2012/12/09

日本大使館突入事件二審判決


日本大使館突入男の刑軽減 「被害大きくない。一審の判決は重すぎ」 ソウル中央地裁

慰安婦問題で抗議するため、7月にソウルの日本大使館の正門にトラックで突っ込み、暴力行為処罰法違反罪に問われた骨董品商、金昌根被告(62)の控訴審判決で、ソウル中央地裁は9日までに、懲役1年、執行猶予2年とした一審判決を破棄し、懲役8月、執行猶予2年を言い渡した。聯合ニュースが報じた。

地裁は判決理由で「行為自体は象徴的なもので実際の被害は大きくない点などを考慮すれば、一審の判決は重すぎて不当だ」と指摘した。一審で言い渡された2年間の保護観察も付かなかった。

金被告は7月9日早朝、トラックで大使館に突っ込み門を壊した。6月に元慰安婦の被害を象徴する大使館前の少女像に「竹島は日本固有の領土」と書いたくいを縛り付けた日本の右翼団体男性の処罰を求める世論を起こす目的で犯行に及んだと主張していた。(共同)

産経 2012.12.9

参考までに、事件当時の中央日報の報道。

慰安婦少女像の杭に抗議 トラックで日本大使館に突っ込む

60歳代の韓国人の男が駐韓日本大使館の正門にトラックで突進し、警察に捕まった。

警察によると、9日午前4時55分ごろ、ソウル中学洞(チュンハクドン)の駐韓日本大使館の前で、男(62)が1トントラックに乗って大使館の正門に突っ込んだ。

このため大使館の正門が1メートルほど押されたが、幸い、人命被害はなかった。男は大使館を警備していた警察に捕まった。

この男は警察で、「日本人が『慰安婦少女像』に杭を立てたのに抗議しようとした」と述べたという。警察は男の供述などに基づいて正確な犯行の動機を調べている。

「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(下) 吉田清治

帯にも注目 「抹消された歴史の暗部」
「元『戦犯』日本人が書き残す朝鮮慰安婦の強制連行の実態!」

朝鮮人慰安婦の徴用(強制連行)がどのように行われていたのか、聴衆を前に吉田清治はこのように証言した。吉田によれば、これは懺悔ではなく「何十年か先に私たち日本人の子孫が日韓併合中の日本人がざんきの涙にむせびながら反省していた、せめて一人でもそういう人間がいたと言うことを知ってくれれば先祖に対して絶望しないだろう」という思いで語られたもの、ということである。

労務報国会の職員とそれを護衛する軍の部隊が送り込まれ、銃剣を突きつけ、木刀で打ちのめして女性を徴用したのである。そして兵士たちには役得があった。日本政府により徴用された女性たちは兵士たちに強姦されるのである。一部始終を目撃した吉田は言う。

「(トラックの)幌の中から人間の声とは思えないような悲鳴が聞こえて参りました。しかしそれも1分か2分で終わりました」・・・そしてこうした行為は、日本の歴史から意図的に消されてしまったのだと。

そして10年後の1992年、朝日新聞と吉見義明は「軍の関与」の証拠を発見したと発表する。いわゆる慰安婦問題ビッグバン(秦郁彦)である。


そして一週間にわたって予備人員も入れて205名の徴用をしました。その徴用場所は済州島の海岸線を幹線道路が一周していますが、その幹線道路に沿って東に進み、あるいは西に進み3日間、済む州を中心にして徴用を行い、その後は西帰浦(ソキボ)という南側の済州島第二の町ですが、そこで海女を徴用しました。

最初の徴用は済州から東の方へ軍用トラック2台で進みまして、20分か30分走ると、幹線道路の側の小さな村がみえました。2台の先頭の車の助手席に、私と軍曹が坐っておりましたが、その部落をまず徴用場所に選んで部落のすぐ前にトラックを停めて、10人の徴用隊と10人の武装兵が一緒にその部落に入っていきました。

ご承知のように済州島の部落は非常にみじめな部落です。その小さな部落に入りましたらどの家も人がいません。これは時間的にみんな働きに出て行っていたと思いました。済州島は部落の家の回りに石垣が立てられています。これは、風を防ぐためと家畜の侵入を防ぐためにあるのですが、その石垣の上によじ登って部落内を偵察しましたら、すぐ近くの割合大きな家の中に20人ばかり女が集まって何か作業をしていました。双眼鏡で確かめますと朝鮮帽子ですね、あれは馬のしっぽの毛で作るのですが、伝統的な朝鮮人の帽子なのです。その帽子を家内作業で作っておきました。すぐ私は、軍曹を通じて兵隊と徴用隊の隊員に命じてそこへ突入させました。これは済州島における最初の徴用でしたので、みんな様子がわからずいきなり飛び込んで行って、30歳未満と思える女に跳びかかって腕をねじあげて引きずり出したのです。

私は石垣の上から双眼鏡で見ておりました。もちろん、すさまじい悲鳴や絶叫が聞こえて参りました。そしてそれを聞きつけたのか、どこから出てきたのか、半裸体の男性たち、これはみな漁師たちですが、その男性たちが数十人集まってその家に跳び込んできました。兵隊はすぐ銃剣を突きつけました。兵隊は銃剣を突きつけただけではありません。現在とは違いまして、叫んで反抗してくれば本気で突くつもりでその男たちの方へ向かっていきました。そして徴用隊員たちは、若い女性を手をねじあげ引きずるようにしてトラックの前に連行しました。

泣き叫び、部落中に非常な叫び声と悲鳴があがって、男性たちも大声でわめいていました。兵隊が銃剣で周りを取り囲み、8人の女性をひきずってトラックの近くまで連れてきました。ところが、トラックを見て女性たちは生命がけで抵抗しました。しかし、これも2~3分で結局手をねじりあげられて、トラックの中に入れられてしまいました。そのトラックの幌の中に、みんなを押し込むとともに2台のトラックに隊員が乗って、すぐに出発しました。そして10分ぐらい経ってから、私の横に坐っていた軍曹が私に次のことを言いました。

徴用の警備は兵隊たちが役得を当てにしています。この先で30分小休止して、兵隊たちを遊ばせてやります」。そして軍用トラックは幹線道路から横に入り、道のない草原を通ってちょうど岩山の裏側の幹線道路から見えない地点にトラックを停めました。トラックから隊員たちが跳び降りて来ると軍曹の命令で兵隊たちは銃を組んで立て、それが終わると、同時に9人の兵隊たちは8人の女性が乗った幌の中へ突進しました。

その間、幌の中から人間の声とは思えないような悲鳴が聞こえて参りました。しかしそれも1分か2分で終わりました。約30分の距離にある非常に近い部落、その部落で朝鮮帽子編んでいた20人ばかりの部落民の中の若い女性8人が私の命令で慰安婦にさせられるために連行され、そして10分後には日本陸軍部隊の兵隊たちによって、慰安婦にさせられたのであります。

トラックはそれから約1時間ほど走りまして、済州島の東側の町、そこは漁業が盛んで貝細工の貝ボタンを作っていましたが、製品は全部当時の陸軍納めで、その工場がその日の慰安婦徴用の目的地でありました。

長い石塀にかこまれたかなり大きな工場が建っていて、そこに100人ぐらいの島民の女性が働いていました。私たちは、私以下9人の徴用隊員だけで連行することにして、銃剣を持った軍曹以下10人の兵隊に警備してもらいました。隊員たちは徴用に慣れていますので、まず工場の事務室に入り、責任者を連れて中へ入って、そこで徴用しました。この時もみな隊員たちは木剣をもっていて、打ちのめして連行しました

もっとはっきりご説明したいのですが事件がございません。しかし、そういう行為が行われていたことは日本の歴史から今消えております。私は今後生命のあるかぎりこの事実を本に書いたりお話ししたりするつもりです。それは私が懺悔することではありません。この年になって戦争犯罪人の私がいまさら気休めの懺悔するためではありません。ただ私1人でもそのことを書き残しておけば、何十年か先に私たち日本人の子孫が日韓併合中の日本人がざんきの涙にむせびながら反省していた、せめて一人でもそういう人間がいたと言うことを知ってくれれば先祖に対して絶望しないだろう。そんなことを思って証言しているのです。

いま朝鮮の統一と在日は---六・一八日本と朝鮮の戦前・戦後を考える文化の夕べ



「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(

2012/12/08

「私は朝鮮人慰安婦を徴用した」(上) 吉田清治


これは1982年に吉田清治が大阪府立ピロティホールで講演した内容。ここで、タイミングよく思い出したが、挺対協の初代(共同)代表であったユン・ジョンオクも9年後、ここで慰安婦の強制連行について講演している

82年の吉田のこの講演は慰安婦騒動への序曲であり、91年のユン・ジョンオクの講演(「何万人もの若い朝鮮人女性が日本の手で従軍慰安婦として強制連行され、悲惨な最期を遂げました」)はその第一章といったところか。

こうして見てみると、慰安婦の強制連行のイメージが吉田の時代からも変化しているのが分かる。例えば吉田は胸に抱いた赤子を引き剥がして母親を連行したなどと語っていたのだが・・・そしてユン・ジョンオク(尹貞玉)も女子挺身隊として連行された朝鮮人女性のうち年齢の高い者が慰安婦にされたと語っていたはずなのだが、現在では14歳であるとか12歳からの少女が連行されたと「被害女性」の幼さ(未成年という点)を強調した解説が目立つ。その方が国際的に慰安婦問題の非人道性をアピールしやすいからだろう。給金や支度金の話もいつの間にか消え、現在では完全に(性)奴隷制として語られている。

ここで吉田が「徴用」という言葉を使っているように、強制連行とは日本政府による徴用を言い表す左翼用語であった。強制連行=「強制的な連行」というのは話のすり替えである。

長いので二回に分ける。


私は朝鮮人慰安婦を徴用した。

吉田清治でございます。私は今日、新幹線で東京からこの会場へ参りましたが、戦後37年も経ってこのような会が、つまり日本人と朝鮮人の戦前・戦後を考える会、そういう会が開かれることにざんきに耐えません。日韓併合が終わって37年も経って今の日本の中で在日朝鮮人65万人の方々が今日のこの差別、行政差別だけではありません。日本人の社会的市民生活におけるひどい差別の中で毎日暮らしているのだと思います。

このような現状を見るにつけ、36年間に及ぶ日韓合併における敗戦前の数年間、つまり第二次大戦中、日本が朝鮮半島に対して行った行為、それを実行した私をはじめ私の周辺の者はその事実を公表しなければならないと考えるのです。朝鮮総督府の関係者、日本の警察関係者、これは100万を超える人々が、直接に朝鮮人に対して残虐な行為を行なっていたのだと、そのことを昭和20年8月15日以降に語ることを誰一人しなかったのです。

そして日本政府、日本の行政機関はすべての朝鮮人強制連行の記録および朝鮮人(ママ)総督府あるいは旧内務省関係の朝鮮人への迫害、この歴史的事実を、公文書記録をすべて焼却処分にしたため、私自身も山口県下関地区の強制連行の記録を、当時の下関警察特高係の署員を指揮して完全焼却致しました。その責任者のひとりでもあるのです。そして戦後30年、私はその事実を隠し名前まで変えて隠れていました。

数年前、やっと私は一冊の本『朝鮮人慰安婦と日本人』を出し、各地でお話したり、テレビで自分たちが行った朝鮮民族に対する残虐行為の事実を少しずつ語りはじめたのです。ほかに呼びかけましたが、現在のところ誰も応じません。今、日本人で強制連行の加害者としての自分が行った事実についてこれを語る日本人はひとりもいないのです。

[...]私は今日、15分から20分の時間をいただきましたので、強制連行について申し上げている時間はありません。私は昭和17年から敗戦までの約3年間、数千人の朝鮮民族を強制連行しました。その中に千人近い慰安婦を強制連行致しました。その山口県における下関地区の最高責任者でございます。時間がありませんので、当時の私たち労務行政を行なっていた者が、どういうやり方で朝鮮人の強制連行をしたか、慰安婦の徴用をどのように行ったか、この事実を15分間、いただいた時間内でお話ししたいと思います。

正確を期するために、私は自分が作った記録をみながらお話しをしていきたいと思います。

昭和18年5月15日に私は山口県警察部に呼ばれまして早朝に下関を発ち山口県庁に参りました。当時山口県から九州地区全域を担当している西部軍指令部というのがございました。その西部軍の司令部付の中尉が来ておりまして、私も相席させられましたが、県の幹部に次の命令が下ったのであります。

九州地区と山口県を含むのですが、2000人の陸軍慰安婦徴用し、そして昭和18年の5月31日までに供出しろという軍命令でした。山口県に対する命令書が西部軍指令官から当時山口県労務報国会会長を兼任した県知事に提出され、この県知事名から、下関地区の支部長は下関警察署長ですが、署長に命が下りました。しかし警察署長が直接強制連行の業務をやるわけでなく、支部の事務局の実態は私が動員部長で職員数40名。その下関支部に下った命令の、これは私が家内に当時しゃべったか見せたかしたので、家内の日記の中にそれがありました。読んでみますと次の内容です。

一、皇軍慰問・朝鮮人女子挺身隊ニ◯◯◯人。年齢一八才以上三◯才未満既婚者も可。但し妊婦を除く。

一、身体強健なる者。医師の身体検査、特に性病の検診を行うこと。

一、期間一年。志願により更新することを得

一、給料、毎月金三◯円也。支度金として前渡金ニ◯円也。

勤務地、中支方面。
動員地区、朝鮮全羅南道済州島。
派遣日時、昭和一八年五月三一日正午。
集合場所西部軍第七四部隊内。

当時、済州島は陸軍部隊によって軍政が敷かれていました。もともと日韓併合中の済州島は行政官はいませんで、警察署長が行政の最高責任者でした。警察署がこれは済州島の済州という中心の町にありましたが、この済州警察署が税金の徴収から出生その他死亡の事務手続きですべて行政を行なっておりました。[...]日本から済州島へは、大阪から一◯◯◯㌧程度の定期船が2隻交互に就航していて、下関に寄港してましたが、私はそれに乗って参りました。私たちは徴用隊と称していましたが、その徴用隊は隊長が私で9人の部下を連れて10人で済州島へ参りました。そして到着した日に陸軍部隊の大尉からいろいろ便宜を受け、軍用トラック2台、それから軍曹以下10名の護衛兵をつける、これは慰安婦を連行する場合に当然なことですが、島民に危害を加えるというわけです。戦時中ですから完全武装の歩兵軍曹以下10名が、私たち10名と同行しました。・・・

につづく)

いま朝鮮の統一と在日は---六・一八日本と朝鮮の戦前・戦後を考える文化の夕べ

 私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行 P.154

10年を隔て同じ場所で吉田とユンが講演したのは偶然ではないだろう
ピロティホール(大阪)

就職難で韓国人売春婦増加 台湾


「台湾も不景気だ。値引きをしたり客の好みに応じたりして、ご飯を食べる暇もない」。この部分を読んで、食事の暇もなくオニギリを頬張りながら兵士の相手をしたという慰安婦の話を思い出した。それ読んだ西野瑠美子(?)が涙を禁じえなかったと書いていたような気がする。

慰安婦の苦労話の多くは、同時代の売春婦の体験に共通するのである。時として現代のそれとも。貧困による「強制性」から体を売っている女性は今でも存在する。

台湾当局、韓国人売春婦を大量摘発 「就職難でお金稼ぎのためやった」

【新華網】 台湾の2011年の統計データによると、海外で売春を行う韓国人女性は10万人に達した。そのうち、日本では5万人となっている。台湾で売春婦を斡旋している関係者によると、これまで韓国人売春婦は少なかったが、2012年初めに韓国ソウルの警察がポルノ一掃を展開し、多くの売春婦が台湾に流れた。台湾「中国時報」が伝えた。

台湾刑事局は大量の韓国人売春婦を逮捕した。うち、36歳の珍妮は、有名なモデルの写真を利用して客引きをしていた疑いがある。

前出の関係者によると、ここ数年来、台湾と韓国の往来が密接になり、韓国ドラマや家電製品などが台湾に普及するのに合わせて、台湾にやってくる韓国人売春婦も増加している。台湾では韓国人売春婦は珍しいことから、急速に台北市場で拡がりをみせた。

摘発されたある韓国人売春婦は、「韓国では就職が難しく、台湾にお金稼ぎに来たが、台湾も不景気だ。値引きをしたり客の好みに応じたりして、ご飯を食べる暇もない」と話した。斡旋所の女性事務員も「年初は比較的良かったが、最近の商売はあまり良くない。景気が悪く、警察の取締も厳しい。ますます商売が難しくなった」と嘆いている。

新華経済 2012.12.7

実は、6月にもレコードチャイナにこのような記事があった。→(韓国人コールガール、国内に居場所なく台湾へ大挙”出稼ぎ”--台湾メディア

2012/12/06

日本の国会議事堂前で慰安婦・独島ゲリラデモ


韓フルタイムも反日デモという言葉を使っている。独島(竹島)・東海(日本海)・慰安婦問題は、反日キャンペーン、あるいはアピールの為の3点セットであって、人権や名誉とは関係ない。

アメリカの街中に慰安婦広告を出している人々と同じく、国内向けのアピールだろう。夏には靖国神社で一人慰安婦デモをやった韓国人もいたが、日本人が竹島の杭を送りつけるのがテロなら、この人々もテロリストか?

霞ヶ関の国会議事堂前で韓国人がゲリラ抗議 「独島は韓国の地」「慰安婦に謝罪を」

東京・霞ヶ関の国会議事堂前で3日午前、60代の韓国人男性が、日本の竹島の領土主張と歴史認識について糾弾するためゲリラ抗議を行った。

男性は、韓国の市民団体「特殊任務有効者会 慶尚北道支部」のメンバー。男性を含むメンバー4人は今月2日から2日間の日程で、国会議事堂や外務省、皇居などで日本政府に抗議を行うため訪日した。

この日、国会議事堂前で抗議した男性は、「独島は韓国領」「日本の歴史わい曲に韓国国民は怒っている」「慰安婦被害者のおばあさんたちに謝罪しろ」などと書かれた服を着用。日本でゲリラ抗議を行った理由について、「最近、日本の海上自衛隊に所属するヘリや駆逐艦が、独島周辺や韓国の防空識別圏を侵犯した。独島への間違った野心を抱いていることに対し、これ以上我慢がならなかった」「韓国国民のひとりとして領土を守るため、日本の心臓部にやってきた」と説明した。

周辺では、ほかのメンバーらも「ノー!竹島、イエス!独島、ノー!シーオブジャパン(日本海)、イエス!イーストシー(東海)」などと叫び、注目を集めたという。

ゲリラ抗議は旭日旗を掲げた右翼団体を刺激。出動した警察や騒動を聞きつけた外務省、国会議事堂の職員が集まるなど、周辺は一時騒然となった。

韓国・ソウルの日本大使館前では連日のように反日デモが開催されているが、日本の公館前でこのような抗議活動が行われるのは今回が初めてだという。



民主統合党の大統領候補に日本人から竹島の杭が届く
韓国大統領候補(に対する?)テロだと大騒ぎ

[報道] 挺対協に人権賞


元慰安婦支援団体の挺対協 人権賞を受賞=韓国

【ソウル聯合ニュース】韓国の財団法人「東川」は6日、第3回太平洋公益人権賞の受賞者に旧日本軍の従軍慰安婦にされた女性を支援する市民団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が選ばれたと発表した。

同賞は公益や人権の向上に貢献した団体や個人に贈られるもので、同法人が2010年から毎年授与している。

同法人は挺対協について、「慰安婦問題の真相を究明するため、国際機関などと協力するとともに、被害者を支援するためのネットワークを構築するなど、さまざまな支援活動を行ってきた」と説明した。 

中央日報 2012.12.6

2012/12/04

[メモ] 韓国大統領選挙の中の慰安婦問題


韓国大統領選 初のTV討論 対北政策で激しい応酬

【ソウル=篠ケ瀬祐司、辻渕智之】韓国大統領選の有力候補が四日夜、初のテレビ討論会で顔をそろえ、内政や外交・安全保障政策で直接意見を戦わせた。北朝鮮が「人工衛星」と主張する長距離弾道ミサイルに対して与党セヌリ党の朴槿恵(パククンへ)氏(60)、最大野党・民主統合党の文在寅(ムンジェイン)氏(59)はともに発射中止を迫った。一方で現、前政権の対北朝鮮政策を厳しく批判し合った。
 文氏は「現政権は安保を強調するが、韓国軍哨戒艦沈没や延坪島(ヨンピョンド)砲撃が起きた。(自らが要職を務めた)前政権では軍事衝突はなかった」と指摘。北朝鮮に厳しい態度で臨んだ現政権の方針は誤りと訴え、与党候補の朴氏の考えをただした。
 朴氏は「本当の平和と偽物の平和がある。前政権下で(北朝鮮は)初の核実験を行った」と反論。前政権が南北融和を過度に求めて「(支援などを)むやみに与えた」結果、核開発が進んだと非難。北朝鮮との対話や人道支援は無条件で進める一方、大規模な経済支援には「南北間の信頼構築と非核化の進展」が必要だと強調した。
 文氏は「(非核化を経済協力の)前提条件とした現政権下で核問題は悪化した。対話や経済共同体関係の発展と並行させ、核問題を解決する」と違いを打ち出した。
 李明博(イミョンバク)大統領の竹島(韓国名独島(トクト))上陸や元慰安婦問題で冷却した日韓関係について朴氏は「何より日本の正しい歴史認識が必要だ」と述べるにとどめた。
 元慰安婦問題で日本政府に法的責任を問うと明言している文氏は「過去の歴史はきっちり対処しなければならない」と主張。一方で現政権の政策も「韓日軍事情報協定を秘密裏に推進し、国民が批判すると、独島を突然訪問して韓日関係を悪化させた」と酷評した。
 テレビ討論には統合進歩党の李正姫(イジョンヒ)氏(42)も参加した。十日に経済や福祉、環境分野の、十六日には教育や科学・文化分野の残り二回が放送される。

東京新聞 2012.12.5

韓国、歴史問題で日本に対応要求 大統領選有力候補が初のTV討論

【ソウル共同】韓国大統領選で、与党セヌリ党の朴槿恵候補と野党民主統合党の文在寅候補らが4日夜、初のテレビ討論を行い、日韓関係や対北朝鮮政策などをめぐり議論を交わした。

 李明博大統領の島根県・竹島(韓国名・独島)上陸をきっかけに悪化した日韓関係について朴氏は、関係改善のため「日本は正しい歴史認識が必要だ」と指摘。文氏は「未来志向の関係を発展させるために、歴史問題には断固として対処する」とした。

 朴氏は、北朝鮮が予告した事実上の長距離弾道ミサイル発射計画の「即時撤回」を要求。文氏は、現政権で南北関係が破綻したと批判、対話再開の必要性を指摘した。

47ニュース 2012.12.4