2013/09/09

挺対協・アムネスティ、国連人権理事会でイベント

大阪講演で橋下市長をクルクルパーとやったキム・ボクトン
(2013.5.25)

イ・オクソンはアメリカからドイツへ。キム・ボクトンは、アメリカからスイスへ・・・。

慰安婦問題解を 韓国団体が国連人権理でイベント開催へ

旧日本軍の慰安婦問題の解決を目指す市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」は11日、スイス・ジュネーブで国連人権理事会のサイドイベントを開き、同問題の早期解決を訴える計画を明らかにした。イベントは挺対協と国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の共催。

イベントには韓国人元慰安婦の金福童(キム・ボクドン)さんをはじめ、台湾、日本、カナダなどから関係者が参加し、慰安婦問題解決に向けた各国の活動や日本政府の歴史歪曲(わいきょく)、責任回避などについて報告する。国連の特別報告官も出席し、日本政府の賠償義務について発表する予定だ。

14~24日にはフランス・パリで慰安婦問題解決を訴える集会、署名運動などの活動を続ける。

米国に慰安婦消印登場 日本の妄言政治家に郵送も?

必ずこういった目立ちたがり屋が現れる

どんなに綺麗事を言われても信用出来るはずもなく・・・。日本(軍)の犯罪を永遠に残す為。議会図書館などに送って公式に保存させる。ようするに本音は「ディスカウント・ジャパン」なのだろう。日本の政治家に送りつけるなど(KBSの映像には石原都知事、橋下大阪市長、麻生財務大臣の姿があった)平和の為どころか挑発である。慰安婦像の設置自体がそうなのかもしれないが。

(KBSより)

日本を批判する意味で像は半身
米国郵便公社はその事を知っているのか?

こういった消印(Pictorial Postmarks)は、条件さえ満たせばアメリカではけっこう簡単に作れるようである。以前にもニューヨーク韓国人会のハン・チャンヨンらが慰安婦切手を作った事があった

(追記: この消印は問題発覚後に回収されたと記憶している。要確認)

米国郵便局、日本慰安婦「少女像消印」採用…その意味は?

<アンカーコメント>

日本軍慰安婦被害者を賛える少女像が先日アメリカにも立てられたという便りをお伝えしました。

今度はこの地域の郵便局が「平和の少女像」を消印で押して(?)郵便物を送れるようにしたといいます。

パク・ヨンファン特派員が現地でその意味を伝えてきました。

<リポート>

日本政府の妨害工作を勝ち抜きロサンゼルス近隣にアメリカに最初に立てられた慰安婦追悼「平和の少女像」。

あれから1ヶ月、少女像が消印として登場しました。

日本軍の戦争犯罪を塗装(?)でとって永遠に残すためにです。

消印の少女の姿は謝罪を拒否する日本の形態を批判する意味で半分です。

上側は「平和の少女像郵便局」の英文、下は少女像の設置日が鮮明です。

韓国人チェ・ギョンナク氏のリクエストを連邦郵政局が受け入れたのです。

<インタビュー>チェ・ギョンナク(郵便局特別消印申請)「日本政府で過去の歴史解明を私たちが求めるレベルまでしなくなっているので、歴史に残る書類を準備すれば圧力にならないかと思いました」。

少女像特別消印を押して郵便物を送りたければ、グレンデール中央郵便局を直接探すか切手を貼った手紙を大きい封筒に入れて送ればオーケーです。

特別消印がつけられた手紙は米連邦下院外交委院長と議会図書館などにも送られ米国政府公式記録物として(?)残されます。

また、妄言を繰り返した日本政治指導者に送る案も検討されています。

グレンデールでKBS ニュース パク・ヨンファンです。

KBS 2013.9.7

美 우체국, 日 위안부 ‘소녀상 소인’ 채택…의미는?

<앵커 멘트>

일본군 위안부 피해자를 기리는 소녀상이 얼마전 미국에도 세워졌다는 소식 전해드렸었는데요.

이번엔 이 지역 우체국이 '평화의 소녀상'을 우편 소인으로 찍어서 우편물을 보낼 수 있도록 했다고 합니다.

박영환 특파원이 현지에서 그 의미를 전해왔습니다.

<리포트>

일본 정부의 방해공작을 이겨내고 LA 인근에 미국 최초로 세워진 위안부 기림 '평화의 소녀상'.

그로부터 한 달, 소녀상이 우편 소인으로 등장했습니다.

일본군의 전쟁범죄를 도장으로 찍어 영원히 남기기 위해섭니다

소인의 소녀 모습은 사죄를 거부하는 일본의 행태를 비판하는 의미에서 반쪽입니다.

위쪽은 '평화의 소녀상 우체국' 영문 글씨, 아래 쪽은 소녀상 건립 날짜가 선명합니다.

한인 최경락 씨의 청원을 연방우정국이 받아들인 것입니다.

<인터뷰> 최경락(우체국 특별 소인 신청) : "일본 정부에서 과거사 해명을 우리가 원하는 수준까지 하지 않고 있기 때문에 역사에 남을 서류를 준비하면 압력이 되지 않을까 해서."

소녀상 특별 소인을 찍어 우편물을 보내고 싶으면 글렌데일 중앙우체국을 직접 찾거나 우표 붙인 편지를 큰 봉투에 넣어 보내면 됩니다.

특별 소인이 찍힌 편지는 미 연방 하원 외교위원장과 의회 도서관 등에도 보내져 미국 정부 공식기록물로 남겨집니다.

또 망언을 일삼아 온 일본 정치지도자들에게 보내는 방안도 검토되고 있습니다.

글렌데일에서 KBS 뉴스 박영환입니다.

沖縄の碑5周年 尹貞玉「ベトナムでは韓国兵は米軍の傭兵だった」


顕花するユン(左から二人目)もすっかり「ハルモニ」に

今年もこの話題。ユン・ジョンオク(尹貞玉)初代挺対協代表は、「平和を守り、 戦争のない世界を祈りたい」と言うが、慰安婦騒動はアメリカにまで渡り地域住民の不和の種になっている。煽っているのは彼女のお弟子さん達である。

ベトナムでの出来事にも触れているが、韓国兵は「米軍の傭兵」だったと言い訳がましい(それとも宮古新報の記事の問題か?)。アメリカ軍がレイプを命じたわけではなかろう。そして絶対に韓国軍の慰安婦については触れない・・・。

「慰安婦」を追悼、平和祈念

アリランの碑・女たちへ 建立5周年で集い

日本軍「慰安婦」の史実を伝えるために2008年に建てられた「女たちへ」と「アリランの碑」の建立5周年記念の集いが7日、上野野原の同碑前に関係者およそ40人が参加して行われた。参加者を代表して宮古島に日本軍「慰安婦」の祈念碑を建てる会共同代表の尹貞玉(ユン・ジョンオク)さんらが碑前に献花し、亡き慰安婦を追悼するとともに、世界の平和を祈念した。


尹さんは「美しい宮古島のこの地に戦争のない平和な世界を祈る碑を建てた。ここに休んでいる女性たちが私たちと一緒に地球を守ってくれるように祈りたい。海も、空も、空気も汚れていない宮古島に、若いときに傷つけられた女性たちが眠っている。ここが、美しい地球が開発という名の下に破壊されることから守るシンボル(象徴)的な存在になるよう祈っている」と述べた。

また、「慰安婦」問題の研究者で早稲田大学名誉教授の中原道子さんは「これらの碑をこれまで守ってくれたのは宮古島の皆さんたち。この碑を建立した一人として、とても感謝している。碑は石。石はいつか欠けてなくなるかもしれない。しかし無くならないのはその女性たちの記憶とそれを引き継いだ私たちの記憶」と述べ、碑銘の「女たちへ」について「この島で生き、無くなった女性たちへの思いと、その記憶を引き継いで後世に伝える女たち。その人たち、少女たち、子どもたちへも呼び掛けた碑銘」と碑に寄せる思いを話した。

宮古毎日 2013.9.8

日本軍「慰安婦」問題の解決へ、記念碑建立5周年集い

日本軍 「慰安婦」 の祈念碑建立5周年の集い (主催・日本軍 「慰安婦」 問題を考える宮古の会) が7日、 上野野原の祈念碑 (アリランの碑・女たちへの碑) 前で行われた。 地元や沖縄、 本土、 韓国などから約40人が参加し、 戦時中に日本軍に強制連行され、 苦しみを強いられた女性たちに想いを寄せながら慰安婦問題の解決へ向けての気持ちを新たにした。 また 「慰安所を知るものとして悲惨な戦争を語り継ぎたい」 との決意も見せた。

午前10時過ぎから始まった集いでは、 中原道子さん (早稲田大学名誉教授) が多くの人の協力で行った日韓共同調査などにより、 「慰安婦」 の女性が韓国で生きていたことや祈念碑を建立した地元の人たちへの感謝の言葉を述べた上で 「5周年を迎え心からうれしい。 これからも女性たちの記憶を引き継ぎ、 後世へ残していきたい」 と述べた。

同祈念碑を建てる会共同代表で挺隊(ママ)元代表の尹貞玉さんは 「今は女性たちの犠牲の上にあり、 一緒になって平和を守り、 戦争のない世界を祈りたい」 と強調。 またベトナム戦争期に米軍の傭兵として戦った韓国軍兵士によるベトナムの女性への性暴力もあったことも説明し、 「申し訳ない」 と述べた。

祈念碑を建立した土地を提供した与那覇博敏さんは、 「女性たちは近くにある井戸で洗濯の行き帰り、 ここにあった木陰で休んでいた。 『兄さん、 兄さん唐辛子がないか』 と声を掛けられた。 日本語は流暢だった」 などと当時を振り返った。 祈念碑については 「慰安所を知るものとして悲惨な戦争を語り継ぎ、 繰り返さないために建立した」 と強調した。

このほかリレートークの形で洪ユン伸さん (早稲田大学国際言語文化研究所研究員)、平良修さん (日本キリスト教団牧師)、 友利恵勇さんらも女性たちへの想いや平和への願いを語った。

戦争時、 日本軍はアジア太平洋全域に 「慰安所」 をつくり、 沖縄に130カ所、 宮古島には少なくとも16カ所あったという。 そこでは日本、 植民地、 占領地から強制連行された女性たちが 「性奴隷」 として生活を強いられた。 宮古島では2006年から07年にかけて 「慰安婦」 を記憶していた人たちが韓国・日本の研究者との出会いから碑建立する運動が始まり、 08年7月に建立。 祈念碑には 「故郷を遠く離れて無念の死をとげた女性たちを悼み、 戦後も苦難の人生を生きる女性たちと連帯し、 彼女たちの記憶を心に刻み、 次の世代に託します。 この碑をすべての女たちへ、 そして平和を愛する人々に捧げます」 との言葉が刻まれている。

宮古新報 2018.9.8

2013/09/08

アルメニア人と日本政府、慰安婦問題を巡る駆け引き

ホロコーストやアルメニア人虐殺を並置する事で、
ユダヤ人やアルメニア人を味方に引き込む戦術は成功している

これはEiji Nakanoさんが教えて下さったニュース。

韓国系が反日運動にアルメニア系を利用すれば、アルメニア系団体も慰安婦問題を反トルコキャンペーンにある意味利用したのだろう。

グレンデール市の慰安婦像問題では韓国系の推進団体がアルメニア系の協力を取り付けた(韓国系とアルメニア系を合わせると、市の人口の半分になる)。事態を憂慮したロサンゼルスの日本総領事館はアルメニア系の説得に動いた。その結果、「帝国陸軍により行われた犯罪に対して、日本政府はアルメニア人虐殺に対するトルコ政府よりも遥かに前向きに対処してきた」という評価を得るに至るが、アルメニア系団体の側からすれば、これはトルコに対する牽制なのだろう。日本側はこの高評価と引き換えに、アルメニア人虐殺に対する日本政府の認識不足を改めるよう釘を刺されたのである。

筆者が日本陸軍によって性奴隷制に強制された20万人の若い女性の問題と言っているように、領事館側は例によってひたすら「謝りました、賠償しました」を繰り返すに留め、慰安婦問題に関する詳しい説明はしていないと見られる。不満に思う人もいるだろうが、反日運動とアルメニア系を分断することが優先事項であり、領事館としては致し方なかったのかもしれない。アルメニア系も好んで日本を敵に回そうとはしないだろう。外交とはすなわち駆け引きである、といったところか。

アルメニア人虐殺と日本軍の軍用売春所(military brothel)の問題を一緒くたにされる理不尽を解消するのは一外交官には無理な話で、これは政府の仕事である。

Japan and Turkey: On ‘Comfort Women’ and Genocide

BY HARUT SASSOUNIAN

The sleepy town of Glendale became the center of a major international controversy on July 9, when the City Council approved a memorial to ‘comfort women’ — a euphemism to describe up to 200,000 young females who were forced into sexual slavery by the Japanese army during its occupation of Korea and neighboring countries before and during World War II.(7月9日、市議会が「慰安婦」--第二次世界大戦中とそれ以前に、占領された朝鮮や近隣諸国で日本陸軍によって性奴隷制に強制された20万人の若い女性に対する婉曲表現--の碑を是認したことにより、午睡を貪っていたグレンデールの町は国際的な論争の震源地となった)

The City Council, after hearing conflicting testimonies from members of the local Japanese and Korean communities, approved with a 4 to 1 vote the installation of a monument in Glendale in honor of ‘comfort women.’ At the unveiling ceremony of the monument, council members Ara Najarian and Zareh Sinanyan expressed sympathy for the plight of “comfort women,’ as their own Armenian ancestors had suffered from mass atrocities in Turkey.

Concerned by the parallels drawn between the genocide of Armenians by Turkey during World War I and the Japanese military’s sexual enslavement of ‘comfort women’ during World War II, the Consulate of Japan in Los Angeles sought a meeting with the Armenian National Committee of America to present its government’s position on this issue.

During Deputy Consul General Masahiro Suga’s meeting with ANCA, it became evident that the Japanese government had been far more forthcoming regarding the crimes committed by the imperial Japanese army than the Turkish government was on the Armenian Genocide.(ANCAとスガ・マサヒロ副領事の会談の中で、日本政府が日本帝国陸軍による犯罪に対し、アルメニア人虐殺に対するトルコ政府よりもはるかに前向きであったことが明らかになった) Mr. Suga explained that Japan had recognized its responsibility for violating the rights of ‘comfort women’ by issuing an apology, and offering compensation to the victims.(スガ氏は、日本政府は謝罪を表明し被害者に賠償することにより「慰安婦」の人権を侵したことを認めたのだと説明した)

Nevertheless, the ‘comfort women’ remain dissatisfied with Japan’s acts of “atonement,” accusing Japanese officials of making conflicting announcements on this issue. Most ‘comfort women’ have also rejected the offered financial compensation, claiming that it was partially provided by private sources and not the government of Japan. In 2007, the U.S. House of Representatives adopted a resolution in support of ‘comfort women,’ urging the Japanese government to “formally acknowledge, apologize, and accept historical responsibility in a clear and unequivocal manner for its Imperial Armed Forces’ coercion of young women into sexual slavery.”

To find out how Japan’s reaction to the issue of ‘comfort women’ differed from the Turkish government’s denialist stand on the Armenian Genocide, I interviewed Jun Niimi, the Consul General of Japan in Los Angeles. He fondly spoke about his “affinity” toward Armenians developed during his 1995-98 service at the Japanese Embassy in Tehran, and his subsequent visits to Armenia, while stationed at the Embassy of Japan in Moscow.

Regarding the Japanese government’s position on ‘comfort women,’ Mr. Niimi explained that Prime Minister Tomiichi Murayama issued a statement in 1995, expressing “deep remorse” and “heartfelt apology.” Japan also “provided atonement through the Asian Women’s Fund.”

Turning to the differences in the reaction of Turkey to the Armenian Genocide and Japan’s to the abuse of ‘comfort women,’ Consul General Niimi made three points:

“The government of Japan is well aware of the tragedy of the Armenian people at the beginning of last century. We would like to express our deepest condolences and sympathy to the victims. It is our strong belief that this kind of tragedy should never be repeated. The second point is regarding the position of the Turkish government. This is about another country’s position. Even though we are aware of that atrocity, yet, we are not in a position to grasp the details of precisely what happened a century ago in that area. So we cannot make a comment on the Turkish government’s position. But, I would like to repeat that we are aware of the tragedy and would like to express our sympathy and condolences. And the third point is that, regardless of the position of the Turkish government, the Japanese government’s position on the issue of ‘comfort women’ is that it expressed apology and remorse and made efforts to extend support to former ‘comfort women.’”

I informed the Consul General that Japan’s position on the Armenian Genocide is not much different from that of Turkey. I asked Mr. Niimi to relay to his country’s Foreign Ministry that Japan’s lack of acknowledgment of the Armenian Genocide reinforces the skepticism of those who question the Japanese government’s sincerity in dealing fairly with the issue of ‘comfort women.’(私は新見氏に、アルメニア人虐殺に対する日本政府の認識不足は、「慰安婦」問題を公正に取り扱おうとする日本政府の誠意を疑う人々の疑念を深めるだろうという事を彼の国の外務省に伝えるよう求めた)

In response, the Consul General of Japan expressed his understanding that “the word tragedy doesn’t sound good to you, because it’s genocide.” He promised to convey to his government “the sentiments of the Armenian community” on this issue.(彼は、アルメニア人コミュニティのこの<虐殺>問題についての感情を彼の国の政府に伝えることを約束した)

Asbarez 2013.9.3

J-CAST 米国慰安婦碑騒動のまとめ

計画が暗礁に乗り上げている事を報じるMBC(9.3)

コメント欄でも指摘してもらっているが、アメリカでの慰安婦碑設置騒動について良くまとまっている記事。

「謝罪済み」「賠償済み」「デリケートな外交問題」、この辺がどうやらアメリカ社会を説得する際のコツらしい。「事実ではない」というのは、今のところ効き目がない。むしろ逆効果になっている。・・・残念ながら。

韓国が目論む「全米に慰安婦碑を!」運動 日本の「ロビー活動」や内輪もめで次々断念

韓国系団体が米国で推進中の「慰安婦の碑」建造運動が、ここに来て行き詰まりを見せている。日本政府による反論活動や、韓国人同士の「内輪もめ」などが主な原因だ。

「慰安婦の碑」は2010年にニュージャージー州パリセイズパークに米国で初めて建てられ、2013年7月30日にはカリフォルニア州グレンデールに4つめの碑が誕生した。

・ 米国市議「日本はすでに謝罪している。慰安婦碑はいらない」

さらにニューヨーク、ロサンゼルス周辺などに続々計画が持ち上がり、米州韓人会総連合会のイ・ジョンスン会長も、韓国・女性新聞に2013年8月29日掲載されたインタビューで、
全米の大都市すべてに慰安婦碑を建てる。在米韓国人250万人同胞が力を合わせればできないことはない」
と話すなど、日本には「ピンチ」かに見えた。

ところが13年9月初めごろから、韓国メディアの論調が急に弱気になり始めた。各地で進行中だった建造計画が、相次いで挫折したためだ。

カリフォルニア州ブエナビスタやミシガン州サウスフィールドなどで、慰安婦碑・像の建造計画がそれぞれ撤回された。ニュージャージー州フォートリーでも建造直前まで来て計画が中断状態に陥り、またニューヨークで通りに「慰安婦ストリート」と命名する案も事実上頓挫しているという。

特にロサンゼルス近郊にあるカリフォルニア州ブエナパークの動向は、多くの韓国メディアの注目を集めている。慰安婦碑建造が発案された当初、地元議会は好意的な反応を見せていたのだが、8月27日にアーサー・ブラウン市議が、
「日本はアジア女性基金などを通じて元慰安婦女性に補償を行っており、当時の村山富市首相もお詫びしている。碑の建造は日韓関係に悪影響を及ぼすし、公共の場所に建てられる碑は地域と住民に関係するものでなくてはならない」
と声明を出すなど、反対ムードが強まり始めたためだ。現在推進団体が議員たちに改めて韓国側の主張を伝える文書を配布しているというが、反応は芳しくないという。

・ 日本側の「説得工作」功を奏したか

情勢が変化したのはなぜか。韓国メディアはいくつかの理由を指摘するが、その1つが日本によるロビー活動、韓国側からすれば「妨害活動」の成果だ。たとえばブエナパークの場合、日本の在ロサンゼルス総領事館が市議全員に日本政府の立場を伝える手紙を送るなど、強力な働きかけを行ったと伝えられている。

また日本国内から大量に届く「設置反対」のメールも、自治体などへの圧力になっているという。日本では一部のウェブサイトが英文での文例や送信先などを公開し、地元議員や関係者に慰安婦反対の陳情を行うよう呼びかけており、こうした動きを韓国メディアでは「メールテロ」と解説する。なお、産経新聞では「気高き戦い」とこの運動を紹介している。

このほかサウスフィールドでも、日本側のロビー活動が慰安婦像設置を断念させたとされている。当初「善意」で建造を受け入れた自治体などには、上記のような日本側からの反対の声に初めて、これがデリケートな問題だと気づくところも少なくないようだ。

・ 寄付金集めたけれど…暗礁に乗り上げたNY

ニューヨークでも、計画が暗礁に乗り上げた。世界的大都市に慰安婦碑を――そんな呼びかけで5000ドルの寄付を集め、韓国内で一時は大きな注目を集めたものの、碑を作るためには複雑な手続きと10万ドルの管理費がいることがわかり、結局にっちもさっちもいかない状態に。「慰安婦ストリート」案も、国際問題に発展することを危惧する市議会の協力が得られず、こちらも事実上失敗に終わっている。

韓国側の「自滅」もある。上記フォートリーでは市議会で建造案が承認されるなど、一時は順調に話が進んでいた。ところが文言や碑のデザインをめぐり、日本への非難を表に出すか出さないかで韓国人グループ同士の間に対立が生じ、半年近くも計画が宙に浮いたままだ。対立は感情的な主導権争いにも発展し、韓国・ニューシースでは「計画は白紙化の公算が高い」と報じている。

J-CAST 2013.9.6

安倍首相の信書

新見総領事の信書

2013/09/07

日本に対する誤解を広げる日本人

手にしてるのはナビ基金のパンフレット?

進歩的な日本人が韓国民の間に日本に対する誤解を広げ、結果的にヘイトの連鎖を生み出している側面は否定できないと思う。この日本人女性も日本の歴史教科書には慰安婦に関する記述が無いと韓国メディアに語っているが(中央日報が嘘をついているのでなければ)、つい数ヶ月前、朝鮮日報が「安倍首相や下村文科相の発言は、最近検定に合格した高校用の一部の教科書に、日本軍が慰安婦を強制動員したという記述が盛り込まれていることを指摘したものだ」と報じていたばかりである。よくこんな出鱈目を・・・。

こういう日本人が日韓の間を往来してデモをしたり講演したりしているのだから、日韓関係が良くならないわけである。

「日本の子どもたち、加害歴史知らぬまま大人に」…日本のNGO活動家

「講義の時間に、慰安婦問題を扱った映画『終わらない戦争』(キム・ドンウォン監督)を見せた。慰安婦のおばあさんの証言に初めて接した日本の大学生が泣いていた」。

20日、ソウル明洞(ミョンドン)で松村徳子さん(50)に会った。彼女は日本軍の慰安婦問題を扱う関西地域の非政府組織(NGO)活動家だ。この日、南山(ナムサン)で開かれたユネスコ韓国委員会(ミン・ドンソク事務総長)主催の「第2回ユネスコ東アジア歴史和解国際青年フォーラム」で、慰安婦問題をテーマにした講演を終えた後であった。

1991年に日本政府を相手に訴訟を起こした後、日本を訪れたキム・ハクスンさん(97年死去)の慰安婦証言が彼女の人生を変えた。「それをきっかけに慰安婦問題を扱う非政府組織(NGO)活動に飛び込んだ。2008年から毎月第一水曜日に大阪駅の前で集会を開いている」。最初は10人で始めたが、今では70人余りが集まる。慰安婦問題をわい曲する安倍首相の発言に対する反論演説もして、これを知らせるビラも配る。無視して通り過ぎる人もいれば、「こういうこともあったのか」と涙を浮かべる人もいる。

大きなデモをするたびに右翼団体が押しかける。「暴言もあり、わざと体でぶつかってきた後に『暴行された』と言って警察に申告もする。結局、歴史教育をまともにできない日本の責任がすべて」。

松村さんは「天皇は戦争に対する責任があったのに、それについて話さなかった。安倍首相の母方の祖父も軍事的武装のために平和憲法を変えなければなければならないと主張した改憲派だった。日本の歴史教育は、戦争を通して体験した自身の苦痛だけを強調する。日本の子どもたちは、隣国に与えた歴史的加害の事実を知らないまま大人になる」と指摘した。

慰安婦問題も今では日本の歴史教科書で言及されていないという。「1996年から4、5年の間、中高の歴史教科書に載ったりもしたが99年からは次々に削除され今回の教科書検定ではすべて消えてしまった」。

彼女は大学で週1回、慰安婦と平和問題を教えている。するとほとんどの学生たちが衝撃を受ける。学期末に提出する課題で学生たちは「マスコミに出てくる情報だけでむやみに偏見を持つのをやめよう」「教科書に載らなくても子どもたちに慰安婦問題を教えよう」という意見を出したりもしているという。

中央日報 2013.8.21

 参考:

慰安婦:日本政府、歴史教科書からの削除を推進へ

日本政府が、旧日本軍の従軍慰安婦強制動員などの内容を歴史教科書から削除するため、教科書検定制度の見直しを推進する動きを見せている。

下村博文・文部科学相は10日、国会答弁で「日本に生まれたことを誇らしく思えるような歴史認識が教科書に記載されるようにしていく必要がある」として、教科書検定制度の見直しを検討していくと述べた。これは自民党の西川京子議員が「教科書には日本軍が従軍慰安婦を『性的奴隷』と見なしていたとの記述があるが、これは自虐史観だ」として、教科書検定制度の見直しを求めた質問に対する答弁だ。日本の極右は従軍慰安婦について、日本軍が強制動員したのではなく、自発的だったと主張している。

安倍晋三首相もこの日の国会答弁で「残念ながら、教科書の検定基準が、愛国心や郷土愛を尊重することとした改正教育基本法の精神を生かせないものとなっている。自負心を持てるようにすることが(教育の)基本だ。教育的な観点から教科書が採択されるかどうか検討していく必要がある」と述べた。

安倍首相や下村文科相の発言は、最近検定に合格した高校用の一部の教科書に、日本軍が慰安婦を強制動員したという記述が盛り込まれていることを指摘したものだ。安倍首相は昨年末の衆議院議員総選挙で「慰安婦が強制動員されたという証拠がないだけに、強制動員を認め謝罪した『河野談話』の見直しが必要だ」と主張している。

また、安倍首相は総選挙の際、教科書の「近隣諸国条項」を廃止し、自虐史観から脱皮する教育を進めることを公約に掲げた。日本は1982年「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに、国際理解と国際協調の見地から必要な配慮をする」という内容の近隣諸国条項を教科書検定の基準に追加した。教科書の記述に関し、近隣諸国に配慮するというものだ。だが、同条項が削除されると、日本の「侵略」が「進出」などといった記述に書き換えられる可能性がある。

東京= 車学峰(チャ・ハクポン)特派員

2013/09/05

慰安婦のドイツ講演 (イ・オクソン)

誤解を正すぐらいしないと単なる反日活動家になってしまうのでは?

日本政府は変わらないという矢嶋。変わらないのは彼の方かもしれない。本文にもあるように矢嶋は昔、ナヌムの家でボランティアをしていた。ドイツに渡ってからも、運動家らと協力して慰安婦問題をドイツに普及させる活動を行っている。

アメリカでの講演を終えたイ・オクソンはドイツに渡り、矢嶋と再会。彼の通訳でドイツで講演している。ドイツのメディアによれば、彼女はアメリカでの証言と同様、慰安所は屠殺場であった話している。天皇ヒロヒト批判や、自分が(日本)兵によって釜山の路上で拉致されたとも話したようだ。韓国系の団体は、南ドイツ新聞に日本によって拉致された20万人超の慰安婦は主に11歳から15歳の少女であったと説明しているようである。人数のインフレーションと、年齢のデフレーションは相変わらず。

「日本の奴(일본놈)」の声を聞いても気分を悪さない日本人・・・ドイツ慰安婦証言会通訳引き受けた矢嶋氏

「なぜ度々日本の奴と写真を撮れといって!」

3日(現地時間)ドイツベルリン工科大で証言集会を開いた慰安婦被害者イ・オクソン・ハルモニ(86)は通訳を受け持った矢嶋宰(42)氏を示して気兼ねなく「日本の奴」と呼んだ。言葉とは異なり顔には情感が満ちていた。

矢嶋氏とイ・ハルモニの縁は格別だ。名門早稲田大学を卒業後、朝日新聞出版のカメラマンとして普通の生活を送った矢嶋氏は2003年会社を止め、京畿道広州市退村面元堂里のナムヌの家でボランティア活動をした。「加害国の市民の一人としてお婆さんが受けた苦痛を分けて悪い歴史に日本人たちがもう少し関心を持つようにするため」というのが当時彼が明かにした奉仕の弁だった。 イ・ハルモニともここで出会った。

矢嶋氏のボランティア活動は2005年まで続いた。その後、ドイツで写真家として活動、ドイツ人女性と結婚もした。そうするうちにイ・ハルモニが先月28日からドイツの様々な都市を回って証言活動をするという便りを聞いて通訳を自任したのだ。 彼は「日本政府は政権が変わってもまったく変わらない」と話した。

この日証言会では、200席余りの席が一杯になり、一部の聴衆は立ち見になるなど盛況となった。 生き生きした証言が続くと、すぐに一部の聴衆は目をとじたり涙を流した。イ・ハルモニは「(望みは)奪われた人権と名誉を回復することだけ」と答えることもした。
国民日報(聯合ニュース)2013.9.4

‘일본놈’ 소리 들어도 기분 나빠하지 않는 일본인… 독일 위안부 증언회 통역 맡은 야지마씨

“왜 자꾸 일본놈하고 사진을 찍으라고 해!”

3일(현지시간) 독일 베를린공대에서 증언회를 연 위안부 피해자 이옥선 할머니(86)는 통역을 맡은 야지마 쓰카사(42)씨를 가리켜 스스럼없이 ‘일본놈’이라 불렀다. 말과는 달리 얼굴에는 정감이 가득했다.

야지마씨와 이 할머니의 인연은 남다르다. 명문 와세다대를 졸업하고 아사히 신문 출판국 사진기자로 평탄한 삶을 살던 야지마씨는 2003년 회사를 그만두고 경기도 광주시 원당리 나눔의 집에서 봉사활동을 했다. “가해국민의 한 사람으로서 할머니들이 받은 고통을 나누고 나쁜 역사에 일본인들이 좀 더 관심을 갖게 하기 위해서”라는 게 당시 그가 밝힌 봉사의 변이었다. 이 할머니도 이곳에서 만났다.

야지마씨의 봉사활동은 2005년까지 이어졌다. 이후엔 독일에서 사진작가로 활동하며 독일인 여성과 결혼도 했다. 그러다 이 할머니가 지난달 28일부터 독일 여러 도시를 돌며 증언활동을 한다는 소식에 통역을 자처한 것이다. 그는 “일본 정부는 정권이 바뀌어도 도무지 변하지 않는다”고 말했다.

이날 증언회는 좌석 200여석이 꽉 차 일부 청중들이 선 채로 듣는 등 성황을 이뤘다. 생생한 증언이 계속되자 일부 청중들은 눈을 감거나 눈물을 흘렸다. 이 할머니는 “(소원은) 빼앗긴 인권과 명예를 회복하는 것 뿐”이라고 답하기도 했다.

연합뉴스