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2011/10/13

服部良一議員 水曜デモに参加



慰安婦問題の反日デモに参加 社民党の服部良一衆院議員

【ソウル=加藤達也】元慰安婦を支援する団体が12日、ソウルの在韓日本大使館前で開いたデモに社民党の服部良一衆院議員(比例近畿)が参加した。服部氏は「野蛮な行いをしながら公式な謝罪をしていないのは、日本の国会議員として恥ずかしい帰国したら慰安婦問題を広める」と発言。「闘うぞ」とのシュプレヒコールを上げた。

服部氏は産経新聞の取材に「以前から関心があったので参加した」と話した。

この集会には2003年、民主党の岡崎トミ子元国家公安委員長が参加し、問題視された。

産経 2011.10.12

2011/10/10

外務省を包囲せよ、慰安婦「人間の鎖」アクション2011




問い合わせ先がピースボートになっている。反原発デモなどの流れを上手く取り込んだか?保守系の市民団体が対抗の動きを見せるかも知れないが(追記:保守系の女性たちがこれに対抗するデモを企画した)、やり方を間違えると、「善良な市民VS日本の極右」の構図で共同通信(英字版)辺りに「拡散」されてしまうかもしれない。間違いなく韓国のメディアはそういった「絵」を喜ぶだろう。

この市民行動を主催する「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動2010」は、先月衆議院会館で「市民と国会議員の集い」を開催している。これには、韓国から日本大使館前に「慰安婦の碑」を建てるとぶちあげて日韓の外交問題に発展させた挺対協のユン・ミヒャン(尹美香)代表や、中国で「日本軍性奴隷展」を開催して帰ったwamの池田恵理子が馳せ参じるなど、良心的日本市民・議員と韓国の反日活動家共闘の図となった。

...日本軍「慰安婦」裁判で唯一の勝訴判決「下関判決」を勝ち取った山本晴太弁護士をお招きして、韓国憲法裁判所決定の内容、決定後の韓国政府および韓国国会等の動き、それが日本に及ぼす効果などについて、お話を伺います。
また、緊急来日した韓国挺身隊問題対策協議会の尹美香常任代表から、韓国の動きについてホットな報告をしていただきます。

共催:戦時性暴力問題連絡協議会/日本軍「慰安婦」問題解決全国行動2010


第2次世界大戦で旧日本軍が各国で女性を連行し、性行為を強制した「慰安婦」問題の早期解決を求める集いが21日、衆議院第2議員会館内で開かれ、約80人が参加しました。早期解決を求めて運動してきた市民団体や個人がよびかけました。

...女たちの戦争と平和資料館(wam)の池田恵理子館長が、高齢となり次々と亡くなっている中国山西省の元「慰安婦」の現状を報告。...日本共産党の紙智子参院議員が「日本政府が主体的立場で被害者に謝罪し、早期解決するよう働きかけていく」とあいさつしたほか、民主、社民両党国会議員があいさつしました。

赤旗 2011.9.22

2011/09/23

議員集会2011.9



議員会館で時折開かれる市民団体と進歩派議員の会合。またしても、真面目だが事情が良く分かっていない旧軍兵士が引っ張り出されたようだ。

第2次世界大戦で旧日本軍が各国で女性を連行し、性行為を強制した「慰安婦」問題の早期解決を求める集いが21日、衆議院第2議員会館内で開かれ、約80人が参加しました。早期解決を求めて運動してきた市民団体や個人がよびかけました。

韓国の憲法裁判所は8月30日、韓国政府に対し、「慰安婦」問題は1965年の日韓請求権協定の対象外であり、韓国政府は日本政府と外交交渉すべきである、との決定を下しました。この決定を受け、戦時性的強制被害者問題解決促進法の成立などの野田新政権の「慰安婦」問題早期解決への対応が注目されるなか、開いたもの。

女たちの戦争と平和資料館(wam)の池田恵理子館長が、高齢となり次々と亡くなっている中国山西省の元「慰安婦」の現状を報告。元日本軍衛生兵で、同省孟県で、集落の女性を「慰安婦」にした松本栄好(まさよし)さん(89)が、加害体験を語りました。

日本共産党の紙智子参院議員が「日本政府が主体的立場で被害者に謝罪し、早期解決するよう働きかけていく」とあいさつしたほか、民主、社民両党国会議員があいさつしました。

赤旗 2011.9.22

2011/05/15

慰安婦騒動の仕掛け人、元社会党議員 朝鮮統一に奔走中【清水澄子】



当時国会議員であった清水澄子は、91年、国会で朝鮮人女性(慰安婦)は「国家総動員法に基づいて挺身隊というのは徴用を受けた」と主張し(91.8.27)、同僚議員たちと一緒に政府を追及していた。政府は何度もそういった事実はないと説明していたが、彼女たちは納得しなかった。

しかし93年(93.3.23)には「政府は強制を立証する資料がないと表明しておられるわけですけれども、政府が考えられる強制というのはどのような内容でございますか」と、話を「強制連行(徴用)から「強制(性)」へとすり替えている。

彼女も話をすり替え慰安婦騒動を大きくした元凶の一人。2007年には当時の事をこう振り返って誇っているから、質が悪い。

吉見義明教授が防衛庁研究所図書館で「従軍」に関する軍の資料を発見し...私はこの資料で事実を政府に確認しました。 「強制とは何か」という質問に対して、政府は...だましたり脅したりして本人の意思に反して慰安婦にした場合も、強制だとはっきり答弁しています。 (日本の進路 2007.4

清水は自分の追及により政府が「強制」を認めたと言っているが、彼女は、もともとは強制連行(徴用)の事実を追及していたはずである。それが、「『従軍』に関する資料」がどうの騙しも「強制」であるという言質を政府から取ったのと自慢しているのだからメチャクチャである。支離滅裂である事は本人も重々承知のはず。こういう人間が日韓関係を悪くしてきたのである。

安倍元首相を「新しいアジアの友好的な関係を作ろうという意思」がないと批判した彼女だが、真に日韓友好を求める人々は、むしろ清水のような日本人を淘汰する所から始めるべきだろう。

そんな彼女は今、朝鮮半島の南北交流の為に奔走している。南北分断も日本のせいだと言いながら・・・。(以下、翻訳の精度が悪そうなので、注意して下さい)


「韓国は北に食糧を支援し、北には感謝の意を伝えねばならない」

(10)清水澄子元日本社民党議員

1991年11月25日. 南北の女性が分断46年ぶりにソウルで顔を合わせた。 分断後初めて北朝鮮女性が板門店を越え、南北統一と平和を歌った。 これを成功させた人物は韓国の女性でも北朝鮮の女性でもなかった。 4年以上韓国と北朝鮮のメッセンジャーの役割を果たした清水澄子前日本社民党議員の努力が隠れていた。 南北分断に対する日本の責任を主張する清水議員から南北女性交流を成功させるまでの後日談と今の南北関係に対する所感を聞いてみた。

→4・15金日成の誕生日を迎えて北朝鮮に行ったと聞いた。 この頃平壌の雰囲気はどうか.

-金日成主席生誕100年(2012年)を控えてお祝いムードでした。 昨年北朝鮮に行った時とは違い、住宅がよく整備されているという感じだった。 杏の花とレンギョウがとても綺麗に咲いていて、休日にお祭りが重なりより楽しそうな雰囲気に見えました。

→外部では北朝鮮が非常に貧しいことが知られているが。

-経済的に貧しいのは事実です。 それでも来年に強盛大国を控えて国民経済強化を最優先する一方、とても自信に満ちて動いているということが分かりました。 技術などの色々な側面で遅れましたが、そんな中で自分たちの力で成し遂げるという意欲がすごいと感じました。

→何度目の北朝鮮訪問か。

-24回目です。 1972年に行ったのが最初でした。

→どんな契機で北朝鮮問題に関与することになったか。

-1972年北朝鮮の招請で初めて平壌を訪問しました。 その時までしても日本では朝鮮半島は認識の対象ではなかった。 当時北朝鮮で博物館、歴史展示館などを見て、日本が韓半島を植民支配したとのことを初めて知りました。 いわゆる女性運動、平和運動をする私が日本のこういう野蛮な行動を知らずにいたというからものすごく衝撃を受けました。

→南北が分断されたところに日本の責任を感じると主張しているのに….

-日本が起こした戦争で韓半島が踏みにじられた後、解放されることもなく、逆に連合軍によって分割占領されてではないか。 日本が敗戦したので韓半島を日本の領土と見て犠牲になったのだ。 植民支配が原因になって分断という犠牲を強要されているという意味で日本は韓半島問題に関心を持たなければなければならないと考えます。

→1991年の韓国、北朝鮮の女性交流にどんな契機に参加することになったか。

-1987年8月イ・ウジョン当時女性団体連帯共同代表が、「原水爆禁止世界大会(?)」に参加するため来日されました。 監視を避け、夜彼女が泊まっているホテルを訪ねて行って韓国の民主化の話を聞きたいと言いました。 するとイ代表の方から北朝鮮同胞の話を聞かせてくれと言われました。 イ代表は「同族なのに四十年以上会っていられない。 北朝鮮については何も分からない。 日本で北朝鮮女性に会うことができないか」と言って、韓国と北朝鮮の女性が会える場を作って欲しいとお願いされた。

実際日本と北朝鮮で国交が結ばれていなかった状況で、私としても大変難しいことでしたが、イ代表の情熱に感服するほかありませんでした。 それで誰に会いたいかと尋ねたところ「何と」ヨ・ヨング当時最高人民会議副議長(モンヤン ヨ・ウニョンの娘)を言うではありませんか(笑). その後4年間人伝を通じて北朝鮮に手紙を送った末に日本大会の開催が決定されました。 恐らく金日成主席に手紙が伝えられたと思われます。

→とても長い努力の末に成し遂げた成果だった。

-イ代表は南北が会うといえば政府の干渉を受けるから「アジア平和の女性の役割」でしたらどうかというアイディアを出しました。 行事の準備も文書では一切残さず、口頭でだけ伝え密かに準備しました。 正体が明らかになると思い、参加者も曖昧にしました。 三木睦子(故三木武夫前総理の夫人)、オタカ・ヨシコ自民党参議員などを招請しました。 後でロブト「自民党行事か」という誤解を受けることもありました。 大成功でした(笑い)。 日本で開かれた初めての大会に1000人以上が集まって大盛況を成し遂げました。

→集会で韓国、北朝鮮が同意を集めたか。

-日本が過去植民支配に対して謝罪しなければなければならないと主張しました。 平和・友好的な関係を作り韓国、北朝鮮女性の交流を拡大して、慰安婦問題も共に解決しようと同意を集めた。 政治の壁を壊すのはやはり民衆の力というものを感じた。

→同じ年11月にソウルで第2回大会が開かれた。

-韓国女性たちが真の大変だと思いました。 韓国に帰って統一院を動かしましたが、当時韓国ではこの集会に対する反発が強かった。 結局ヨ・ヨングがお父さんのヨ・ウニョンの墓地を参拝しましたが、約束した予定には無かったと政府で問題と見なして途中で北に帰りました。 途中でこわれたのは真に遺憾でしたが、集会当時あたかも南北が統一されたように興奮して感激した。 韓国と北朝鮮女性たちが抱いて泣いて笑う姿に感激しながらも、一方で分断の責任を感じました

→今と比較すると当時南北交流がとても活発だったようだ。

-民衆らの交流、対話がなければ和解と統一に行くことはできません。 2000年6・15南北共同宣言を発表した時いよいよ明るい時代がくるんだなと考えました。 軍事的観点にだけ相手を見れば憎しみと怒りしかできない。 昨年に色々な軍事的な問題があったがどのようにすれば緊張をなくすことができるかを考えなければなりません。

→南北統一が日本に脅威になると考えないか。

-そうではありません。 日本が(南北統一で)習うことができるのを学び、東北アジア支配の歴史だけでなく、前に東北アジア地域をどのようにするのか悩まなければなりません。 お互いの文化を尊重しながら地域の新しい未来、新しい状況を作るという考えないとこのような時代は100年以上も続きます。 人間性を発揮できる国を作らなければ、民主的で平和的な国になりにくい。 それを成し遂げるのが私たちの世代の役割だと考えます。

→韓国など国際社会の北朝鮮に対する食糧支援に対してはどう思うか。

-食糧支援は人道主義レベルの問題です。 南北間の対立があっても支援の意志がなければ対話の道は開かれません。 人間は一度支援をした国は忘れません。 日本人は戦後米軍の乾パン・脱脂粉乳などを受けながら占領軍に対する敵対感がなくなった。 やはり食べ物ということは人間に日常生活でなければ最も苦しいことではないのか。 北朝鮮も色々な支援に対して韓国同胞に感謝の意を伝えるのがいい。

→南北が統一されるなら、どんな形態が最も良いだろうか。

-他の国が口を出す問題ではありませんが、最も良いのは他の国の干渉なしで同じ民族どうし自らするのが最も良いと考えます。 双方の良い点を取り、統一を他の国の干渉や軍事的対立だけで考えないならば必ず実現されることラで考えます。 朝鮮民族は長い歴史と文化を持っています。 私は抗日運動や民主化闘争で朝鮮の民族性に大変驚いた。 より建設的な方向で経済発展だけでなく東北アジアの発展のために知恵を助けたら良いでしょう。 権力者でなく、市民たちが額を突き合わせれば良い知恵が出てくると考えます。


[나와 통일] “한국은 北에 식량 지원하고 北은 고맙다고 말해야 한다”

(10) 시미즈 스미코 前 일본 사민당 의원

1991년 11월 25일. 남북의 여성이 분단 46년 만에 서울에서 얼굴을 맞댔다. 분단 후 처음으로 북한 여성이 판문점을 넘어와 남북통일과 평화를 노래한 것. 이를 성사시킨 사람은 남한의 여성도 북한의 여성도 아니었다. 4년 넘게 남북한의 메신저 역할을 한 시미즈 스미코 전 일본 사민당 의원의 노력이 숨어 있었다. 남북 분단에 대한 일본의 책임을 주장하는 시미즈 의원으로부터 남북 여성 교류를 성사시키기까지의 뒷얘기와 현 남북관계에 대한 소회를 들어 봤다.

→4·15 김일성 생일을 맞아 북한에 다녀왔다고 들었다. 요즘 평양의 분위기는 어떤가.

-김일성 주석 탄생 100년(2012년)을 앞두고 축하 분위기였다. 작년에 북한에 갔을 때와 달리 주택이 잘 정비돼 있다는 느낌이었다. 살구꽃과 개나리꽃이 아주 예쁘게 폈고, 분위기가 휴일에 축제가 더해져 즐거워 보였다.

→외부에서는 북한이 매우 빈곤한 것으로 알고 있는데.

-경제적으로 빈곤한 것은 사실이긴 하다. 그래도 내년에 강성대국을 앞두고 국민 경제 강화를 최우선하는 한편 굉장히 자신감에 차서 움직이고 있다는 것을 알 수 있었다. 기술 등 여러 측면에서 늦었지만 그런 가운데서 자기들의 힘으로 이루겠다는 의욕이 대단하다고 느꼈다.

→몇 번째 방북인가.

-24번째다. 1972년에 간 게 처음이었다.

→어떤 계기로 북한 문제에 관여하게 됐나.

-1972년 북한의 초청으로 처음 평양을 방문했다. 그때까지만 해도 일본에서는 조선반도가 인식의 대상이 아니었다. 당시 북한에서 박물관, 역사전시관 등을 보고, 일본이 한반도를 식민지배했다는 것을 처음 알았다. 이른바 여성운동, 평화운동을 하는 내가 일본의 이런 야만적인 행동을 모르고 있었다니 엄청 충격을 받았다.

→남북이 분단된 데에 일본의 책임을 느낀다고 주장하고 있는데….

-일본이 일으킨 전쟁으로 한반도가 짓밟힌 뒤, 해방되지 못하고 오히려 연합군에 의해 분할 점령되지 않았나. 일본이 패전했기 때문에 한반도를 일본의 영토로 보고 희생자가 된 것이다. 식민지배가 원인이 돼 분단이라는 희생을 강요받고 있다는 의미에서 일본은 한반도 문제에 관심을 가져야 한다고 생각한다.

→1991년 남북한 여성 교류에 어떤 계기로 참가하게 됐나.

-1987년 8월 이우정 당시 여성단체연대 공동대표가 ‘원자폭단 금지 세계대회’ 참석차 일본에 왔다. 감시를 피해 밤에 그녀가 묵고 있는 호텔을 찾아가 한국의 민주화 이야기를 듣고 싶다고 했다. 그랬더니 오히려 이 대표가 북한 동포 이야기를 들려 달라고 했다. 이 대표는 “동족인데도 사십년 넘게 못 만나고 있다. 북한에 대해서는 아무것도 모른다. 일본에서 북한 여성을 만날 수 없겠느냐.”면서 남북한 여성이 만날 수 있는 장을 만들어 달라고 부탁했다.

사실 일본이 북한과 국교가 맺어져 있지 않은 상황에서 나로서도 상당히 어려운 일이었지만, 이 대표의 열정에 감복할 수밖에 없었다. 그래서 누구를 만나고 싶으냐고 물었더니 ‘무려’ 여연구 당시 최고인민회의 부의장(몽양 여운형의 딸)을 말하는 게 아닌가(웃음). 그 이후 4년간 인편을 통해 북한에 편지를 보낸 끝에 일본 대회 개최가 결정됐다. 아마도 김일성 주석에게 편지가 전달됐던 것 같다.

→굉장히 긴 노력 끝에 이뤄 낸 결실이었다.

-이 대표는 남북이 만난다고 하면 정부의 간섭을 받을 테니 ‘아시아 평화의 여성의 역할’로 하면 어떻겠느냐는 아이디어를 냈다. 행사 준비도 문서로는 일절 남기지 않고, 구두로만 전달해 몰래 준비했다. 정체가 드러날까 봐 참가자도 모호하게 했다. 미키 무쓰코(고 미키 다케오 전 총리의 부인), 오타카 요시코 자민당 참의원 등을 초청했다. 나중에 정부으로부터 “자민당 행사냐.”라는 오해를 받기도 했다. 대성공이었다(웃음). 일본에서 열린 첫 대회에 1000명 이상이 모여 대성황을 이뤘다.

→집회에서 남북한이 뜻을 모았나.

-일본이 과거 식민지배에 대해 사죄해야 한다고 주장했다. 평화·우호적인 관계를 만들어 남북한 여성의 교류를 확대하고, 위안부 문제도 함께 해결하자고 뜻을 모았다. 정치의 벽을 부수는 것은 역시 민중의 힘이라는 것을 느꼈다.

→같은 해 11월에 서울에서 제2차 대회가 열렸다.

-한국 여성들이 참 대단하다고 생각했다. 한국에 돌아가 통일원을 움직였다. 하지만 당시 한국에서는 이 집회에 대한 반발이 거셌다. 결국 여연구가 아버지 여운형의 묘소를 참배했는데, 약속한 일정엔 없었던 일이라고 정부에서 문제를 삼아 도중에 북으로 돌아갔다. 도중에 깨진 건 참 유감이었지만, 집회 당시 마치 남북이 통일된 것처럼 흥분하고 감격했다. 남북한 여성들이 껴안고 울고 웃는 모습에 감격하면서도 한편으로 분단의 책임을 느꼈다.

→지금과 비교하면 당시 남북 교류가 굉장히 활발했던 것 같다.

-민중들의 교류, 대화가 없으면 화해와 통일로 갈 수 없다. 2000년 6·15 남북공동선언을 발표했을 때 드디어 밝은 시대가 오는구나라고 생각했다. 군사적 관점으로만 상대를 보면 미움과 분노밖에 생기지 않는다. 작년에 여러 군사적인 문제가 있었지만 어떻게 하면 긴장을 없앨 수 있는지를 생각해야 한다.

→남북통일이 일본에 위협이 된다고 생각하지는 않나.

-그렇지 않다. 일본이 (남북통일에서) 배울 수 있는 것을 배우고, 동북 아시아 지배의 역사뿐 아니라 앞으로 동북아시아 지역을 어떻게 할 것인지 고민해야 한다. 서로의 문화를 존중하면서 지역의 새로운 미래, 새로운 상황을 만들겠다는 생각을 하지 않으면 이런 시대는 100년도 더 갈 것이다. 인간성을 발휘할 수 있는 나라를 만들지 않으면, 민주적이고 평화적인 나라가 되기 어렵다. 그걸 이룩하는 게 우리 세대의 역할이라고 생각한다.

→한국 등 국제사회의 북한에 대한 식량지원에 대해서는 어떻게 생각하나.

-식량지원은 인도주의 차원의 문제다. 남북 간의 대립이 있더라도 지원 의지가 없으면 대화의 길은 열리지 않는다. 인간은 한번 지원을 해 준 나라는 잊지 않는다. 일본인은 전쟁 후 미군의 건빵·탈지분유 등을 받으면서 점령군에 대한 적대감이 없어졌다. 역시 음식이라는 건 인간에게 일상생활에서 없으면 가장 괴로운 것 아니냐. 북한도 여러 지원에 대해 한국 동포들에게 고맙다고 말하는 게 좋다.

→남북통일이 된다면 어떤 형태가 가장 좋을까.

-다른 나라가 말할 문제는 아니지만 가장 좋은 건 다른 나라의 간섭 없이 같은 민족끼리 스스로 하는 게 가장 좋다고 생각한다. 양측의 좋은 점을 취하고 통일을 다른 나라의 간섭이나 군사적 대립만으로 생각하지 않는다면 반드시 실현될 것라고 생각한다. 조선 민족은 긴 역사와 문화를 가지고 있다. 나는 항일운동이나 민주화 투쟁에서 조선의 민족성에 크게 놀랐다. 보다 건설적인 방향으로 경제 발전뿐 아니라 동북아시아의 발전을 위해 지혜를 살려 주었으면 좋겠다. 권력자가 아니라 시민들이 머리를 맞대면 좋은 지혜가 나올 것으로 생각한다.

2011/03/05

民主党女性委員会を通じて各地の議員に発議をお願いしています




2011年、韓国で最初の決議が議政府市議会で採択されました。
決議文の最後の「92周年3․1節に際して、国権回復のために
民族自存の価値を高めた先烈たちの偉業の称揚に尽力することを
決議するものである」・・・とても強靭な想いが響きました。

日本も3月議会でたくさんの成果があることを願います。
以下、韓国挺身隊問題対策協議会からの文書です(立石孝行)
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皆さま

あんにょんはせよ。
韓国挺身隊問題対策協議会
梁路子です。

年初からハルモニの訃報が続き悲しいお知らせばかりでしたが
今日はうれしいお知らせです。

2月22日に議政府市議会で2011年に入って初の決議が採択されました。
これで韓国では39の地方議会で決議が採択されたことになります。
今年に入り韓国の250ほどあるすべての地方自治体に決議採択依頼と
草案などの資料を送りました。

また、民主党女性委員会を通じて各地の議員に発議をお願いしています。
今年も韓日ともに各地で決議がどんどん採択されるよう努力していきましょう。

決議文添付します。


2011/02/10

日本の元法相ナヌムの家訪問へ【痛みを分かち合う】



Wikipediaによれば、小泉純一郎総理の側近の一人であったとか。法務大臣在職中は、死刑執行命令者への署名を拒み通した。ナヌムの家の説明によると、「痛みを分かち合う」のが趣旨であるとのこと。


自民党前衆院議員の杉浦正健・元法相は13日午後1時に旧日本軍慰安婦の女性らが共同生活する京畿道・広州の施設「ナヌムの家」を訪れる。

杉浦元法相は、慰安婦被害女性らを慰労するほか、追悼公園や慰安婦歴史館にも足を運ぶ。韓国側は金成浩(キム・ソンホ)元法務部長官らが出席する。

「ナヌムの家」関係者は、「韓日両国の元法相が民間レベルで歴史の痛切な現場を訪れ、慰安婦被害女性の実情を把握し、痛みを分かち合う」と説明した。

杉浦元法相は、内閣官房副長官(2004年)を経て、自民党の国家戦略本部事務総長などを歴任した。