2012/02/29

国連人権理の閣僚級会合で韓国、慰安婦は人道に対する罪



まるで反論する気のない日本政府と、国内世論に煽られて対日批判を止めることが出来ない韓国政府。

もう20年以上も前になる。韓国の運動家たちが、女子挺身隊として徴用(強制連行)された朝鮮人の女性たちが慰安婦にされた、民族抹殺政策の一環だった、責任者の処罰を、と国連で大騒ぎした。

日本政府は、慰安婦は徴用(強制連行)の対象ではないと疑惑を否定していたが、社会党の清水澄子などが国家総動員法として徴用されたなどと食い下がり、そこへ朝日新聞と吉見義明のコンピが関与の証拠を発見したとミスリーディングな発表を絶妙のタイミングで行ったことで、混乱した日本政府が謝罪に追い込まれるという奇妙な騒動があった。慰安婦騒動の第一幕である。

そして国連では、今も韓国政府が慰安婦問題を人道に対する罪だと日本を糾弾し、それに対して日本政府は、関与を認めたのだからと赦免を請うている。

強姦殺人者として隣人に訴えられた男が、風俗店の経営に関わっていた事を認め謝罪した。隣人は強姦殺人犯は凶悪犯として裁かれるべきだと言い、言いがかりをつけられた男は、風俗業に関与していた事は認めたのだから勘弁して欲しいと懇願しているのである。・・・全然噛み合っていない妙ちきりんな話である。しかしこの妙ちきりんさこそ、慰安婦騒動の本質なのだろう。

普通に考えれば、日本政府はここで「では、韓国政府はいつになったら自国の慰安所政策に関わった人々を『人道に対する罪』で裁くのか」と言い返せばいいだけの話であるが、それが出来ないのがこの国の人の好さなのだろう。


慰安婦、脱北者送還で応酬 国連人権理の閣僚級会合で日本、韓国、中国、北朝鮮

ジュネーブの国連欧州本部で27日始まった人権理事会の閣僚級会合で、韓国が旧日本軍の従軍慰安婦問題や中国の北朝鮮脱出住民(脱北者)強制送還の問題を提起、関係各国代表団による反論や非難の応酬となった。

会合では、韓国外交通商省の金奉●(=火へんに玄)調整官が韓国代表として演説し、国名を名指しせずに「脱北者に対して人道的配慮を行い、強制送還されないよう国際社会に求める」、「従軍慰安婦は『人道に対する罪』であり、責任者の処罰や2国間協議など必要な措置を取るべきだ」などと訴えた。

これに対し、中国側は「脱北者は不法入国者であり、国際法に基づき対処する」と韓国側の姿勢を批判。日本も「慰安婦問題については既に関与を認め、誠実に対応してきた」などと反論した。北朝鮮は脱北者は難民ではないと韓国を批判。韓国側はそれぞれの主張に再反論した。(共同)

産経 2012.2.28

写真で見る水曜デモ4 お婆ちゃん長生きしてね



초등학생들 '위안부할머니 건강히 오래오래 사세요~' (小学生ら「慰安婦おばあさん健康に長生きして下さい~」)

第1010回水曜デモ(先週)での光景。Paran 2012.2.22 ..年の長きに渡って日本政府に抗議している・・・のではなく、お婆さんたちの生活の一部になり、生きがいにもなっているのだろう。国民の妹ならぬ、国民のハルモニ(お婆ちゃん)である彼女たちは、幸せに満ち満ちているようだ。しかし一方で顧みられる事もなく老いて、そして恐らくは死んで行くであろう女性もいるのである。


日本軍慰安婦と同じ支援をと訴えるこの米軍相手の国策娼婦は、素顔を晒すことすら出来ない

2012/02/27

ニューヨークに慰安婦道路



悪ノリが過ぎる・・・ということではなく、たぶんKAVCの展開するキャンペーンを本気にしたのだろう。

追記: 産経の記事も加えた。

ニューヨークに日本軍慰安婦追慕の道

米ニューヨークに北米では初めて日本軍慰安婦を追慕する名前がついた道路ができる見通しだ。ニューヨーク市のピーター・クー市会議員は24日、こうした内容の道路名改名案を推進中だと明らかにした。彼はニューヨーク市クィーンズの韓国人密集地域フラッシングを地盤としている。

クー議員は中国・上海で生まれた中国系米国人で普段から韓国人社会問題に積極的に取り組んでいる。追慕道路はフラッシング37~39アベニューの間の138ストリートが有力だという。

クー議員は、「昨年ニューヨーク韓人有権者センター(KAVC)が主管した日本軍慰安婦とドイツのナチ大虐殺(ホロコースト)生存者の出会いを見守りながら日本軍慰安婦問題の惨状を知ることになった。慰安婦問題の真実を米国社会に知らせる方法として慰安婦追慕の道を推進することにした」と話した。クー議員は、「現在市議会に提出する改名案を作っている。韓国人社会の意見を取りまとめて最終案を市議会に提出するだろう」と述べた。改名は通常、市会議員が改名案を提出すれば条例案として作成し市議会本会議での採決で確定する。クー議員はこれとともに慰安婦を称える碑の設置も推進中だ。現在中国系不動産開発会社TDCがフラッシング公営駐車場を大規模住商複合団地にするプロジェクトを推進中で、ここに作られる野外公園に慰安婦を称える碑を立てるという。

慰安婦を称える碑は2010年10月23日にニュージャージー州パラセイズパークに立てられたことがある。クー議員は1971年に米国に移民し、薬科大を卒業した後に大型薬局チェーンを設立し事業家として成功した。


今度はNY市に慰安婦通り 中国系市会議員が計画

【ソウル=黒田勝弘】慰安婦問題を材料にした反日行動が内外で目立っているが、今度は米ニューヨーク市で通りの名前を慰安婦を記念するものに改名する計画が持ち上がっている。

27日付の韓国紙によると計画を推進しているのは中国系のピーター・クー市会議員。自らの選挙区でもあり、韓国系米国人らが多数住んでいるニューヨーク市クイーンズのフラッシング地区で、通りの名前を慰安婦を“追慕”するものに改める条例案をまとめつつあるという。

クー議員は1970年代初めに米国に移民し薬局チェーンで成功した事業家。このほか地区の公園に慰安婦記念碑を建てることも計画中という。

米国では在米韓国人や中国人らによる日本の慰安婦問題を取り上げた反日運動が盛んで、2007年に米下院で日本批判の決議案が採択されているほか、慰安婦記念碑も一昨年、ニュージャージー州に建てられている。

昨年は在米韓国人団体主催のナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺を生きのびた女性と元慰安婦の韓国人女性の“出会い”といったイベントもあった。また、日本人学校に対し、竹島問題を記述した日本の教科書の使用中止を求める動きもあった。

産経 2012.2.28

2012/02/25

問われるカナダの先住民族児童虐待



オーストラリアも似たような問題を抱えているのだが、慰安婦問題を考える上でも参考になるはず。

カナダ政府が先住民の子供たちを親元から引き離し、キリスト教系の寄宿学校に入れた。そこで子供たちは性的虐待を含む虐待を受けた。それについて、カナダ政府は総括を迫られている(これとは別に、カトリックの寄宿学校で多発した児童性虐待でバチカンも非難に晒されている)。

慰安所システムにも言えることだが、これらの政策は当時は善意で行われたものだったりする(貧しい先住民族の子供をより良い環境に移し、教育を受けさせる)。しかし、過去の出来事を現在の価値観で裁かれることもあるのである。だから、「慰安婦は金をもらっていた!」と言って国際社会に反論した気になるのは間違い。現在では軍隊による買春はご法度であり、国連はPKO要員の買春スキャンダルに神経を尖らせている。

慰安婦騒動のポイントは、執拗に日本だけをヤリ玉に挙げて糾弾し続けるジャパン・バッシングであるという点だろう。これは、アン・ビョンジクや、C. サラ・ソーも指摘している。つまり、自ら慰安所を運営あるいは利用した韓国やアメリカ(の運動家たち)が、自分達はなんら後始末をすることなしに日本の償いは不十分だと非難しているのである。こういう理不尽を止めさせる為には、カナダ政府がやったような徹底的な洗い直しと、(英語での)事実の公表が必要だろう。もちろん不名誉な発見も覚悟しなければならない。

(オーストラリアやカナダでこの種の総括ができるのは、国内の和解が目的であるという事情もあるかもしれない。他国に対する加害行為となると、ここまで積極的になるかどうか・・・)

Canada commission issues details abuse of native children

From the country's formation in the 19th Century until the 1970s, the children had to attend schools where they were stripped of their identity.

Many of the 150,000 children also suffered physical abuse from the staff at the church-run boarding schools.

An interim report says children left the schools "as lost souls".

The Truth and Reconciliation Commission of Canada report, They Came for the Children, says their lives were "soon to be cut short by drugs, alcohol and violence".

It concludes that the schools were an assault on indigenous children, their families, culture and their nations.

Native Canadians remain among the poorest members of society, with many still living on reserves.

The commission was formed as part of a landmark settlement in 2006 that included more than C$2bn (£1.3bn) compensation for surviving former children and their families.

It has already taken 25,000 statements from survivors, visited about 500 communities and has heard from about 100 former school employees.

The schools were set up to assimilate native children into Canadian society.

The report starts with a quote from Hector Langevin, the Public Works Minister of Canada in 1883: "In order to educate the children properly, we must separate them from their families. Some people may say that this is hard, but if we want to civilise them we must do that.''

The federal government acknowledged 10 years ago that physical and sexual abuse in the schools was widespread.

Many students recall being beaten for speaking their native languages and losing touch with their parents and customs.

"It is commonly said that it takes a village to raise a child," said commission chairman Justice Murray Sinclair during a press conference to present the report on Friday.

"The government of Canada took little children away from their villages and placed them into institutions that were the furthest things from a village you could expect," he said

The report said the result was damaged relations within aboriginal families and with Canadian society at large.

It calls for a comprehensive programme of education to help the process of reconciliation.

The report concludes: "There is an opportunity now for Canadians to engage in this work, to make their own contributions to reconciliation, and to create new truths about our country."

A final report is due to be published in 2014.

BBC 2012.2.25

第32軍司令部壕説明板から慰安婦削除



このニュースの続報。けっきょく県は、説明板設置検討委員会の「慰安婦」記述を拒否した。「沖縄戦研究者ら」は「2点(慰安婦・住民虐殺)の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」と主張しているらしい。仲井真知事も不満そうである。まだひと揉めありそうだ(追記: 翌日の報道で、削除の決定を下したのが仲井真知事である事が明らかになった)。

この壕であったかどうか忘れたが、沖縄の壕の中から回収した櫛を慰安婦の遺品だと言って中国に出来た慰安婦資料館に寄贈したというニュースもあったような[要確認]。女子供を含む民間人が避難していた壕の中で見つけた櫛が何で慰安婦の持ち物だと判るのか不思議に思った記憶がある。仏舎利でもあるまいし。

埼玉県平和資料館の「従軍慰安婦」表記を巡って運動家や民団が押し寄せて来るように、ある種の人達にとっては、こういう事はとても大事らしい。従軍慰安婦という言葉は当時は存在しなかったとか、慰安婦が壕の中にいたかどうか確認できないと説明しても納得しない。慰安婦(問題)が信仰の対象になってしまったからだろう。

「慰安婦」を削除 第32軍司令部壕の説明板 県が方針決定

那覇市の首里城公園近くにある旧日本軍沖縄守備隊・第32軍司令部壕の第1坑道入り口付近(園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)の裏手)に設置予定の司令部壕説明板で、県は、第32軍司令部壕説明板設置検討委員会(会長・池田榮史琉球大教授)がまとめた説明文から、証言が分かれていることを理由に「慰安婦」という文言と、日本軍による住民虐殺に関する記述を削除することを23日までに決めた。同委は沖縄戦の実相を伝えるためには欠かせないとして同日午後、下地寛環境生活部長に削除撤回を求める意見書を提出した。
これに対し下地部長は「慰安婦の問題は明確にそこに慰安婦がいたという事実を証明する文献、書類がない。虐殺についてもあったという証言と、なかったという証言の両方あって不確か。限られた範囲内で両論併記も難しい」と削除の方針を変えないとした。
検討委は昨年11月、壕の構築や司令部の南部撤退の経緯、壕内に女性軍属・慰安婦が雑居していたことや、壕周辺で日本軍にスパイ視された住民が殺害されたこと、司令部の南部撤退が多くの住民の命を奪う原因となったことなどを記した説明文を県に答申した。
県は、答申された説明文のうち「司令部壕内には、牛島満軍司令官、長勇参謀長をはじめ総勢1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居していました」の一文から、「慰安婦」を削除した。
さらに「司令部壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」という記述全てを削除した。
沖縄戦研究者らは「2点の表記は32軍司令部の本質を示す物で重要だ」「もう少し歴史資料を踏まえて丁寧に書くべきだ」などとしている。

<用語>32軍司令部壕
沖縄守備軍・第32軍司令部が首里城の地下一帯に構築した壕。守礼門、園比屋武御嶽石門付近から金城町方向に延びる。司令部壕の規模は南北400メートル、総延長は1キロ超。壕構築は1944年12月上旬に開始、沖縄師範学校男子部の学生らが動員された。32軍司令部は米軍の猛攻撃を受け45年5月下旬に壕を放棄し本島南部に撤退。軍民が混在する地上戦が南部で展開され、犠牲者の増大を招いた。

琉球新報 2012.2.24

「住民虐殺」削る 司令部壕の説明板

那覇市の首里城公園近くにある第32軍司令部壕(旧日本陸軍守備隊)の説明板の設置を進めている県が、壕内の様子を紹介する説明文から「慰安婦」「日本軍による住民虐殺」の文言を削除したことが23日、分かった。文案をまとめた有識者でつくる同壕説明板設置検討委員会(委員長・池田榮史琉大教授)は同日、県に削除した文言の復活を求める意見書を送付した。県環境生活部は削除理由を「二つの史実について県は確証が持てない」ためとした。「慰安婦はいなかっただろう」とする証言記録が1件あること、住民虐殺は「証言内容の場所が特定できない」ことなどを記述削除の根拠としている。

同検討委員会の池田委員長は「慰安婦や住民虐殺の記述を『行政の責任で抜きました』と県は説明したが、そのプロセスが理解できない。2回の委員会で県側から異論はなかった。県として沖縄戦をどう伝えるのかに関わる問題だ。記述削除の撤回を求め、県と話し合いを続けていきたい」とコメントした。

県は昨年から2回にわたり第32軍司令部壕を平和教育・学習の場として活用するための説明板を設置する目的で検討委員会を開催。委員会は同年11月に壕内部の様子などを説明する文案で「(壕内に)1000人余の将兵や県出身の軍属・学徒、女性軍属・慰安婦などが雑居」「壕周辺では、日本軍に『スパイ視』された沖縄住民の虐殺などもおこりました」と明記した。

県平和・男女共同参画課は、この文案に対して県内外から「事実と違う」「証言は捏造(ねつぞう)だ」などのメールや電話、ファクスなどの抗議・意見82件が寄せられたため、部内で再度文案を検討。県平和祈念資料館所蔵の映像証言記録に、当時壕にいた男性の「韓国女性はいたが、慰安婦とは関係ないでしょうね」とする証言などを確認したとし、同課は「県として片方だけの意見を盛り込むことはできず、削除することを決めた」と説明した。

環境生活部は1月に仲井真弘多知事に内容を報告、同20日に部長決裁した。下地寛部長は「説明板設置は壕があった事実とつくられた経緯や役割、影響などを広く知らせるのが目的。さまざまな証言があり、県として事実の確証が持てないため削除した」と述べ、文言を復活する考えはないとした。

県は説明板の発注も済ませており、3月中にも設置する予定。説明板設置事業の予算は約215万円。

知事「知らない 確認する」

仲井真弘多知事は23日、第32軍司令部壕に設置予定の説明板の記述が変更されたことについて「知らない。確認させてほしい」と述べた。その上で「委員会でちゃんとつくった案を部長が独断でそういうこと(記述変更)やれないんじゃないか」との認識を示した。県庁内で沖縄タイムスの取材に答えた。

2012/02/23

中国・朝鮮人を強制的に慰安婦にした日本人の異常性--Madan G Singh



写真やこれまでのコラムから見るとインド系かその周辺といった所ではないかと思われるが、このコラムを書いたMadan G Singhという人物がどこの国のどういう人物かは分からない。世界中に広まった「日本軍性奴隷」伝説は、アルジャジーラに取り上げられたこともあるし、インドの新聞が記事にしたこともある。インド系?の彼がこの問題をどのように認識しているか訳してみた。ちょっと超訳になったかもしれないが、その辺は下の原文で補正して欲しい。

日本帝国陸軍の慰安婦

古の軍隊(陸軍)は「キャンプ・フォロワー(軍隊に随行する娼婦) 」として知られる女性の随行員を伴って行動した。英印軍の場合、女性、コック、ヘルパーや同種の兵員といった莫大な数の非戦闘員が戦闘や行軍の際に随行した。
アメリカの南北戦争の際も、同様の女性達が軍隊(陸軍)の一部を成した。兵士たちの性的要求を処理するという目的の為に奉仕したこの女性たちは、お金の為に自発的に軍隊と共に旅をしたのである。

一方、日本帝国陸軍は、従属させた国家の女性を強制的に徴集して慰安婦、あるいはキャンプ・フォロワーとした。英印軍や南北戦争の軍隊のキャンプ・フォロワーとは微妙な違いがあった。これらの軍隊は女性を募集するのに強制はしなかったし、敗れた軍隊の女性が当然の事として(?)徴集されることもなかった(引用者注: 占領国の女性を強制的に慰安婦にしたという意味か?)。それに対して帝国陸軍は、慰安婦にするのに主に朝鮮人と中国人の女性をターゲットにした。これらの女性は強制的に徴集され、さらに悪いことに非人道的に扱われた。

彼女たちは満足に食べさせてもらえず、数千人が日本人たちの気をわずらわせる事なく死んで行った。日本人たちは捕まえて来た朝鮮人や中国人の少女たちで簡単に死んだ少女たちの穴埋めをした。

日本人たちはニコバル諸島でも虐殺を行った。男たちを殺してから女性たちを兵士たちの相手役や束の間のめかけにしたのである。この日本人の精神と文化の特徴は、これまで適切に説明された事はない。3000年の伝統を自慢していた文明が、その文化全体の面目を永遠に失ったのである。これら第2次大戦中の振る舞いにについて、日本人たち自身が何と言うか聞いてみたいものである。

Expertscolumn 2012.2.21

アンダマン諸島の慰安所というのは海軍の管轄で、軍人だけでなく、商社員も利用していたという。韓国のメディアは例によって朝鮮人慰安婦がこんな南方の島まで連行されて行った・・「ハルモニたちの苦難に満ちた旅路はどこまで続いていたのか」などと慨嘆してみせるが、河東三郎の「草津の墓碑銘-ある軍属の物語」によると、ここには日本人慰安婦も(連行されて??)いたようである。

アンダマン・ニコバル諸島の住民に対する日本軍による弾圧はあったのかもしれないし、もしかしたらそのドサクサに一部の女性が慰安婦にされた事もあったかもしれない。これについて自分は何とも言えないが、Madan G Singhがインドで色々と問題も起こしていたはずのイギリス軍に比べても日本軍が特筆すべき残虐な軍隊であったと考える根拠は、日本軍が従属させた国家(朝鮮や中国)から女性を強制的に徴集し、それらをキャンプ・フォロワーにした挙句、虐待して死ぬにまかせていたという特殊性にあるようだ。彼はそんな日本人の異常(特殊)な精神性・文化が学術的に解明されるべきだと考えているようだ。

インドでイギリス兵が児童買春していた話はカール・ヨネダが書いているし、南北戦争でキャンプ・フォロワーが活躍したことは風と共に去りぬ(小説)に出てくる。英字でインターネットを眺めている限り、慰安婦問題に対する欧米人の認識は彼と五十歩百歩といった所だろうという印象である。喧伝されている日本軍慰安所の特異性は、慰安所に軍隊が関与したことでもなければ、生活の中の強制性でもなく、日本軍が use(d) force to recruit the women--つまり慰安婦たちが強制連行によって集められたということである。

彼は反日でも日本の悪口を言っているつもりでもなく、ネガキャンとしての慰安婦問題を真に受けてしまっただけなのだろう(ただし、彼は現地を訪れた経験があり、自分で見聞きした情報から日本軍にはかなり批判的である。参考:Japanese Army, Tribal Girls and Occupation of Car Nicobar Island)。こういうケースが着実に増えているから、多くの人がこの問題は何とかしなければならない、反論しなければならないと考えているのである。アメリカの下院決議案のどこに「強制連行」と書かれているのか!と「ネトウヨ」をやりこめて凱歌を挙げている左派系日本人ブロガー達は、故意かどうかは分からないが、こういう現実を無視していると思う。


The olden armies travelled with a retinue of women who were known as 'Camp Followers'. The British Indian army had a vast retinue of non-combatants like women, cooks, helpers and similar personnel who accompanied the army in battle and while on the march. Similarly women were also part of the armies during the American civil war. The women served a definite purpose in looking after the sexual needs of the troops. The women were volunteers who for consideration of money travelled with the troops.


The Japanese Imperial army on the other conscripted by force women of the sugjugated nations as comfory women or campfollowers. There was a subtle difference between the camp followers with the British Indian army and the American civil war armies. These armies did not use
force to recruit the women and the defeated armies women were not conscripted by right. The Imperial on the other hand especially targetted Korean and Chinese girls as comfort women. These women were conscripted by force and worse treated inhumanly. They were not fed properly and thousands were allowed to die with the Japanese batting an eyelid. The Japanese simply replaced the dead girls by another batch of captured Korean and Chinese girls.


The Japanese also carried out a massacre in the Car Nicobar islands and after killing the men the women were handed to Japanese soldiers as companions and transitory mistresses. This trait of Japanese ethos and culture has never been properly explained . A CIVILIZATION THAT BOASTED OF A HERITAGE OF 3000 YEARS debased their entire culture for all time to come. I wonder what the Japanese have themselves to say of these acts during the Second World War.


2012/02/22

梁石日「めぐりくる春」 韓国で出版



梁石日さんの「めぐりくる春」 韓国で出版

「血と骨」「闇の子供たち」などで知られる在日小説家、梁石日(ヤン・ソギル)さんの「めぐりくる春」が、韓国で出版された。

2010年8月に日本で出版された同小説は、従軍慰安婦として連行された朝鮮人女性の物語。翻訳者によると、「慰安婦を題材に日本語で書かれた初めての小説」だ。

東京に居住する梁さんは18日、聯合ニュースとの電話インタビューで、「日本人は慰安婦問題にほとんど無知。慰安婦問題を小説として残しておく必要があると思った」と執筆動機を説明した。

小説は日本人の慰安婦支援活動家や韓国での取材などを通じ、従軍慰安婦の過酷な運命と真実を浮き彫りにしている。17歳の主人公が中国、シンガポールなどの戦場で残酷な性的虐待を受けるシーンでは思わず、眉をひそめてしまう。

梁さんは「痛ましい気持ちだったが、できるだけ客観的に書こうと努力した。現実に目を背けず、受け入れる姿勢が必要だ」と話す。

慰安婦問題を題材にしているだけに、日本の右翼から批判が多かった。それでも梁さんは「私の文学観として慰安婦問題は避けて通れない問題だった」と語る。また、慰安婦問題を解決するためには「無関心が最も恐ろしい敵。韓国でより多く取り上げられるべきだ」と呼び掛けた。


"慰安婦問題、無関心が一番恐ろしかったこと"

在日作家ヤン・ソギル'またくる春'出版

'血と骨' '闇の子供たち'などの小説で良く知られた在日朝鮮人出身作家ヤン・ソギル(76)の新作小説'またくる春'が出版された。

2010年8月現地で出版されたこの小説は日本軍慰安婦に引きずられて行った朝鮮女性キム・スンファの話だ。

翻訳者のキムンギョ淑明(スンミョン)女子大教授によれば"慰安婦を素材にして日本語で使われた最初の小説"だ。

東京に居住する作家は18日電話インタビューで"日本人たちは慰安婦問題に対してほとんど知らなくて、慰安婦を扱った小説もなくてかなり以前からこの問題を小説で残す必要があると考えた"として"慰安婦の話はまもなく'植民地支配とは何か'に対して尋ねることなので伏せておけなかった"と執筆動機を明かした。

1936年大阪で生まれて韓国語をほとんどできない作家は日本人慰安婦支援活動家などをインタビューして現地取材などを経て日本軍慰安婦の惨状を生き生きと生き返らせた。

小説の中では平南(ピョンナム)、江西郡(カンソグン)出身の十七才純化が上海工場に就職させるという言葉にだまされて日本軍慰安婦に引きずられて行って中国、南京、シンガポール、ミャンマー、ヤンゴン、Lashioなど戦場(全長)を回って残酷な性的虐待にあう姿が赤裸々に描写される。

作家は"残酷な場面を使いながら私もやはり非常に大変だった。

しかし感情におぼれないで客観的に接近して使おうと努力した"として"現実を冷遇せずにありのまま受け入れなければならない"と話した。

作家が慰安婦問題を扱ったことは初めてだが今回の小説は東アジア地域で国家イデオロギーが身体に加えた暴力に深く掘り下げてきたその間の作品世界と脈を同じにする。

彼の評論集の題名でもある'アジア的身体'がこのような作品世界を説明するキーワードだ。

彼は"'アジア的身体'はまもなく'捨てられたからだ' '捨てられた人々'を意味する"として"在日同胞問題はアジア的身体の根本であり今回の小説もこの主題に焦点を合わせた"と説明した。

本の中で"肉体的苦痛と精神的苦痛は離すことができないことだった"とか"肉体と魂が分離融合体の'私'という存在は冥土と現世を常に往復しているように考えられる"という表現などはからだと心が分離したのではないとの東洋的事故(思考)観を土台にした作家の主題意識があらわれる部分だ。

この小説は出版に先立ち日本週刊誌に先に連載されたが敏感な素材だっただけに論議もなくはなかった。

キムンギョ教授は"日本右翼のインターネット サイトには'ヤン・ソギルを暗殺しなさい'という句が上がっては下りた"と伝えた。

しかし本来本が出版された以後にはかえって'ジョヨン'したという。

作家は"私の既存作品に比べて異色であるためなのか書評も殆どない"として"私の文学観では慰安婦問題を絶対避けられなくて果敢に挑戦した"と話した。

慰安婦問題の解決法に対して彼は"無関心が最も恐ろしかったこと"としながら"慰安婦問題は韓国でもさらに多く扱われなければならない"と頼んだ。

高齢にも休むということなしで作品活動をしている作家は済州道(チェジュド)4・3事件以後日本で密入国したジェイル詩人キム・シジョン(83)の話を扱った小説を最近脱稿したし二編(便)の小説をさらに連載中だと伝えた。

散歩. 528ページ. 1万4千800ウォン.


残酷な真実、 "日本軍慰安婦は人類最大の性犯罪"

どんな公式の記録も文書も痕跡もない。職業を得られなかった。
涙いっぱいで一つの部屋に閉じ込められた。下着をはく時間もなかった。
...
私たちに残ったもの、消えない衝撃、子供も家もない空っぽの子宮.
私たちに付けられた名前、慰安婦、堕落した女たち.私たちは今八十三才、九十四才、毎週水曜日、日本大使館の前で私たちが願うこと、直ちに私たちの声が消える前に話しなさい!
-1000回目の水曜集会で演劇'ポジャイノ・モノローグ'の俳優たちが朗読した詩から

昨年12月14日、毎週、日本大使館前で開かれる慰安婦被害おばあさんの水曜集会が千回をむかえた。それでも相変らず見て見ないふりをして冷遇する日本政府のせいでおばあさんたちはとめどもなく胸を痛めている。

この‘慰安婦’の残酷な真実を描いた話が出版された。「血と骨」「闇の子供たち」などの小説で名前を知られる済州(チェジュ)出身の在日僑胞(海外在住韓国人)2世作家、梁石日(ヤン・ソギル,76)氏の「めぐりくる春」だ。

1936年大阪で生まれ育ち韓国語をほとんどできない作家は昨年、韓国を訪問して日本人慰安婦支援活動家などをインタビューし現地取材などを経て日本軍慰安婦の惨状を生き生きとよみ返らせた。

「めぐりくる春」は日本軍慰安婦に引きずられて行った朝鮮女性キム・スンファさんの一代記だ。十七の年齢で上海工場に就職できるという言葉にだまされて日本軍慰安婦に連れていかれ、初日から六人の日本軍に強姦されたことから話は始まる。

そのように8年を越える時間の間、中国、南京、シンガポール、ミャンマー、ヤンゴン、ラシオなど戦場を回って性的虐待にあった過程が残酷な程赤裸々に描写される。日本軍の日常的性的虐待、殺人に至る暴力にさらされる慰安婦被害者たちのみじめな現実が胸をえぐり、容易に本を置けない。

この小説は単にひとりの‘スンファ’の一代記はでない、‘朝鮮’という処女性を持った集団的身体が強姦にあった歴史の証言だ。日帝に花のような人生を根こそぎ奪われた数多くのスンファたちの話という点で世間の注目を集める。

イム・ホニョン民族問題研究所所長は「作家ヤン・ソギルがねらう批判の対象は日本をはじめとする戦犯国家に他ならない。性犯罪は古くからある侵略行為の一種で、帝国主義が産んだ最大の反倫理的罪悪に属する。その延長線で「めぐりくる春」を読んだら良いだろう」と紹介した。
1万4千800ウォン.

キム・テヨン記者

jejusori.net 2012.2.20

※1
"위안부 문제, 무관심이 제일 무서운 적"


재일 작가 양석일 '다시 오는 봄' 출간


'피와 뼈' '어둠의 아이들' 등의 소설로 잘 알려진 재일 조선인 출신 작가 양석일(76)의 신작 소설 '다시 오는 봄'이 출간됐다.


2010년 8월 현지에서 출간된 이 소설은 일본군 위안부로 끌려간 조선 여성 김순화의 이야기다.


번역자인 김응교 숙명여대 교수에 따르면 "위안부를 소재로 해서 일본어로 쓰인 최초의 소설"이다.


도쿄에 거주하는 작가는 18일 전화 인터뷰에서 "일본인들은 위안부 문제에 대해 거의 알지 못하고, 위안부를 다룬 소설도 없어서 오래전부터 이 문제를 소설로 남겨둘 필요가 있다고 생각했다"며 "위안부 이야기는 곧 '식민지 지배란 무엇인가'에 대해 묻는 것이어서 덮어둘 수 없었다"고 집필 동기를 밝혔다.


1936년 오사카에서 태어나 우리말을 거의 하지 못하는 작가는 일본인 위안부 지원 활동가 등을 인터뷰하고 현지 취재 등을 거쳐 일본군 위안부의 참상을 생생하게 되살렸다.


소설 속에서는 평남 강서군 출신의 열일곱 살 순화가 상하이 공장에 취직시켜주겠다는 말에 속아 일본군 위안부로 끌려가 중국 난징, 싱가포르, 미얀마 양곤, 라시오 등 전장을 돌며 참혹한 성적 학대를 당하는 모습이 적나라하게 묘사된다.


작가는 "잔혹한 장면을 쓰면서 나 역시도 무척 힘들었다.


그러나 감정에 치우치지 않고 객관적으로 접근해서 쓰려고 노력했다"며 "현실을 외면하지 말고 있는 그대로 받아들여야 한다"고 말했다.


작가가 위안부 문제를 다룬 것은 처음이지만 이번 소설은 동아시아 지역에서 국가 이데올로기가 신체에 가한 폭력에 천착해 왔던 그간의 작품 세계와 맥을 같이한다.


그의 평론집 제목이기도 한 '아시아적 신체'가 이러한 작품 세계를 설명하는 키워드다.


그는 "'아시아적 신체'는 곧 '버려진 몸' '버려진 사람들'을 뜻한다"며 "재일 동포 문제는 아시아적 신체의 근본이며 이번 소설도 이 주제에 초점을 맞췄다"고 설명했다.


책 속에서 "육체적 고통과 정신적 고통은 떼놓을 수 없는 것이었다"거나 "육체와 혼이 분리융합체인 '나'라는 존재는 저승과 이승을 항상 왕복하고 있는 것처럼 생각된다"는 표현 등은 몸과 마음이 분리된 것이 아니라는 동양적 사고관을 바탕으로 한 작가의 주제의식이 드러나는 부분이다.


이 소설은 출간에 앞서 일본 주간지에 먼저 연재됐는데 민감한 소재였던 만큼 논란도 없지 않았다.


김응교 교수는 "일본 우익의 인터넷 사이트에는 '양석일을 암살하라'는 글귀가 오르내렸다"고 전했다.


그러나 정작 책이 출간된 이후에는 오히려 '조용'했다고 한다.


작가는 "내 기존 작품에 비해 이색적이기 때문인지 서평도 거의 없다"며 "나의 문학관으로는 위안부 문제를 절대 피할 수 없어 과감하게 도전했다"고 말했다.


위안부 문제의 해법에 대해 그는 "무관심이 가장 무서운 적"이라며 "위안부 문제는 한국에서도 더 많이 다뤄져야 한다"고 당부했다.


고령에도 쉼 없이 작품 활동을 하고 있는 작가는 제주도 4·3사건 이후 일본으로 밀입국한 재일 시인 김시종(83)의 이야기를 다룬 소설을 최근 탈고했으며 두 편의 소설을 더 연재 중이라고 전했다.


산책. 528쪽. 1만4천800원.

※2
참혹한 진실, "일본군 위안부는 인류 최대의 성범죄"


제주 출신 재일 동포 2세 양석일 작가 '다시 오는 봄' 출간


어떤 공식적인 기록도 문서도 자취도 없다. 직업을 얻을 수 없었다.
눈물 가득한 방에 갇혀 있었다. 팬티 입을 시간도 없었다.
우리가 해야 할 것들, 이름을 바꿔야 했고,
너무 많은 사람과 해서 걸을 수 없어도 해야 했다.
...
우리에게 남은 것들, 지워지지 않은 충격, 자식도 집도 없는 텅 빈 자궁.
우리에게 붙여진 이름들, 위안부, 타락한 여자들.
우리는 지금 팔십삼 세, 구십사 세, 매주 수요일 일본 대사관 앞에서
우리가 원하는 것, 당장 우리의 이야기가 사라지기 전에 말하라!
- 1000번째 수요집회에서 연극 '버자이너 모노로그' 배우들이 낭독한 시 중에서


지난해 12월 14일, 매주 일본대사관 앞에서 열리는 위안부 피해 할머니의 수요 집회가 1000번째를 맞았다. 그럼에도 여전히 본체만체 외면하는 일본 정부 탓에 할머니들은 하염없이 속만 태우고 있다.


이 가운데 ‘위안부’의 참혹한 진실을 그린 이야기가 세상 밖으로 나왔다. '피와 뼈' '어둠의 아이들' 등의 소설로 이름을 알린 제주 출신의 재일 교포 2세 양석일(76) 작가의 ‘다시 오는 봄’이다.


1936년 오사카에서 나고 자라 우리말을 거의 하지 못하는 작가는 지난해 한국을 방문해 일본인 위안부 지원 활동가 등을 인터뷰하고 현지 취재 등을 거쳐 일본군 위안부의 참상을 생생하게 되살렸다.


‘다시 오는 봄’은 일본군 위안부로 끌려간 조선 여성 김순화씨의 일대기다. 열일곱의 나이에 상하이 공장에 취직시켜주겠다는 말에 속아 일본군 위안부로 끌려가 첫날부터 쉿 여섯 명의 일본군에게 강간당한 것으로 이야기는 시작된다.


그렇게 8년이 넘는 시간 동안 중국 난징, 싱가포르, 미얀마 양곤, 라시오 등 전장을 돌며 성적 학대를 당한 과정이 참혹하리만치 적나라하게 묘사된다. 일본군의 일상적 성적 학대, 살인으로 치닫는 폭력에 노출된 위안부 피해자들의 비참한 현실이 가슴을 저며 와도 쉽게 책장을 덮을 수 없다.


이 소설은 단지 한 사람 ‘순화’의 일대기가 아닌, ‘조선’이라는 처녀성을 지닌 집단적 신체가 강간당한 역사의 증언이다. 일제에 꽃같은 인생을 송두리째 빼앗긴 수많은 순화들의 이야기라는 점에서 이목을 끈다.


임헌영 민족문제연구소 소장은 “작가 양석일이 겨냥하는 비판의 대상은 일본을 비롯한 전범국가에 다름 아니다. 성범죄란 자고로 침략행위의 일종으로, 제국주의가 낳은 최대의 반인륜적 죄악에 속한다. 바로 이 연장선에서 ‘다시 오는 봄’을 읽어줬으면 좋겠다”고 소개했다.


도서출판 산책. 1만4천800원.