのシュプレヒコールを上げた。

服部氏は産経新聞の取材に「以前から関心があったので参加した」と話した。

この集会には2003年、民主党の岡崎トミ子元国家公安委員長が参加し、問題視された。

産経 2011.10.12

2011/10/10

外務省を包囲せよ、慰安婦「人間の鎖」アクション2011




問い合わせ先がピースボートになっている。反原発デモなどの流れを上手く取り込んだか?保守系の市民団体が対抗の動きを見せるかも知れないが(追記:保守系の女性たちがこれに対抗するデモを企画した)、やり方を間違えると、「善良な市民VS日本の極右」の構図で共同通信(英字版)辺りに「拡散」されてしまうかもしれない。間違いなく韓国のメディアはそういった「絵」を喜ぶだろう。

この市民行動を主催する「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」は、先月衆議院会館で「市民と国会議員の集い」を開催している。これには、韓国から日本大使館前に「慰安婦の碑」を建てるとぶちあげて日韓の外交問題に発展させた挺対協のユン・ミヒャン(尹美香)代表や、中国で「日本軍性奴隷展」を開催して帰ったwamの池田恵理子が馳せ参じるなど、良心的日本市民・議員と韓国の反日活動家共闘の図となった。

...日本軍「慰安婦」裁判で唯一の勝訴判決「下関判決」を勝ち取った山本晴太弁護士をお招きして、韓国憲法裁判所決定の内容、決定後の韓国政府および韓国国会等の動き、それが日本に及ぼす効果などについて、お話を伺います。
また、緊急来日した韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香常任代表から、韓国の動きについてホットな報告をしていただきます。

共催:戦時性暴力問題連絡協議会/日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010


第2次世界大戦で旧日本軍が各国で女性を連行し、性行為を強制した「慰安婦」問題の早期解決を求める集いが21日、衆議院第2議員会館内で開かれ、約80人が参加しました。早期解決を求めて運動してきた市民団体や個人がよびかけました。

...女たちの戦争と平和資料館(wam)の池田恵理子館長が、高齢となり次々と亡くなっている中国山西省の元「慰安婦」の現状を報告。...日本共産党の紙智子参院議員が「日本政府が主体的立場で被害者に謝罪し、早期解決するよう働きかけていく」とあいさつしたほか、民主、社民両党国会議員があいさつしました。

赤旗 2011.9.22

2011/09/20

慰安婦デモの本、日本図書協会の選定図書に




挺対協代表のユン・ミヒャンが水曜デモ20年間の歴史を綴った本だが、挺対協が過去自分たちの方針に従わない慰安婦をイジメたり、昭和天皇を強姦罪で訴追(女性戦犯法廷)したり、国連で反日プロパガンダを行っていた政治団体だと知っての選定なのか?


旧日本軍の元従軍慰安婦問題をテーマにした青少年向け書籍「20年間の水曜日」の日本語版が、2011年日本図書館協会選定図書に選ばれた。韓国語版の出版社・熊津シンクビッグが20日、明らかにした。

慰安婦被害者の証言などをまとめた同書は2010年に韓国で出版された。日本語版は今年8月に発売された。  

日本図書館協会は1949年から公共図書館に適している図書を選定している。各分野の専門家50人のが審査を行い、全新刊の15~20%が選定図書として選ばれている。

出版社関係者は同書について、「慰安婦ハルモニ(おばあさん)の肉声をそのまま盛り込んだため、国内だけでなく日本での出版も積極的に進めた」と述べた。


日本図書館協会のホームページから、図書の選定事業についての解説も紹介しておこう。選定図書は、「公共図書館に備えるのに相応しい図書」「子供たちに大きな影響を与える」ことを念頭に選ばれる。

この本はたぶん、挺対協が資金不足に悩む「日本軍慰安婦博物館」の建設資金に充てる為に書かれたものでもある。したがって、間接的に彼女たちの政治活動を援助することになるだろう。挺対協は、この本(日本語版)に代替教科書の役割を期待しているとも公言している。


日本図書館協会の図書選定事業は公共図書館・学校図書館・公民館図書室などの読書施設に選定図書情報を提供することを目的としています。戦後間もなく新刊図書情報が乏しい、1949年から図書館向けに新刊情報という性格と共に、公共図書館に備えるのに望ましい図書を選定して、発信してきております。 現在は、年間6万点にも及ぶ新刊書籍の中から、図書館がどの本を蔵書として選ぶかを決める図書の選択は、図書館にとって最も重要な仕事であり、子どもたちに大きな影響を与えるだけに非常に大切です。
協会の選定図書は、各専門分野の選定委員約50名が、実際の書籍を一冊一冊に必ず目を通し、公共図書館に適している本として選択されたものです。





水曜デモの様子

2011/09/19

若き日本人女性の贖罪の旅



こういう日本人を根拠なく在日認定したり、安易に反日と罵ってみても、慰安婦騒動の本質は解明できない。

とはいえ、いつの間にか中国人慰安婦だけで20万人。韓国人の主張の中には、80%が韓国(朝鮮)人だと言っているものもあるから、「日本軍性奴隷」の総数は軽く100万人を超えそうだ。

「慰安婦」贖罪の旅を続ける若き日本人女性

18日は、旧日本軍による中国侵略が始まった「九・一八」事変(満州事変)から80年目にあたる。80年経った今も、戦争の痕跡は決して消えてはいない。約20万いたとされる中国人慰安婦のうち、28人が存命している。東方早報が伝えた。

慰安婦という歴史的事実が忘れ去られることのないよう、東方早報記者は、彼女らを探しに海南を訪れた。彼女たちは、屈辱と偏見という重荷を背負って生きており、多くが貧困の中にあった。歴史は常に前に進んでいる。「80後(1980年代生まれ)」の日本人女性・米田麻衣さんはここ数年、海南、上海、ハルビンなど中国各地に何度も足を運び、「慰安婦」生存者の自宅に入り、食事と寝泊まりを共にし、真心と笑顔で彼女たちに接しているという。

人民網日本語版 2011.9.19  

2011/08/13

日本の市民団体、北京で慰安婦展



主導したのは例によってWamだろう。彼女たちは昨年も中国で「日本軍が性暴力行為を犯した場所を突き止め、全世界3000カ所以上を地図上に点で示」すなどという事をやっていた。

彼女たちのこうした行動は、韓国や中国人の運動家たちからも少なからず驚きで迎えられているらしいのだが、本人達はこうした行いによって自分(と日本国)が浄化されると考えているようである。一種の宗教的使命感に近いものがあるのかもしれない。

追記: 8月14日、朝日、産経新聞でも記事になった。

<中国>北京で慰安婦パネル展

戦前の中国などアジア各地であった旧日本軍による女性への性暴力を巡り、被害者と加害者双方の証言などを集めたパネル展「日本人は歴史とどう向き合ってきたか」が14日、中国・北京市の「中国人民抗日戦争紀念館」で始まる。「慰安婦」損害賠償訴訟を支援した日本の市民グループでつくる実行委と同紀念館が主催。北京での慰安婦問題に関するパネル展は初。

毎日新聞 2011.8.12

「日本軍性暴力パネル展」始まる 北京郊外で日中共催

北京市郊外の中国人民抗日戦争記念館で14日、旧日本軍による女性に対する性暴力をテーマにした「日本軍性暴力パネル展」が日本の市民団体と同記念館の共催で始まった。中国やアジア各国の被害女性の状況などを100枚以上のパネルで説明する内容。11月までの開催を予定している。

主催者は「両国間には歴史認識の違いがある。こうした交流を通じ、相互理解を深め、共通認識を増やしたい」(同記念館)とする。この日の開幕式には中国の被害女性らも駆けつけ、山西省の劉面換さん(84)は「日本軍に銃で殴られ、今も左手が不自由だ」などと訴えた。(北京=古谷浩一)

朝日新聞 2011.8.14

北京の抗日記念館で慰安婦被害パネル展

北京市郊外の盧溝橋にある「中国人民抗日戦争記念館」で14日、第2次大戦中に中国などで日本軍により性的暴力を受けた慰安婦被害に関するパネル展が始まった。同記念館と日本の市民団体の共催で、期間は3カ月間。

北京で慰安婦問題に関する展示が行われるのは初めて。同日の開幕式で李宗遠副館長は「約500枚の資料写真などは日本の良識ある学者や市民団体が提供した。展示が中日の相互理解や友好に貢献すると期待する」とあいさつした。

パネル展は日本側の市民団体の働き掛けで実現。中国政府は慰安婦問題について「日本軍国主義が犯した深刻な重罪の一つ」と位置付けているが、政府主導での実態調査や展示会などは行ったことがない。(共同)

産経 8.14

2011/05/21

風刺画家橋本勝、韓国の学生と交流


橋本勝といえば、安倍首相の失言騒動の時、右上のイラストと共にこのように書いた(日刊ベリタ 2007.3.12)。

「『河野談話』の中でも、軍の関与は認めていた。だが今回、首相が、軍は直接的な強制連行などはしていないと、姑息なことを言い出したのだ。...安倍首相の本音としては、すべては民間業者がやったこと、誇り高き日本軍がそんな破廉恥なことはやっていないとしたいのだろう。...慰安婦にされた女性の痛み、苦しみを、鋭敏に感じ取り、そして、そんな制度を作ることをよしとした侵略戦争を始めた日本帝国、その軍隊、そんな歴史への想像力を巡らすならば、この問題の本質が分かるはずだ」

政府はAを認めた、それなのにBはないと安倍総理は言い張る!と橋本は憤る。ここでA≠Bなのがミソなのだろうが、それはともかく、橋本は今回水曜デモに参加し、渡韓の機会を利用して韓国の学生たちと交流を持った。もっとも、テーマは慰安婦問題ではなく、風刺漫画についてであった。

憲法九条の理念を韓国人に伝えるという試みもあって良かったかもしれない。韓国はまだ終戦を迎えていないのだから。


イラストレーター(風刺マンガ家)の橋本勝さんが、韓国の祥明大学・天安キャンパスで特別授業を行った...

同校の高慶日教授は正義感が強く「風刺マンガ」で有名で、京都精華大学に留学体験があり日本語も流暢で、留学当時、橋本さんの「風刺マンガ」に接し関心を持ち、約600人が参加している「韓国時事(風刺)マンガ協会」にも所属している。この度、橋本さんが日本軍慰安婦の『水曜デモ』に参加のため訪韓する事を知り招待された。

5月12日の午前中にはプロジェクターを使い、橋本さんの経歴や作品の紹介をしながら、100人ほどの学生の前で「風刺マンガ」の意義や発想などについて話した。...

橋本さんの絵は「一口風刺マンガ」で言葉が要らず、国境を超え絵だけで理解でき好評であった。大凡7割程度が女子学生で、高教授は学生たちに大変な人気である。

講演後、橋本さんが持参した本や9条「ハンカチ」などを抽選で学生20名ほどにプレゼントした処、サイン責めにあっていた。

帰路のソウルで韓国の週刊誌『時事IN』のインタビューを受けて帰国した...

JANJAN 2011.5.15 (一部)


小泉首相に「鈍感力で行け」とアドバイスされたからでもないだろうが、安倍首相の鈍感力には呆れた。先の戦争で日本軍の兵士の性欲を発散させるための相手として苦役を強いられた女性たち、いわゆる「従軍慰安婦」問題に対する首相の発言が物議をかもしている。1993年の慰安婦への謝罪と反省を表明した「河野談話」の中でも、軍の関与は認めていた。だが今回、首相が、軍は直接的な強制連行などはしていないと、姑息なことを言い出したのだ。これに対し当然、韓国も中国も反発、米紙NYタイムズは改めて元慰安婦の証言を載せ、「慰安婦問題」の非人道性を訴えた。安倍首相の本音としては、すべては民間業者がやったこと、誇り高き日本軍がそんな破廉恥なことはやっていないとしたいのだろう。かつて「河野談話」を批判し「慰安婦」が教科書に載ることに猛反対した議員グループの先頭に立っていた安倍さんだ。慰安婦にされた女性の痛み、苦しみを、鋭敏に感じ取り、そして、そんな制度を作ることをよしとした侵略戦争を始めた日本帝国、その軍隊、そんな歴史への想像力を巡らすならば、この問題の本質が分かるはずだ。安倍首相のそんな「美事な鈍感力」では、「美しい国」のトップをとてもまかすわけにはいかない。

2011/05/20

水曜デモに大阪から日本市民が合流



そういえば、前に関西から子供を動員したケースもあったような。恐らく彼女たちは、水曜デモを一種の平和運動だと理解しているのだろう。





水曜集会スローガン叫ぶ日本人たち

18日午後ソウル、鍾路区(チョンノグ)、中学洞(チュンハクトン)日本大使館の前で開かれた日本軍「慰安婦」問題解決のための定期水曜集会に大阪で訪韓した平和救助隊会員たちが共にスローガンを叫んでいる。

Daum 2011.5.18



ハルモニの手に折り鶴






수요집회 구호 외치는 일본인들


18일 오후 서울 종로구 중학동 일본대사관 앞에서 열린 일본군 '위안부' 문제해결을 위한 정기 수요집회에 오사카에서 방한한 평화구조대 회원들이 함께 구호를 외치고 있다.

2011/05/15

慰安婦騒動の仕掛け人、元社会党議員 朝鮮統一に奔走中【清水澄子】



当時国会議員であった清水澄子は、91年、国会で朝鮮人女性(慰安婦)は「国家総動員法に基づいて挺身隊というのは徴用を受けた」と主張し(91.8.27)、同僚議員たちと一緒に政府を追及していた。政府は何度もそういった事実はないと説明していたが、彼女たちは納得しなかった。

しかし93年(93.3.23)には「政府は強制を立証する資料がないと表明しておられるわけですけれども、政府が考えられる強制というのはどのような内容でございますか」と、話を「強制連行(徴用)から「強制(性)」へとすり替えている。

彼女も話をすり替え慰安婦騒動を大きくした元凶の一人。2007年には当時の事をこう振り返って誇っているから、質が悪い。

吉見義明教授が防衛庁研究所図書館で「従軍」に関する軍の資料を発見し...私はこの資料で事実を政府に確認しました。 「強制とは何か」という質問に対して、政府は...だましたり脅したりして本人の意思に反して慰安婦にした場合も、強制だとはっきり答弁しています。 (日本の進路 2007.4

清水は自分の追及により政府が「強制」を認めたと言っているが、彼女は、もともとは強制連行(徴用)の事実を追及していたはずである。それが、「『従軍』に関する資料」がどうの騙しも「強制」であるという言質を政府から取ったのと自慢しているのだからメチャクチャである。支離滅裂である事は本人も重々承知のはず。こういう人間が日韓関係を悪くしてきたのである。

安倍元首相を「新しいアジアの友好的な関係を作ろうという意思」がないと批判した彼女だが、真に日韓友好を求める人々は、むしろ清水のような日本人を淘汰する所から始めるべきだろう。

そんな彼女は今、朝鮮半島の南北交流の為に奔走している。南北分断も日本のせいだと言いながら・・・。(以下、翻訳の精度が悪そうなので、注意して下さい)


「韓国は北に食糧を支援し、北には感謝の意を伝えねばならない」

(10)清水澄子元日本社民党議員

1991年11月25日. 南北の女性が分断46年ぶりにソウルで顔を合わせた。 分断後初めて北朝鮮女性が板門店を越え、南北統一と平和を歌った。 これを成功させた人物は韓国の女性でも北朝鮮の女性でもなかった。 4年以上韓国と北朝鮮のメッセンジャーの役割を果たした清水澄子前日本社民党議員の努力が隠れていた。 南北分断に対する日本の責任を主張する清水議員から南北女性交流を成功させるまでの後日談と今の南北関係に対する所感を聞いてみた。

→4・15金日成の誕生日を迎えて北朝鮮に行ったと聞いた。 この頃平壌の雰囲気はどうか.

-金日成主席生誕100年(2012年)を控えてお祝いムードでした。 昨年北朝鮮に行った時とは違い、住宅がよく整備されているという感じだった。 杏の花とレンギョウがとても綺麗に咲いていて、休日にお祭りが重なりより楽しそうな雰囲気に見えました。

→外部では北朝鮮が非常に貧しいことが知られているが。

-経済的に貧しいのは事実です。 それでも来年に強盛大国を控えて国民経済強化を最優先する一方、とても自信に満ちて動いているということが分かりました。 技術などの色々な側面で遅れましたが、そんな中で自分たちの力で成し遂げるという意欲がすごいと感じました。

→何度目の北朝鮮訪問か。

-24回目です。 1972年に行ったのが最初でした。

→どんな契機で北朝鮮問題に関与することになったか。

-1972年北朝鮮の招請で初めて平壌を訪問しました。 その時までしても日本では朝鮮半島は認識の対象ではなかった。 当時北朝鮮で博物館、歴史展示館などを見て、日本が韓半島を植民支配したとのことを初めて知りました。 いわゆる女性運動、平和運動をする私が日本のこういう野蛮な行動を知らずにいたというからものすごく衝撃を受けました。

→南北が分断されたところに日本の責任を感じると主張しているのに….

-日本が起こした戦争で韓半島が踏みにじられた後、解放されることもなく、逆に連合軍によって分割占領されてではないか。 日本が敗戦したので韓半島を日本の領土と見て犠牲になったのだ。 植民支配が原因になって分断という犠牲を強要されているという意味で日本は韓半島問題に関心を持たなければなければならないと考えます。

→1991年の韓国、北朝鮮の女性交流にどんな契機に参加することになったか。

-1987年8月イ・ウジョン当時女性団体連帯共同代表が、「原水爆禁止世界大会(?)」に参加するため来日されました。 監視を避け、夜彼女が泊まっているホテルを訪ねて行って韓国の民主化の話を聞きたいと言いました。 するとイ代表の方から北朝鮮同胞の話を聞かせてくれと言われました。 イ代表は「同族なのに四十年以上会っていられない。 北朝鮮については何も分からない。 日本で北朝鮮女性に会うことができないか」と言って、韓国と北朝鮮の女性が会える場を作って欲しいとお願いされた。

実際日本と北朝鮮で国交が結ばれていなかった状況で、私としても大変難しいことでしたが、イ代表の情熱に感服するほかありませんでした。 それで誰に会いたいかと尋ねたところ「何と」ヨ・ヨング当時最高人民会議副議長(モンヤン ヨ・ウニョンの娘)を言うではありませんか(笑). その後4年間人伝を通じて北朝鮮に手紙を送った末に日本大会の開催が決定されました。 恐らく金日成主席に手紙が伝えられたと思われます。

→とても長い努力の末に成し遂げた成果だった。

-イ代表は南北が会うといえば政府の干渉を受けるから「アジア平和の女性の役割」でしたらどうかというアイディアを出しました。 行事の準備も文書では一切残さず、口頭でだけ伝え密かに準備しました。 正体が明らかになると思い、参加者も曖昧にしました。 三木睦子(故三木武夫前総理の夫人)、オタカ・ヨシコ自民党参議員などを招請しました。 後でロブト「自民党行事か」という誤解を受けることもありました。 大成功でした(笑い)。 日本で開かれた初めての大会に1000人以上が集まって大盛況を成し遂げました。

→集会で韓国、北朝鮮が同意を集めたか。

-日本が過去植民支配に対して謝罪しなければなければならないと主張しました。 平和・友好的な関係を作り韓国、北朝鮮女性の交流を拡大して、慰安婦問題も共に解決しようと同意を集めた。 政治の壁を壊すのはやはり民衆の力というものを感じた。

→同じ年11月にソウルで第2回大会が開かれた。

-韓国女性たちが真の大変だと思いました。 韓国に帰って統一院を動かしましたが、当時韓国ではこの集会に対する反発が強かった。 結局ヨ・ヨングがお父さんのヨ・ウニョンの墓地を参拝しましたが、約束した予定には無かったと政府で問題と見なして途中で北に帰りました。 途中でこわれたのは真に遺憾でしたが、集会当時あたかも南北が統一されたように興奮して感激した。 韓国と北朝鮮女性たちが抱いて泣いて笑う姿に感激しながらも、一方で分断の責任を感じました

→今と比較すると当時南北交流がとても活発だったようだ。

-民衆らの交流、対話がなければ和解と統一に行くことはできません。 2000年6・15南北共同宣言を発表した時いよいよ明るい時代がくるんだなと考えました。 軍事的観点にだけ相手を見れば憎しみと怒りしかできない。 昨年に色々な軍事的な問題があったがどのようにすれば緊張をなくすことができるかを考えなければなりません。

→南北統一が日本に脅威になると考えないか。

-そうではありません。 日本が(南北統一で)習うことができるのを学び、東北アジア支配の歴史だけでなく、前に東北アジア地域をどのようにするのか悩まなければなりません。 お互いの文化を尊重しながら地域の新しい未来、新しい状況を作るという考えないとこのような時代は100年以上も続きます。 人間性を発揮できる国を作らなければ、民主的で平和的な国になりにくい。 それを成し遂げるのが私たちの世代の役割だと考えます。

→韓国など国際社会の北朝鮮に対する食糧支援に対してはどう思うか。

-食糧支援は人道主義レベルの問題です。 南北間の対立があっても支援の意志がなければ対話の道は開かれません。 人間は一度支援をした国は忘れません。 日本人は戦後米軍の乾パン・脱脂粉乳などを受けながら占領軍に対する敵対感がなくなった。 やはり食べ物ということは人間に日常生活でなければ最も苦しいことではないのか。 北朝鮮も色々な支援に対して韓国同胞に感謝の意を伝えるのがいい。

→南北が統一されるなら、どんな形態が最も良いだろうか。

-他の国が口を出す問題ではありませんが、最も良いのは他の国の干渉なしで同じ民族どうし自らするのが最も良いと考えます。 双方の良い点を取り、統一を他の国の干渉や軍事的対立だけで考えないならば必ず実現されることラで考えます。 朝鮮民族は長い歴史と文化を持っています。 私は抗日運動や民主化闘争で朝鮮の民族性に大変驚いた。 より建設的な方向で経済発展だけでなく東北アジアの発展のために知恵を助けたら良いでしょう。 権力者でなく、市民たちが額を突き合わせれば良い知恵が出てくると考えます。


[나와 통일] “한국은 北에 식량 지원하고 北은 고맙다고 말해야 한다”

(10) 시미즈 스미코 前 일본 사민당 의원

1991년 11월 25일. 남북의 여성이 분단 46년 만에 서울에서 얼굴을 맞댔다. 분단 후 처음으로 북한 여성이 판문점을 넘어와 남북통일과 평화를 노래한 것. 이를 성사시킨 사람은 남한의 여성도 북한의 여성도 아니었다. 4년 넘게 남북한의 메신저 역할을 한 시미즈 스미코 전 일본 사민당 의원의 노력이 숨어 있었다. 남북 분단에 대한 일본의 책임을 주장하는 시미즈 의원으로부터 남북 여성 교류를 성사시키기까지의 뒷얘기와 현 남북관계에 대한 소회를 들어 봤다.

→4·15 김일성 생일을 맞아 북한에 다녀왔다고 들었다. 요즘 평양의 분위기는 어떤가.

-김일성 주석 탄생 100년(2012년)을 앞두고 축하 분위기였다. 작년에 북한에 갔을 때와 달리 주택이 잘 정비돼 있다는 느낌이었다. 살구꽃과 개나리꽃이 아주 예쁘게 폈고, 분위기가 휴일에 축제가 더해져 즐거워 보였다.

→외부에서는 북한이 매우 빈곤한 것으로 알고 있는데.

-경제적으로 빈곤한 것은 사실이긴 하다. 그래도 내년에 강성대국을 앞두고 국민 경제 강화를 최우선하는 한편 굉장히 자신감에 차서 움직이고 있다는 것을 알 수 있었다. 기술 등 여러 측면에서 늦었지만 그런 가운데서 자기들의 힘으로 이루겠다는 의욕이 대단하다고 느꼈다.

→몇 번째 방북인가.

-24번째다. 1972년에 간 게 처음이었다.

→어떤 계기로 북한 문제에 관여하게 됐나.

-1972년 북한의 초청으로 처음 평양을 방문했다. 그때까지만 해도 일본에서는 조선반도가 인식의 대상이 아니었다. 당시 북한에서 박물관, 역사전시관 등을 보고, 일본이 한반도를 식민지배했다는 것을 처음 알았다. 이른바 여성운동, 평화운동을 하는 내가 일본의 이런 야만적인 행동을 모르고 있었다니 엄청 충격을 받았다.

→남북이 분단된 데에 일본의 책임을 느낀다고 주장하고 있는데….

-일본이 일으킨 전쟁으로 한반도가 짓밟힌 뒤, 해방되지 못하고 오히려 연합군에 의해 분할 점령되지 않았나. 일본이 패전했기 때문에 한반도를 일본의 영토로 보고 희생자가 된 것이다. 식민지배가 원인이 돼 분단이라는 희생을 강요받고 있다는 의미에서 일본은 한반도 문제에 관심을 가져야 한다고 생각한다.

→1991년 남북한 여성 교류에 어떤 계기로 참가하게 됐나.

-1987년 8월 이우정 당시 여성단체연대 공동대표가 ‘원자폭단 금지 세계대회’ 참석차 일본에 왔다. 감시를 피해 밤에 그녀가 묵고 있는 호텔을 찾아가 한국의 민주화 이야기를 듣고 싶다고 했다. 그랬더니 오히려 이 대표가 북한 동포 이야기를 들려 달라고 했다. 이 대표는 “동족인데도 사십년 넘게 못 만나고 있다. 북한에 대해서는 아무것도 모른다. 일본에서 북한 여성을 만날 수 없겠느냐.”면서 남북한 여성이 만날 수 있는 장을 만들어 달라고 부탁했다.

사실 일본이 북한과 국교가 맺어져 있지 않은 상황에서 나로서도 상당히 어려운 일이었지만, 이 대표의 열정에 감복할 수밖에 없었다. 그래서 누구를 만나고 싶으냐고 물었더니 ‘무려’ 여연구 당시 최고인민회의 부의장(몽양 여운형의 딸)을 말하는 게 아닌가(웃음). 그 이후 4년간 인편을 통해 북한에 편지를 보낸 끝에 일본 대회 개최가 결정됐다. 아마도 김일성 주석에게 편지가 전달됐던 것 같다.

→굉장히 긴 노력 끝에 이뤄 낸 결실이었다.

-이 대표는 남북이 만난다고 하면 정부의 간섭을 받을 테니 ‘아시아 평화의 여성의 역할’로 하면 어떻겠느냐는 아이디어를 냈다. 행사 준비도 문서로는 일절 남기지 않고, 구두로만 전달해 몰래 준비했다. 정체가 드러날까 봐 참가자도 모호하게 했다. 미키 무쓰코(고 미키 다케오 전 총리의 부인), 오타카 요시코 자민당 참의원 등을 초청했다. 나중에 정부으로부터 “자민당 행사냐.”라는 오해를 받기도 했다. 대성공이었다(웃음). 일본에서 열린 첫 대회에 1000명 이상이 모여 대성황을 이뤘다.

→집회에서 남북한이 뜻을 모았나.

-일본이 과거 식민지배에 대해 사죄해야 한다고 주장했다. 평화·우호적인 관계를 만들어 남북한 여성의 교류를 확대하고, 위안부 문제도 함께 해결하자고 뜻을 모았다. 정치의 벽을 부수는 것은 역시 민중의 힘이라는 것을 느꼈다.

→같은 해 11월에 서울에서 제2차 대회가 열렸다.

-한국 여성들이 참 대단하다고 생각했다. 한국에 돌아가 통일원을 움직였다. 하지만 당시 한국에서는 이 집회에 대한 반발이 거셌다. 결국 여연구가 아버지 여운형의 묘소를 참배했는데, 약속한 일정엔 없었던 일이라고 정부에서 문제를 삼아 도중에 북으로 돌아갔다. 도중에 깨진 건 참 유감이었지만, 집회 당시 마치 남북이 통일된 것처럼 흥분하고 감격했다. 남북한 여성들이 껴안고 울고 웃는 모습에 감격하면서도 한편으로 분단의 책임을 느꼈다.

→지금과 비교하면 당시 남북 교류가 굉장히 활발했던 것 같다.

-민중들의 교류, 대화가 없으면 화해와 통일로 갈 수 없다. 2000년 6·15 남북공동선언을 발표했을 때 드디어 밝은 시대가 오는구나라고 생각했다. 군사적 관점으로만 상대를 보면 미움과 분노밖에 생기지 않는다. 작년에 여러 군사적인 문제가 있었지만 어떻게 하면 긴장을 없앨 수 있는지를 생각해야 한다.

→남북통일이 일본에 위협이 된다고 생각하지는 않나.

-그렇지 않다. 일본이 (남북통일에서) 배울 수 있는 것을 배우고, 동북 아시아 지배의 역사뿐 아니라 앞으로 동북아시아 지역을 어떻게 할 것인지 고민해야 한다. 서로의 문화를 존중하면서 지역의 새로운 미래, 새로운 상황을 만들겠다는 생각을 하지 않으면 이런 시대는 100년도 더 갈 것이다. 인간성을 발휘할 수 있는 나라를 만들지 않으면, 민주적이고 평화적인 나라가 되기 어렵다. 그걸 이룩하는 게 우리 세대의 역할이라고 생각한다.

→한국 등 국제사회의 북한에 대한 식량지원에 대해서는 어떻게 생각하나.

-식량지원은 인도주의 차원의 문제다. 남북 간의 대립이 있더라도 지원 의지가 없으면 대화의 길은 열리지 않는다. 인간은 한번 지원을 해 준 나라는 잊지 않는다. 일본인은 전쟁 후 미군의 건빵·탈지분유 등을 받으면서 점령군에 대한 적대감이 없어졌다. 역시 음식이라는 건 인간에게 일상생활에서 없으면 가장 괴로운 것 아니냐. 북한도 여러 지원에 대해 한국 동포들에게 고맙다고 말하는 게 좋다.

→남북통일이 된다면 어떤 형태가 가장 좋을까.

-다른 나라가 말할 문제는 아니지만 가장 좋은 건 다른 나라의 간섭 없이 같은 민족끼리 스스로 하는 게 가장 좋다고 생각한다. 양측의 좋은 점을 취하고 통일을 다른 나라의 간섭이나 군사적 대립만으로 생각하지 않는다면 반드시 실현될 것라고 생각한다. 조선 민족은 긴 역사와 문화를 가지고 있다. 나는 항일운동이나 민주화 투쟁에서 조선의 민족성에 크게 놀랐다. 보다 건설적인 방향으로 경제 발전뿐 아니라 동북아시아의 발전을 위해 지혜를 살려 주었으면 좋겠다. 권력자가 아니라 시민들이 머리를 맞대면 좋은 지혜가 나올 것으로 생각한다.

2011/04/08

中央日報の怒りは「鳩山現象」か?



ウォッチャーではないので確証はないが、中央日報がここまで常軌を逸するのは最近では珍しいのではないか?

よほど腹に据えかねることがあったのか。 韓国紙の対日批判は今に始まったことではないが、これはいつもの上から目線とは違うような気がする。

冷静に考えてみると、これは鳩山総理が沖縄に過大な期待を抱かせ、結果的に裏切られたと感じた沖縄の怒りを買ったように、韓国側に期待を持たせた民主党が政権の座についても、教科書問題、慰安婦問題、竹島問題での日本の立場は何も変わらなかったという現実にフラストレーションを募らせた結果ではないのだろうか?

この記事の肝は後半か。韓国が理解しなければならないのは、今までの民主党は野党の気楽さで「ええ格好」をしていたのであって、実際に国政を任されるとそうもしてられないのである。韓国側としては、啖呵売に当たり前の商品を高額で買わされたようなもので、後でそれに気づいて腹立たしくて仕方がないのだろう。

それにしても、「今回の東日本大震災に続くわれわれの態度は、長時間積み重ねられたわれわれの精神文化が光を放つ契機となった」とはいかがなものか。 


日本は中世以前まで生活の技術も粗末で、地方政府に対する統制もまともにされない国だったで。朝鮮時代にわれわれが日本を倭と呼んで見下した理由は、朱子学を中心に高度な精神文化を成し遂げたわれわれの立場からは正しい衣服さえ着ておらず、ふんどしひとつで略奪を日常的に行う対馬の海賊がそのまま日本のイメージだったためだった。 しかし近代に入ると状況が変わった。

しかし近代に入ると状況が変わった。海上輸送が発達し、欧州の文物がインド洋と太平洋を越え直接日本に流入し、新文物に渇望した日本は欧州の武器と制度を受け入れ急成長した。それまで文化は大陸から半島を経てわれわれが日本に伝授する立場だったが、逆に海を通って新しい文物が流入するとは想像できなかったため、これらの変化を眺める衝撃は大きかった。

現代になり日本は新しいインテリに華麗に変貌した。アジアで無視されていたのをひっくり返そうとするような彼らの成長はまぶしかった。しかし精神的基盤もなく刀と金を握ったインテリの力は言葉どおり災難だった。「大東亜戦争」という美名の下で行われた惨憺たる戦争はアジアの多くの人々にぬぐうことのできない痛みを抱かせた。精神文化が土台となっていない物質文明がどれだけ危険なことかをよく示している惨劇だった。 この結果に対して日本だけを恨むものではない。

われわれは過去の一時期、遠慮なく日本を無視し蔑視した。その結果長い間の劣等感が醸し出した日本の大国指向的帝国主義はわれわれにブーメランとなって返ってきたのだ。

だが、今回の東日本大震災に続くわれわれの態度は、長時間積み重ねられたわれわれの精神文化が光を放つ契機となった。 隣国に広がった惨憺とした現実に旧怨を越えてわれわれが見せた患難相恤の精神は自分たちが見ても満足だった

しかしわれわれの心とは別に日本の態度は相変らず残念なものだ。代表的なものが領土問題だ。心が痛くて凄然とするほどだ。この数世紀の間、東洋の精神文化に対する疎外が彼らにこんなにまで作用しているのかと思う。独島(トクト、日本名・竹島)がいくらほしくても、隣人の心を得ることほどの価値があるとは考えられない。「領土を得るのはその土地分だけの利益だが、隣人の心を得るのは無尽蔵な時間の利益」という点を忠告したい。

中央日報2011.4.8

2011/02/14

元法相のナヌムの家訪問は、新たな「最低でも県外」?



こういった報道からだけでは、本人の真意というのは分からないものだが、鳩山由紀夫という人物を総理大臣にして日本人が思い知ったのは、他人を喜ばせようと前後を考えずリップサービスすると、結局は相手をより深く傷つけてしまうということだ。

ナヌムの家のハルモニは、支援団体らに「日本政府は謝ったことがない」と教えられ、そう信じている。元大臣経験者が訪れたとなれば、日本が方針を転換する予兆のように受けとられるかもしれない。しかし実際はどうなのだろう?杉浦には何かあてでも有るのだろうか?

「私的な訪問」と杉浦は言うが、問題は、韓国のマスコミやハルモニがどう受け取るかである。実際韓国の東亜日報の記事では、元慰安婦の一人が、「韓日過去史清算のかを見ていない日本政府の謝罪と補償を受けるまで絶対に死なない」と話したと伝えられている。

杉浦は、小泉首相が慰安婦に送った謝罪の手紙の事をハルモニたちに再度確認したのだろうか?欧米の学者の中にも、一連の日本側の誠意(?)は韓国のNGOなどにより妨害されたと指摘している人がいるのだが?

小泉純一郎内閣で法相を務めた杉浦正健氏が13日、韓国の金成浩元法相とともに、元従軍慰安婦の女性が共同生活するソウル近郊の施設「ナヌムの家」に、女性らを訪問した。聯合ニュースが伝えた。

同ニュースによると、杉浦氏は、私的な訪問だと説明した上で「会って被害を確認したかった。(見聞きしたことは)日本に帰って知らせたい」とし「若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と述べたという。

ナヌムの家には現在、元慰安婦の女性8人が暮らしている。写真左の人物は、韓国の金成浩元法相らしい。

共同2011.2.14

たとえ、杉浦が「(日本)の若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と言ったのだとしても、それは彼が日本の歴史教科書が歪曲されていることを認めたものとは限らないだろう。しかし、韓国ではどう受け止められるか、それが問題なのである。

写真を見る限り、ハルモニは本気で感動しているように見える。

追記: 朝鮮日報

韓国と日本の法相経験者が、旧日本軍の元従軍慰安婦の女性たちが暮らす京畿道広州市の「ナヌムの家」を訪問した。日本の杉浦正健元法相(76)と、金成浩(キム・ソンホ)法務部(省に相当)長官(61)は13日、「ナヌムの家」の追悼公園で献花し、教育観や歴史観について意見を交わした後、生活館で元慰安婦たちと面会した。今回の訪問には、「ナヌムの家」の後援会長を務める李翰成(イ・ハンソン)議員(ハンナラ党)や、韓国文化財団イ・チャング理事も同行した。

杉浦元法相は「個人的に韓国を訪問した」と前置きした上で「元慰安婦の女性たちと直接会い、被害の実情を確認したかった。日本に帰って、今回見聞きしたことを伝えたい。未来を信じ、若者たちに正しい歴史が伝えられることを望んでいる」と語った。衆議院議員を通算6期務めた杉浦氏は、2005年から06年にかけて法相を務めた。一方、金元長官は現在、財団法人「幸福財団」の理事長を務めている。

元慰安婦たちは「歴史問題の解決に向け、前向きな姿勢を見せない日本政府の謝罪や補償が実現するまでは絶対に死ねない」と発言した。これに対し金元長官は「謝罪を望むのであれば、長生きしなければいけない」と語りかけた。「ナヌムの家」側は「純粋に一民間人として、悲しい歴史の現場を訪れ、被害の実情を把握し痛みを分かち合うため、今回の訪問を快諾した」と話した。現在、「ナヌムの家」には生存している元慰安婦75人のうち8人が暮らしている。

朝鮮日報2011.2.14

2011/02/10

日本の元法相ナヌムの家訪問へ【痛みを分かち合う】



Wikipediaによれば、小泉純一郎総理の側近の一人であったとか。法務大臣在職中は、死刑執行命令者への署名を拒み通した。ナヌムの家の説明によると、「痛みを分かち合う」のが趣旨であるとのこと。


自民党前衆院議員の杉浦正健・元法相は13日午後1時に旧日本軍慰安婦の女性らが共同生活する京畿道・広州の施設「ナヌムの家」を訪れる。

杉浦元法相は、慰安婦被害女性らを慰労するほか、追悼公園や慰安婦歴史館にも足を運ぶ。韓国側は金成浩(キム・ソンホ)元法務部長官らが出席する。

「ナヌムの家」関係者は、「韓日両国の元法相が民間レベルで歴史の痛切な現場を訪れ、慰安婦被害女性の実情を把握し、痛みを分かち合う」と説明した。

杉浦元法相は、内閣官房副長官(2004年)を経て、自民党の国家戦略本部事務総長などを歴任した。

2011/01/03

ハルモニの葬儀と日本人ボランティア【08年】




ハルモニをお見舞いに行く度に日本政府が謝ったかどうか聞かれる、それが辛い。これは二年前の記事だが、村山一兵は今でもこの話を繰り返している。しかしそれならなぜ、「日本政府は謝った」と本当の事を教えてやらないのだろうか?

ネットに上がっている訪問記などを読むと分かるが、実はナヌムの家のハルモニと日本人はとても良い関係にある。しかしながら、大勢の日本人ボランティアがいても一向に誤解は解けない。それは、日本人が本当のことを伝えないからなのだろう。


ムン・ピルギ・ハルモニの告別式…ボランティアの日本人留学生「私たち申し訳なくて」

日本軍慰安婦被害者ムン・ピルギ(82)ハルモニの告別式が7日京畿(キョンギ)広州市(クァンジュシ)、光州(クァンジュ)葬儀場で開かれた。

1943年慰安婦で強制動員されたムン・ハルモニは2003年10月からナムヌの家に暮らし5日亡くなった。

ムン・ハルモニは結婚ぜず血縁は妹一人だけだ。 だが、告別式場は遺族の代わりに弔問客をむかえる若者たちで混みあった。

日本人留学生と市民運動家など30人余りが眼に入った。 語学研修や留学のため韓国に来て帰ってナムヌの家と縁を結んだ人々だ。

彼らは普段からナムヌの家を定期的に探してハルモニたちを慰めた。 また、韓国と日本を行き来して証言集会を開くなど慰安婦問題を知らせる活動をしてきた。

彼らはムン・ハルモニの死亡の報を聞き三日間交代で葬儀室を守った。 告別式場では弔問客を案内して他の慰安婦ハルモニの挙動を助けた。

日本人代表で追悼の辞を読んだ村山一兵氏は「ハルモニが病院に入院中に訪ねて行くと、いつも「日本は謝罪したか?」と気にしなかったことがなく胸が痛い。 いつも孫のようによく接して下さる感謝しまう」と最後の挨拶をした。

一兵氏は2003年延世大に留学に来てナムヌの家を訪問した後、日本に帰らず慰安婦歴史館研究員として働いている(注: 村山は一度帰国して大学を卒業している。機械翻訳が正確でないのかもしれない)。

彼はムン・ハルモニの葬式の後、当日の午後慰安婦証言集会のために北海道に発った。

また他の日本人留学生は「日本の若者たちが訪ねてくる度に、ハルモニたちは顔を一度もしかめなかった」「手を握ってくれ、君たちだけ信じると歓迎したハルモニたちにとても申し訳ない」と目がしらを赤くした。

ナムヌの家アン・シングォン(46)事務局長は「ムン・ハルモニは性格が明るく、情が深く日本学生たちがたくさん従った」として「最後行くところが孤独でなかっただろう」と話した。

ムン・ハルモニの死亡でナムヌの家にはキム・クンジャ(82)ハルモニら7人が残った。

東亜日報 2008.3.8
http://www.donga.com/fbin/output?n=200803080156


恨 못풀고 간 위안부 할머니 마지막 길 지킨 일본 청년들

문필기 할머니 영결식… 자원봉사 日 유학생 “저희가 죄송스러워”

일본군 위안부 피해자 문필기(82) 할머니의 영결식이 7일 경기 광주시 광주장례식장에서 열렸다.

1943년 위안부로 강제 동원됐던 문 할머니는 2003년 10월부터 나눔의 집에서 살다가 5일 세상을 떠났다.

문 할머니는 결혼을 하지 않아 혈육이라곤 여동생 1명뿐이다. 하지만 영결식장은 유족 대신 조문객을 맞는 젊은이들로 붐볐다.

일본인 유학생과 시민운동가 등 30여 명도 눈에 띄었다. 어학연수나 유학차 한국에 왔다가 나눔의 집과 인연을 맺은 사람들이다.

이들은 평소에도 나눔의 집을 정기적으로 찾아 할머니들을 위로했다. 또 한국과 일본을 오가며 증언 집회를 여는 등 위안부 문제를 알리는 활동을 해 왔다.

이들은 문 할머니의 별세 소식을 듣고 사흘간 교대로 빈소를 지켰다. 영결식장에서는 조문객을 안내하고 다른 위안부 할머니의 거동을 도왔다.

일본인 대표로 추도사를 한 무라야마 잇페이(村山一兵) 씨는 “할머니가 병원에 입원 중일 때 찾아가면 항상 ‘일본이 사죄했느냐’며 관심을 놓은 적이 없었는데 가슴이 아프다. 항상 손자처럼 잘 대해 주셔서 감사드린다”고 마지막 인사를 드렸다.

잇페이 씨는 2003년 연세대에 유학 왔다가 나눔의 집을 방문한 뒤 일본에 돌아가지 않고 위안부역사관 연구원으로 일하고 있다.

그는 문 할머니의 장례식 뒤 이날 오후 위안부 증언 집회를 위해 일본 홋카이도(北海道)로 떠났다.

또 다른 일본인 유학생은 “일본 젊은이들이 찾아올 때마다 할머니들이 얼굴 한번 찌푸리지 않았다”며 “손을 잡아주며 너희들만 믿는다고 반겨준 할머니들께 너무 죄송하다”며 눈시울을 붉혔다.

나눔의 집 안신권(46) 사무국장은 “문 할머니가 성격이 밝고 정이 많아 일본 학생들이 많이 따랐다”며 “마지막 가시는 길이 외롭지 않았을 것”이라고 말했다.

문 할머니의 별세로 나눔의 집에는 김군자(82) 할머니 등 7명이 남았다.

donga.com 2008-03-08